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経過観察
大通りから一本脇道にそれた、マンション。建物自体はそれほど新しくないが、澤崎一磨(さわざきかずま)が勤務する病院にも、息子・隆司(りゅうじ)が使用する駅にも近いため立地としてはまずまずである。
暗証番号などの認識はなく、鍵穴と中から掛けるドアチェーンのみの防犯。この部屋の名義人は駅にも職場にも近くていいと契約をしたが、実はその息子が防犯に懸念を抱いており、地道に引越しを考えているとは思いもしない。
「……年、かなぁ……?」
一磨はキッチンのテーブルにぐったりと突っ伏して、力なく呟いた。
現在は深夜勤務の仕事を終えて、帰宅して午後になったところである。
一時は入院患者も減ってきていたが、段々に増加して満床の状態。スタッフの人数は増えるどころか、減るばかり。
力尽きてへばった。
「どう、しよう……?」
テーブルに頬をつけたまま、視線をその先にある折りたたまれた紙に向ける。
内容は知っているが、出来れば自分ひとりで見る勇気は無い。
まだ隆司は帰宅していない。
そうなれば、必然と息子が帰ってくる時間を待つしかない。
彼が帰ってくるのは早くて、あと数時間。
一磨は肺の空気を全て吐き出すような細く、長い溜め息をついた。
胃がキリキリと存在感を示す。こめかみから締め付けられるような痛み。それに伴い、忙しすぎて仕事中は忘れ去っていたここ数日続いている倦怠感が全身を包む。そして軽い吐き気とめまい。
──これって……。
一磨は自ら身体の状態を顧みた。
取りあえずベッドで横にならなければいけないという結論に至ったが、緊張の糸がぷつりと切れたためか、如何せん身体が鉛のように動かない。
困ったなぁ……。
悩みながら、一磨の思考は途切れた。
「……ぁ、りゅぅじ、おかえりぃ」
振動で目が覚めた一磨はぼやっとした頭で目の前の隆司に声を掛けた。
一瞬、軽く目を見張ったあと、ふっと満足そうに微笑まれる。
一磨はこの彼の顔が好きだ。
「あぁ。今度は間違えなかったな」
息子の顔に続いて一磨の目に映ったのは、普段自分の目線よりも高めな景色。
「ぅえ? っあ、重いよ? 降ろして? 自分で歩けるからっ! っう、わっ?!」
俗にいうお姫様抱っこに、焦って早口になる。
そして変に力が入った所為で、バランスを崩して落ちそうになり、隆司にしがみ付くという自分としてはとても不本意な行動を起こした。
「あんたは、もっと食って肉を付けろ」
一連の行動に呆れた声を出されて、赤くなって縮こまる。
「っは、びっくり、したっ……こ、これから太ったら、中年太りだけど……?」
「あんたに腹が出るほど、太れるわけがないだろ」
「……解んないじゃん」
そんな軽口を二人で叩きつつ、着いた先は一磨の部屋。
極端に家具も物も少ないこの部屋は、整理されているというよりも殺風景なだけだ。
基本的にここは就寝時にしか使用していない。
隆司が居るときには、できるだけリビングかキッチンで過ごすし、一人のときもそれほど自室に入らない。
むしろ部屋の主である一磨よりも、二匹の黒猫たちの方が使用頻度が高い。
「あんた体調悪いくせに、あんな所でうたた寝するな」
「……え?」
降ろされたベッドで頬をヒンヤリとした手で包まれる。
言ってないのに、何故知られたのだろう?
上半身を起こし見上げた先には、彼の苦い顔。
「顔色悪いし熱あるだろ。患者のために働くのもいいが、身を削ってまですることか?」
勤務は変則、拘束時間は長いし、おかしな患者も家族も多い。身体的にも精神的にも大きな負担の掛かる仕事。あんたにどんな利点がある?
今さらながら、そう問いかけられた。
利点……?
自分にとって望ましい条件があるか?
一磨は自分がこの道を選んだきっかけを考えた。
「えっと、はじめは直行(なおゆき)さんたちと一緒に働きたくて」
ギリギリだった出席日数の高校に再び通いだし、受験をした。勉強も彼とその妻が交互に見てくれた。
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