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第10話 湊との関係
外の空気が少しずつ夏の風に変わって来た頃、亮平は今日も必死に撮影をしていた。
湊人気のおかげでなんとか目標視聴率を維持できているため制作スタッフの機嫌もよく、亮平もだいぶ現場の雰囲気に慣れてきていた。
「亮平君次んとこさ、ちょっと台詞変えてみてもいい?最終戻すかもだけど一回それでやらせて」
「はい」
監督の指示をすぐさまメモに取る。
亮平の台本は、毎回毎回ほとんどのページが真っ黒になるほど書き込まれていた。
「で、これキッカケでサキは悟をちょっと不審に思ってくるっていう流れだからね。そういうの含ませる感じの表情で」
「はい……」
「難しい?」
「はい、死ぬほど」
「ははっ!まあ何回かやってみよ!」
監督が亮平の肩をバシバシと強めに叩く。
雰囲気に慣れてきたとは言え、演技力がいきなり上がるということはない。監督のOKが出るまで20回も30回も撮り直しをしたシーンもあった。亮平は、それをじっと見守ってくれる共演者やスタッフに恵まれていると心底思っていた。
けれど湊にだけは、“あの日”から普通とは違う感情を抱くようになっていた。
話は数日前、亮平が初めて湊の赤いアルファロメオに乗り食事をしに行った日に遡る。
「サキちゃんさ、プロフィール見たけど意外と芸歴長いんだね?」
「はい。今の会社の創立から入ってます」
「今まで役者は興味なかったの?」
「いえ、そういう訳でもないんですけど、元々モデル事務所みたいな感じで始まった会社だったんで」
「あーなるほど」
なんとなく会話を続けながら、亮平は網の上でじわじわと焼けていくタン塩に気を取られていた。湊に連れられてやってきたのは、見るからに高そうで業界人が好きそうなモダンな内装の焼肉屋。全てが個室になっているため、湊でも気兼ねなく寛げる仕様になっていた。
亮平が飲み物を選ぶためにメニュー表を開いたとき、肉一つ一つの値段に目玉が飛び出るほど驚いた。「何か食べたいものある?」と聞かれて、「お任せします」としか言えなかったのはそのせいだ。
「よし、そろそろいいんじゃない」
「いただきます!」
塩タンもハラミもロースもテールスープも今まで味わったことないほどの美味しさで、亮平はその日初めての食事をひたすら夢中で食べた。
「俺もうカルビキツくなっちゃったんだよね~。サキちゃん食べたかったら頼んでいいよ」
苦笑いしながら胃をさする仕草を見せる湊に、亮平は親しみを覚えた。
若く見えるし、身体だって鍛えているであろう湊もそういうことがあるのかと驚きつつ、徐々に互いの距離が近づいていっているような気がして嬉しくもあった。
「煙草吸っていい?」
「あ、はいもちろん」
「吸う?」
「え、……っと、あの、」
煙草を差し出した湊の質問に、思わず言葉が詰まる。
「未成年なので」なんて当然の理由を言って、つまらない奴だと思われたくなかった。その真面目な態度を見て、湊はツボに入ったように大きく笑った。
「ごめんごめん!冗談だよ~。サキちゃん見た目やんちゃそうなのに全然違うよね~」
「あ~……それはあの、チャラそうとかそういう……」
「言われない?」
「言われます」
食い気味に肯定すると、やっぱり!と言って湊は烏龍茶を飲みながら爆笑していた。
湊が笑ってくれるのが亮平は何より嬉しかった。自分といて、少しでも楽しいと思って欲しいから。
ほどよく食事をして再び湊の車に乗り込む。
最寄り駅を聞かれると思っていた亮平の予想を軽く裏切り、湊は亮平を誘った。
「ね、俺んちでちょっと飲むの付き合ってくれない?泊まってっていいからさ」
「えっ!?そっ、んな、ご迷惑じゃ…」
「俺が誘ってるんだから迷惑じゃないよ!ね?一人で飲んでも楽しくないんだよ~」
「でも……」
決めあぐねている亮平を無視して、湊の車はふわりと進みだした。何となく選択肢がなさそうな空気を察して、「俺は飲まないですよ」とだけ答えてみる。余裕がなくて、ひねりを効かせた言葉のチョイスは出来なかった。
「もちろん」
「なら……お邪魔します」
「やったね!」
嬉しそうに笑う湊を見てほっとする。
しかし本当は、車に乗った時点で選択権は全て湊にあった。その事に気づくはずもなく、亮平はオーディオから流れる洒落たR&Bを口ずさむ湊の小さな歌声を聴いていた。
何となく胸騒ぎがする。
いいものか悪いものかも分からないくらい、第六感というには心もとないその“予感”は、ほどなくして現実となる。
「地下入りま~す」
「…すっ、げーマンション……」
駐車場に入る前にその外観を車の中から見上げて、思わず素直な感想が口を衝いて出た。
いわゆる都心の高層マンション。自分には一生縁がなさそうなその建物に住んでいる湊が、一瞬でまた遠い存在になってしまった気がした。
広い地下駐車場に車を停め、車から降りてきょろきょろと辺りを見渡す。外車がずらりと並んでいるそこでも、湊の赤い車はひときわ目立って見えた。
居住棟へ続くエレベーターに乗り込んだ湊は、操作パネルになにやらカードをタッチして32のボタンを押していた。
「何ですかそれ」
「ん?部屋のカードキー。これがないと階数ボタン押せないの」
「へえ~」
「ちなみにここ25階以上は1フロア1部屋だから気楽なんだ~」
「さすがっすね」
「俺の趣味じゃないけどね。事務所の人にここに住めって言われちゃってさ」
話しているうちに、エレベーターが32階へ到着した。
玄関にキーカードを差し込み、ガチャッと重たい音が響いて扉を開ける。
シックなダークカラーの扉の奥には、同じくダークブラウンのフローリングが続いていた。
湊のあとをついて、亮平が遠慮がちに中に入る。
くるりと振り返ってドアの鍵を閉めると同時に、湊は亮平を手荒く抱きしめキスをした。
「……っ!?!?ん、っ」
それはあまりにも一瞬の出来事で、何が起きたのか理解できず亮平はパニックになった。慌てて湊の肩を押しやろうとするもビクともしなくて、激しく絡んでくる湊の舌の感触に気付きぞわりと鳥肌が立つ。唇のぜんぶを、舌の全体を吸い取られるようにされて、そして巻き付かれた湊の腕にどんどん力が込められていくのを直に感じて、亮平は拒否する隙を見つけることも許されずただされるがままだった。
「……はぁっ」
「湊さ…」
「……ごめん」
小さな声で謝られ、どう答えたらいいか分からず亮平はただ湊を見つめた。
「そんな目で見ないでよ~…。つーかシラフだし。酔ってたって言い訳も出来ないじゃんねぇ……」
玄関のドアに両手をついてうなだれる湊の腕に閉じ込められる。肩にかかる湊の頭の重みに目をやると、役作りのためにかけられた緩いパーマが首元をくすぐった。
「あ、あの…」
「サキちゃんが可愛すぎるからいけないんだよ」
「えっ、わっ…!」
ぐっと腕を引かれて、慌ててスニーカーを脱ぎ捨てる。
廊下を進んでふたつめのドアを湊が乱暴に開けると、まるでモデルルームのような寝室が広がっていた。大きなサイズのベッドがひとつ、リネン類は真っ白でハリがあって、真新しささえ感じる。木製のブラインドはきっちり閉じられて、部屋の隅には間接照明と観葉植物が、そしてベッドの脇には大きめの空気清浄機が置かれていた。
殺風景な、無駄のない空間。目に飛び込んできたそれらのすべてを、亮平は写真を撮るように頭の中に記憶した。した、というよりかは、勝手にされてしまったという感覚の方が正しいのだけれど。
そして意識を湊に戻した時には、もうすでに真っ白のシーツの上に転がされていた。
自分を見おろす湊の顔に、亮平は一種の恐怖を覚える。今まで、余裕で大人な彼の顔しか見て来なかった。怒ったり悲しんだり、そういうのは演技だけでしか見たことがない。そして今目に映る、男として興奮し欲情しているような顔は映画でもドラマでも知らない、初めての表情だった。
これはシャレにならないやつだ。
亮平はそう思って、焦る脳内をぐるぐる回して必死に考えた。
冗談っぽくしてしまえば引いてくれるだろうか。
自分にその気がないことが伝わるだろうか。
「み、湊さん、ちょ、ホント…烏龍茶で酔ったんじゃないスか?」
はは、とヘタクソな作り笑いを浮かべながら、湊の胸をぐっと押して体を起こす。
こういうときは全てが裏目に出るということを亮平は知らなかった。
その手を取られ一瞬でベッドに押し倒されると同時に、また深いキスを強要される。
逃げていた舌はあっけなく捕まり吸い上げられ、溢れた唾液が亮平の頬を伝う。
怖い。こんなキス知らない。
唇が離れると、湊は亮平の頬を舐め唾液を絡め取る。そのまま首すじに舌を這わせ、時折気まぐれにちゅっと軽く吸い付いたり甘噛みしたり。
そうしている間になぜ逃げられなかったかと言うと、下半身をしっかりホールドされてしまっていたから。服の上からゆるゆると摩る湊の大きな手に、亮平のそこはすっかり熱くなってしまっていた。
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