31 / 63
新年会
「……菊池センセ、そろそろ零れる」
「飲めよ、一磨(かずま)」
軽くため息をついて、一磨は直行の後輩ドクターである菊池になみなみ注がれた酌を仕方なく口に運んだ。
同期の一磨と菊池(きくち)は時々一緒に食事をしたり、飲みに行ったりする仲だ。
「急性アルコール中毒にでもなったら、どうするの」
互いに今までもそれなりに飲んでいる状態でコレである。
「そしたら経過観察入院させて、『菊池センセ』が山ほど点滴処方してやるよ」
「……もし、センセがなったらバルーン入れてあげます」
基本的に急性アルコール中毒患者には、タップリの水分を入れて、アルコールを排出させる。ただそれだけだ。後は吐き気止めを使うかどうかだが、往々にして自業自得であることが多いため、やさしくない医療者も少なくない。
勝手に大酒をくらい、勝手に酩酊状態になった挙句、医療者に手を上げたり足が出たり。もしくは吐きっぱなし。大概が夜間入院であることが多いため、寝ている他の患者の迷惑を考えず大声を上げる。そして病棟内に充満する酒臭さ。
病気や怪我ならばいざ知らず、自己の行いによって招いた結果。その戒めを兼ね、大量に滴下される点滴の行方も困るため、排尿用のカテーテルを性器に通す。先には溜めるバッグがついている。医療者間で通じる略の一つにバルーンにそれがある。そして、仕上げは大人用の紙おむつ。
入院時、酔って前後不覚になっている時には気付かないが、アルコールが抜けて正気になった時に己の格好を顧みてもらい、次回の行動に繋げてもらう。
「去年もそれなりにあったな、アル中」
「今年は無いことを祈るよ」
本当に。
「それで? 一磨くん。今年の目標は?」
行儀悪く箸で串刺しにした唐揚げをマイクの様に突き出される。
「……なに、急に」
不審げに顎を引いた一磨をものともしないで、彼は今度は自分に箸を向けた。
「新年の抱負に決まってるだろ!」
「そうだねぇ…………『焦らない』かな。菊池センセは?」
「『結婚』」
「……え。あぁ、もう付き合って長いもんね。そろそろか」
彼は数年に渡り、付き合っている彼女が居る。
もう、そんなになるのか。
「……一磨、そっちはどうなんだ?」
「──え?」
酢の物に伸ばしかけていた箸が止まる。
視線を上げた先には、いやに真面目な顔。
「隆司(りゅうじ)を引き取って八年だろ。あいつももう成人になるし、いつまでも親代わりは要らないだろ。直行先輩達の子を引き取ってくれたのは感謝してる。だが、もう、自分の事を考えても充分な時間が経ったんじゃないのか?」
思わぬ言葉に、一磨は声も無く瞠目した。
「仕事に感(かま)けてまかせっきりだった俺が言うのも何だが、もう直行先輩や隆司に気を使わないで、自分のしたい様に、自分の人生を送ってもいい頃じゃないのか? 一磨」
もう開放されても、いいんじゃないのか?
真摯に投げかけられる問いという意見に、一瞬頭が真っ白になる。
考えた事も、無かった。
「そんなこと、ないよ……?」
喉がカラカラする。先ほどまで飲みっぱなしだったのに。酔いも一気に醒める。
「彼女を作るのも、身を固めるのも、お前の好きなように、さ」
自分にとって芹沢家は何にも替えられないモノだ。恩というよりは、思い出そのもの。
むしろ眩しいくらいに、光のように思っている。
一磨自身としては今まで芹沢家や隆司を重いだとか枷だと感じた事はなかった。 むしろ、考えにも及ばなかった。
外から見れば、その様に見えるのであろうか?
無理をしているように映るのだろうか?
菊池が自分の身と人生を案じてくれているのは、よく解る。
彼はとても人思いだ。そして、気も回る。
その彼が先ほどのふざけた調子はなりを潜め、一磨の真意を探ろうと瞳を覗く。
「本当に、俺──」
大好きなのだ。
彼らが。
何にも代えられない、タカラモノ。
芹沢家との深交も、親代わりとして隆司を引き取った事も、隆司との関係が親子以上になっても。
言葉にならないもどかしさに、勝手に歪む視界で彼が目を細めた。
「──そう、か。それならいい。一磨がいいなら」
「省吾(しょうご)……」
「さて、飲みなおすぞ! 一磨!」
破顔した彼は、改めて宣言した。
ともだちにシェアしよう!