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記念日
バイト先から自宅へ戻り、隆司(りゅうじ)は不審に思った。
──明かりが点いてない。
本日、自分よりも一磨(かずま)の帰宅の方が早いはずである。
予定の変更がある場合は、連絡が入るはずなのでおかしい。再度携帯を確認しても、何も無い。
事故や事件に巻き込まれていないか、徐々に気持ちは逸っていく。
玄関の扉の鍵が開いている。
薄暗い中、一磨の革靴の存在を発見する。
リビングにもキッチンにも姿は見えない。
彼の部屋をノックしても反応無い。
勝手に中を覗くとベッドで横になっていた。
「……ん、あ、隆司、おかえり。ごめんね気付かなかった」
「どうした」
「んー……ちょっと、うとうとしてただけだから」
上着は脱いで掛けてあるが、ネクタイは緩めただけでそのままベッドに沈んだらしい。
本日の知人の結婚式の引き出物らしき紙袋はそのまま床に置かれている。
ややぐったりしている一磨の傍らに腰掛け、頬を撫でる。
「いい結婚式だったよ。新郎もきまってたし、新婦さんも綺麗だったし」
「ふーん」
正直、他人の結婚式に興味は無い。
「食事は美味しかったんだけど、量が多くて……」
もたれ気味と零す。
大体はコース料理なのだろう。普段の彼の食事量からすれば、それは多いだろう。
「あんた、普段から食わないからだろ」
「そうかなぁ」
「……自覚無いのか?」
「身体が動くように、カロリーは取るようにしてるよ」
「『バランスの良い食事』って言葉知ってるか?」
「まあ、ね」
知識と実際とは違う事を知っている隆司は溜め息を吐いた。
「……で?」
「ん?」
「胃がもたれた、人に酔った。他に何かあったか」
さらさらと流れる一磨の髪を梳く。
困ったように顔を顰めた一磨の反応を見て、隆司は無言で先を促した。
「ちょっと、思うところがあっただけ」
「言ってみろ、聞いてやる」
「……ちょっと複雑だったんだよ。俺、隆司と親子になってから、隆司から彼女を紹介されて結婚して家庭を作るんだなぁ、ってぼんやり思ってたのに、実際はなんでか男だし十歳離れたおじさんだし、親子だし、俺だし」
ただそれだけだよ、と彼は苦笑した。
「あんた、直行と早苗のことを気にしてる。違うか?」
「……っ、そう、だね。一番がそれかもしれない」
長く細い溜め息を吐いて、一磨が遠くを見る。
「この状況が不満か?」
「そんなこと、ない! 俺、うれしいし、むしろこんなに満たされてていいのかなって、思うくらいだよ。ただ……もし、とか考えると、さ」
徐々に語尾がか細く、消えるようになっていく一磨の手を握る。
彼のその言葉尻が迷いを反映し、弱々しさを表出させる。
「しばらく待ってろ」
隆司は彼の額に口づけて、部屋を後にする。
すぐに戻ってきた隆司に、だるそうな、けれども不思議そうな顔をした彼が小首を傾げる。
「どうしたの?」
ベッドから身体を起こして自分を見上げている一磨に濃厚なキスを仕掛ける。
「──んー……っ、はっンん、ふぁ、んー」
くぐもった、声。
息継ぎもままならないらしい、荒い息。
驚いて閉じられた、瞼。
その端から零れ落ちる、涙。
飴のように甘い、口腔内。
弾力のある逃げる、舌。
二人分の混ざり合った睡液が伝い落ちる、口角。
口腔内を思うさま侵せば、びくびくと揺れる、肩。
所在無さげに、隆司のシャツに絡む、指。
どれをとっても、隆司にはいとおしいく、手放す気はさらさらないものだ。
自分に申し訳程度に縋りついている、彼の手を握りこむ。
「ンーーっ! っ、ぁっ、りゅぅ……も、ちょっ、とまっ……ぁ……? ぇ?」
繰り返される行為の合間に、ようやく変化に気付いた一磨が舌足らずながらも声を上げた。
「……ん、っはぁ……ぇ? これ、って……りゅぅ、じ?」
余韻で潤ませた瞳は、己の指を凝視していた。
その手を隆司は自分の口元に運ぶ。
「あんた、何で女物が入るんだ」
「……え? いや、あの……?」
驚きで、というよりもむしろ呆然としている一磨を観察する。
「これ、あんたにくれてやるよ」
「……え? これって」
隆司と、隆司に引き寄せられている自分の指をしばらく交互に見つめ、一磨の顔が真っ赤に火照る。
隆司から逃れようと左手を引く彼を許してはやらない。
「あ、あの……離して……」
「嫌だ。まぁ、俺達の本物はもう少し待て」
「どういう……っこれって!」
見覚えがあったらしい一磨は、今度は焦った声を上げ、顔を青くした。
「ああ、お袋達の指輪」
「こんな大切なもの、貰えないっ!!」
「じゃあ、無くすな」
「そうじゃないっ!」
泣きそうになっている一磨を抱きしめ、耳元で囁く。
「違わないだろ。あんたに大事な物を預ける理由(わけ)は解るな?」
自分にとって必要であり最も優先すべき事柄で、大切にしたいから。
価値があり、重要で欠くことのできない存在であるから。
本当は、隆司とてこの時期にこれを一磨に渡すつもりは無かった。
せめて、一人前に仕事をして息子というカテゴリーではなく、彼から自立した一個人の男として見てもらえるような状態になってから、自分達だけのリングを作成して手渡したかった。それが本音だ。
だが、そうも言っていられない。
彼の不安はその時に振り払わないと、どんどん膨れ上がり彼を蝕む。一磨の脆く崩れ落ちそうでなんとか持ちこたえている心に巣食っている負い目や孤独とともに、いい加減に鈍い彼に自分の本気を知ってもらわなければならないと強く感じた。その為の行動だ。
「っでも!」
「でもも、くそもない。観念して受け取れ。仕事中に付けろとは言わない。無理だろうしな。いいか、あんたは一人じゃない。下らないことを考えるな」
「……隆司」
「解ったか?」
顔を歪めて何度も頷くさまを見て、隆司は苦笑した。
涙を拭って濡れたその手で、同じようにシルバーの輝く彼の手を包み込む。
再び抱きしめ密着した彼からひくひくとしゃくり上げる声が聞こえる。
その背を壊れ物を扱うように、丁寧にやさしく摩ってやる。
「知ってたか? 今日は親父とお袋の結婚記念日だ」
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