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休暇
「かずちゃん、ちょっと顔貸しな」
「どうしたんですか?」
──めずらしい。
少し前に部署異動で外来に行った栗原がヒョッコリと顔を覗かせた。
一旦事務手続きを止めて、一磨は彼女に近づく。
ヒラリと渡される封筒。
「これは?」
「温泉旅行、当たってね」
「おめでとうございます。ゆっくりして来てくださ……んン?」
外来も病棟に比べられないくらいの忙しい部署である。
ほんわりと微笑んだ一磨のその頬を彼女に軽くつままれる。
「旦那と行こうとしていたんだが行けなくなっちまってね。りゅうちゃんに『家族サービス』しといで。かずちゃん」
「……え、でも、別にわざわざ俺達じゃなくても」
栗原には娘夫婦も居るし、日を変えればいい話である。
赤の他人の自分に渡す利点はどこにもない。
イタズラが成功したような子供のように、ニッと彼女は口角を上げた。
「解んない子だねぇ、あんたの去年今年分の年休がまだタップリ残ってるだろう? お見通しだよ。確か二日かそこらしか取れてないだろう」
……よく、ご存知で。
「そこでだ。この栗原さんがかずちゃんの年休、師長からふんだくって来た」
「──え?」
「楽しんできな。じゃあね」
バシバシと叩かれ、元気に階段を下りていく白衣姿に封筒片手に呆然と立ち尽くす一磨が残された。
「温泉旅行?」
「うん。栗原さんがくれたんだけど、隆司どうする?」
「せっかく貰ったなら、使わせてもらうか」
日中の出来事を隆司に話しつつ、彼の作ってくれた夕飯に舌鼓(したつづみ)を打つ。
「それが、日にちがね──」
味噌汁を啜りながら、一磨は難しい顔をした。
彼女が一磨の有給を奪い取ったという日にちは決まっている。
そのため息子である隆司と予定が合わない可能性もある。
自分と都合が付かなければ、彼が友人と例えば聡志(さとし)などと遊びに行ってもいいと思うのだ。家族サービスにと気を利かせてくれた栗原には申し訳ないが。
「来月最終の土日だろ」
「え? 何で、知って?」
口を付けようとした湯飲みをそのままに、一磨は視線を上げた。
「この前、栗原さんからその二日は何が何でも空けとけって、凄い形相で言われた」
さすがである。
抜かりが無い。
「ごちそうさまでした。じゃあ、近くまでに電車やバス調べとくね。どっか、寄りたい所あったら教えて──」
「車借りるようにしてあるぞ。ごちそうさん」
くるま……。
確か二つ向こうの県のはず。
「俺、ちょっとそこまでの距離、運転できる自信ないよ?」
「誰があんたの運転に乗るって言った。ほら、茶碗寄越せ」
手際よく片づけられる食器を彼に託して、一磨は残ったおかずを仕舞う。
「誰か、出してくれる人居るの?」
「チケットはペアだろ。あんた、そんなに俺の運転が嫌か?」
若干機嫌を悪くしたらしい隆司に考え込む。
運転免許は持っている、が。
「うーん、違うけどさ。隆司免許取ってからそんなに乗ってないんじゃない? 危ないよ」
要はペーパーに近い。
「あんたもそんなに変わらないだろ」
「……よく早苗さんに足にされてたよ。隆司、覚えてないかもしれないけど」
芹沢家には車があった。医師の寮から職場はそれほど遠くないので、直行は徒歩か自転車で。早苗は一磨の手が空いているときに、よく車を出させていた。ついでに買い物の荷物持ちとしても。年数にして、四年弱。
そのため、ある程度は運転できるマニュアル車。
「あぁ、そんなこともあったな。時々エンストしてた」
「……思い出さなくていい」
己の運転の下手さを暴露されて、一磨は唸った。
「無理そうなら、交代で行けばいいだろ」
「あ、うん。そうだね」
──旅行、か。
もしかしたら……。
「──あぁ、はじめてだな」
「っえ? 何が?」
己の心を読まれたように、丁度いいタイミングで声を掛けられてドギマギする。
「あんたとの旅行」
同時に落ちてくる口付けに一磨は火照る顔を止められなかった。
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