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第9話 新しい仕事-3

「だめだめ全ッッッ然ダメ!!!!もっかい頭から!!!」 その日の真夜中。 CLOSEDの看板がかけられた地下の小さなライブハウスに、白髪交じりの男性の怒号が響いていた。 2話目の台本を手に、亮平が一人芝居のようにステージを立ち回る。訳も分からぬまま始まったその演技指導についていくのが精一杯で、亮平は流れる汗を拭うヒマもなかった。 「だからさぁ!もっと目の前を意識しろよ!誰に向かってってんのか考えろよ!!」 その男性の怒号にビクともせず、湊は地べたに座り亮平の動きをじっと見つめている。 気付けば数時間、ぶっ通しで台本一冊丸々やりきっていた。 「ま、最初はこんなもんか」 「ナルさんありがと」 「言っとくけど深夜は割増料金だからな」 「もちろん!」 白髪まじりの男性が丸椅子から立ち上がりカバンの上に綺麗に畳まれていたトレンチコートを羽織ると、ステージ上で茫然としていた亮平に湊が呼びかけた。 「サキちゃん、お礼言って」 「…え、あっ!あのっ、ありがとうございました!」 慌ててステージから飛び降りて、亮平はその男性に深々と礼をした。 「お疲れさん、まぁ頑張って」 ポンポンと軽く亮平の肩を叩き、その男性は帰って行った。 「……あの、今の方は…」 「成川さん。俺の先生」 「そうなんですか……」 それ以上湊は詳しいことを話そうとしなかったため、亮平も深く聞き込むのはやめた。 元いた劇団の誰かだろうか。それにしても熱血指導だった。亮平は、空調の風でひやりとする自分の背中に気付いて初めて、自分が汗だくになっていたことを知った。 「さむ……」 思わずこぼれたひとり言を慌てて飲み込んで、亮平はTシャツの裾を引っ掴んで額の汗を拭う。 「大丈夫?」 「あ、はい全然!大丈夫ですありがとうございます」 亮平が前髪をかき上げ、毛先の汗が飛ぶ。 ステージだけにライトが当たっている中で、二人はかすかな逆光の中にいた。 「俺さ、サキ役のオーディションちょっと見てたんだよね」 「え?」 「ビデオをね、見せてもらってたの。最終とそのいっこ前だけだけど」 「はあ……」 いつものやわらかい表情をしているはずなのに、亮平は湊の目が鋭く光っているように見えた。真剣な、本気の眼差しを向けられて、また背中が冷える。 「この役には亮平君しかいないって思った。他のスタッフは別の大きい事務所の子を推してたんだけど、俺が突っぱねたの。この子じゃなきゃこのドラマやんないよって」 「え……」 「だから、ん~……何だろ、あ~こういう時俺カッコつかないんだよなぁ。えーっと、だから、一緒に頑張ろうね」 一瞬前の鋭い目をふっと和らげて、眉を下げて笑う湊に亮平は何とも言えない気持ちを抱いていた。あの憧れの人が自分を推してくれていたなんて、テンションが上がらないわけがない。ふと差し出された大きな手に、亮平は自分の右手を寄せた。 それは、亮平が湊の胸の内に飛び込んだ最初の瞬間だった。 ◇ 「サーキちゃん!今日終わり一緒だよね?ご飯行かない?この前うまい焼肉屋見つけてさー!」 「はいっ、ぜひ!行きたいです!」 あの特別稽古の日以来、湊は亮平によく話しかけるようになった。 今日のように飲みに誘う日もあれば、テレビ局の食堂で一緒に昼食を取ることもある。亮平は湊の話すことすべてが楽しくて、為になる気がして、一言一句聞き逃さないように必死に耳を傾けた。亮平のその忠誠心に満ちた態度が湊の感情を刺激していたなんて、思いもよらずに。 「湊。慣れてない子はやめとけよ」 「ご忠告どーも。意味ないけどね。じゃあお疲れ~」 「………」 マネージャーの言葉に耳を貸すこともせず、その日湊は上機嫌で撮影を終え亮平との食事へと出かけて行った。 「地下駐車場のエレベーター出たとこで待ってて」そう言われていた亮平は、そわそわと襟足をいじりながらその場に立っていた。湊の車を見るのも初めてだし、それに乗り込むのも当然初めてで、大先輩の車に乗るというだけで鼓動が早まった。この人に会ってから、よく緊張するようになったなとふと思ったりなんかして。 パパッと短く二回クラクションが鳴らされ、顔を上げた先にアルファロメオの真っ赤な4Cスパイダーが停まっていた。オープンカータイプのそれだが、今日は残念ながら雨が降っているためか屋根は閉じられている。 「お、お邪魔します……。やべえ、超かっこいーっすねこの車」 「ホント?ありがとう~。んじゃ行くよーシートベルトお願いしまーす」 「はい大丈夫です!」 赤く光るアルファロメオが二人を乗せてゆっくりと進み出す。 この日が亮平にとって衝撃の夜になることを、このとき湊だけが知っていた。

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