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羽根伸ばし
見事に眠りこけた助手席の恋人の寝顔を横目で眺めつつ、隆司は溜め息を吐いた。
まぁ、仕方ない。
明け方まで食事する暇も無しに仕事をしていたのである。
軽い朝食を摂って、特に何をするでもなく規則的に揺られれば誰しも睡魔が襲ってくるというものだ。
若干白い顔を気にしながら、注意深くアクセルを踏む。
信号も無ければ横断歩道もない一本の山道を登りながら目的地に車を進める。
時間的な余裕はあるので、急ぐ必要も無い。
一磨にはああ言われたが、実は時々バイト先で運転をさせられている。人使いの荒い所なので、それこそバイトの用事から個人的なモノまで。
「……ん」
漏らした声にひとつ笑みを溢して、隆司はハンドルを握りなおした。
「本当に、ごめん!」
宿に着いて、隆司は恋人から頭を下げられていた。
特別問題も無く到着して、助手席の人間を揺すったら先ほどから謝ってばかりである。
「気にしてない」
でも、と尚も食い下がる相手に痛い所を衝いてやれば大人しくなる。
「寝ぼけ眼の人間に運転されて、事故って死ぬ気は更々ない」
「う……」
尤(もっと)もな意見で黙らせつつ、外の景色に相手の意識を移してやる。
「もっと堪能しろ」
「……そう、だね。いいのかな、こんなに豪華な所」
通されたのは一般の宿から少し距離を取った、たぶん離れとされる場所。
サバの味噌煮と大学イモを交換したときに、何がナンでも絶対に予定を空けておけと凄まれた栗原の顔が忘れられない。確実に何かを企んでいるであろうその笑顔に、彼女の三分の一生きたかどうかの隆司は逆らえるはずも無かった。
まさか、それがコレに化けるとは。
時には素直に年長者に従うのも大切だと学んだ隆司だった。
「あ、カモかな?」
窓から若干身を乗り出してはしゃぐ浴衣姿。
普段から慣れていない為か、既に着崩れている。
男にしては細い首筋に、合わせから覗く胸元、裾から伸びる白い足。
ひとつ頭を振って、溜め息と共に手を伸ばす。
「あんた、子どもみたいだな」
「うー……隆司って落ち着いてるよね」
心の葛藤など知る由もない恋人は文句を言いつつも、されるがまま浴衣を正されるのに身を任せる。
「ぁ……」
最後に情事の最中を思い起こすような触れ方で仄(ほの)めかせば、微かに上がる声と竦められる身体。
「どうした?」
「っな、何でも、ないっ」
真っ赤になって顔を背ける、その仕種に口角を上げたとは一磨は気付いていないであろう。
「お、お風呂、入ってくる!」
「ああ」
バタバタと小動物か何かのように慌てて逃げていく後ろ姿に、沸いてくる笑みを押さえられない。
今頃は顔どころか上半身火照らせたまま、廊下で荷物でもぶちまけている所だろう。
何年も一緒に暮らしているというのに。
いつまで経っても初々しさを忘れない恋人を構い倒してしまいたくなる。
そう、何年も。
指を折り曲げて数え上げる時の長さに、言いようの無い焦りと悔やみと、そして他の人間とでは絶対に得る事のできない幸いが滲(にじ)む。
見本や手本なぞ、無い。
総(すべ)てが手探り。
想いを閉じ込めた掌に握れる量は無限ではない。
限られている。
自分は何をするべきなのか。
──何を。
散々冷え切ってしまった茶を静かに啜る。
広がる知ったほろ苦い味。
何とはなしに、断崖から流れ出る自然の恵みを望む絶景を眺め、同時に髪を攫うヒンヤリとした風。
不意に鳴り響く電子音に隆司の意識は引き戻された。
「何かさ、ホントにいいのかな?」
「厚意は遠慮なく受け取っとけ」
「うーん……」
絶景が拝める窓の縁に突っ伏したまま、未(いま)だ納得していないらしい恋人は唸り声を上げる。
美味い飯もご馳走になり、広々とした温泉、丁寧な接客どれを取っても申し分ない。
「あんたは俺とじゃ不満か」
「っち、ちがっ!」
強い否定の後の、自信なさ気に紡がれる言葉に隆司は瞠目した。
「……ぁ、あの、えっと……隆司と一緒にこんな長い時間ゆっくりしてられるの、久しぶりだし……すごくぅ、うれしい、し、あんまり良いことばっかりで……いいのかなって……──ぇんンッ?!」
顎を無理やり上げさせて、その唇に貪りつくのは同時。
油断して薄く開いていた口腔の逃げる舌を追いかけ、追い詰め、深く絡めて奪う。
互いの溢れた唾液は一磨の頬から首に筋を、順に襟元にはシミを卑猥に作る。
抵抗は驚いて隆司の浴衣を掴み、戯れ程度に乱れさせて終わっただけ。
「っはぁ……ン、りゅぅじ、どうし……?」
潤ませた瞳で見上げてくる困惑には答えず、細い首筋に顔を埋(うず)める。温泉に浸かったばかりのサラサラとした素肌と石鹸の清潔さを纏った一磨の甘い香り。
全てが、己を狂わす。
「ゆっくり、するんだろ?」
耳朶をねっとりと含みつつ、殊更低くゆっくりと囁いた言葉に震える肩。
小動物のような仕種に口角を上げて、恋人の肌を暴いていく。
「ぇっ、ね、ねぇ、隆司! ヒト来るからっ! ね?」
「来(こ)ねぇよ」
下膳され、布団まで敷かれていて後は何の用があるというのだ。
しかもココは離れ。
誰も来やしない。
「いい声で啼(な)け」
頬の輪郭を確かめた指を、尚も言い訳がましく御託を並べて先延ばそうとする口唇に含ませ黙らせる。
「っふ、ぁ…………っ」
阻止しようとしたのか、だがしかし口腔内を弄(まさぐ)る隆司の手に縋った恋人のそれは眉を潜めて添えられるだけに留まる。
力の入らないらしい指先に嵌められたシルバーによって反射される月光。
自分と恋人以外、何者も居ない空間に散りばめられる水音。
「んンっ」
空いた手で肌蹴た浴衣から覗く胸の突起を掠めれば、仰け反る肢体。
一瞬、軽く歯が当たる。
自分に対する気遣いが窺える微かなそれさえも、言いようの無い快感を簡単に生む。
布の間を掻い潜って抱きこむ、素肌の背。
淡く色付いて誘う胸を食(は)んで、上がる悲鳴。
いつもながらの感度の良さに煽られ、満足気に舐め上げる己の口唇。
背筋の窪みを辿って下着に行き着き、油断している一磨を余所(よそ)に剥ぐ。
「っぇ、りゅ……ぁ、」
煙った瞳を見開いた恋人の狭間に潤した指でノックし、欲を伝える。
「ゃあぁ……ちょっとま、ひぅっ──」
縁を撫で、閉ざされたソコにゆっくりと進入を果たして中を確かめる。
知った場所をいじめてやると、途端に高く上がる声。
ビクビクと腰を跳ねさせて捩り、皺を深くした浴衣に一磨の快感を知る。
「ああぁぁあぁっ、んっりゅ、りゅぅ……っま、って」
どこか虚ろに潤んで決壊した瞳と出会う。
子どものようにグシャグシャに泣き腫らした顔で差し出される力ない掌に苦笑する。
雄弁な瞳に託された言葉にされない望みの通り、触れる唇同士。
「ンー……」
普段は表されない甘えに触発されて深くなる行為。
苦しそうに寄せられる眉に構うことなく、ちいさく卑猥な音を撒き散らしながら角度を変えて何度も貪る。
溺れて自分を求める姿に、治まることを知らない欲。
意地らしく胸の上で硬くなっている、その突起も。
勃ち上がり健気に震えて絡められる指を待っている、その欲望も。
赤く爛(ただ)れて収縮を繰り返し濡れそぼった、そのヒダも。
力なく己に縋る、その腕も。
他の誰でもない自分だけを映し出す、その瞳も。
しゃくり上げて舌足らずに名を呼ぶ、その声も。
全てが、狂わす。
「一磨──」
──愛してる。
「あぁあッ、ぁ……っ!」
溢れ出る愛情とも、執着とも、狂気とも判断つかないそれは飲み込んで、囁(ささや)く名と共にぬかるんだ恋人の中に切っ先を埋め込む。
身体を震わせ仰け反って受け入れる様を眼下に捕らえつつ、触れてもなかったのに爆ぜた欲望に指を這わせる。
盛大に余韻を引き摺りつつ怯えて引かれる腰を許さず、更に進める奥。
卑猥に散りばめられる、重ったるい水音。
「っぉね……も、っひぅぅっこわ、こわれ……っ」
「ん?」
食んで湿った音を絡ませ、耳朶に吹き込みながら低く問いかける。
ギュゥウっと締め付けられるナカに、気を抜くと持っていかれそうになりながら。
灼熱の蠢く蠕動を振り切り、掻き乱してポイントを突いてやれば、子どものように噎び泣く。
「ゃあぁぁああぁ……んぅじぃふ、っぇ」
己に翻弄され、なお乱れるその身体を抱(いだ)く。
ツヨク。
「っく、ゆぅし、てぇ……もぉ、もっぁ……っぁァアあぁああアッ!!」
ハクハクと引き攣る呼吸で、回らない舌で許しを請う。
──壊れちまえ。
煩わしい柵(しがらみ)もすべて忘れて。
見ててやる。
狂い咲く恋人に喰らいつきながら、二人で目指すは頂き。
「りゅ、じ……っきぃ──」
羞恥も外聞も何もかも捨て去った一磨が紡ぐ。
ちいさな、ちいさな、コクハク。
「──あぁ、俺もだ……」
快感と苦痛に顔を歪ませた睦言は、己を喜ばせるだけ。
掻き抱いた温もりに叩きつける、飛沫。
声も無く達し、弛緩した恋人。
月光に妖しげに艶かしく映える肢体。
言葉なぞ忘れ去り、上がる互いの吐息。
分かつ、空間。
肌を合わせることによる、充足感。
言いようの無い、幸い。
離れがたく、口腔内を荒らす。
「……ん」
指一本どころか舌さえも動かせないらしい彼は、隆司のすることをそのまま大人しく享受している。
時折ヒクリと動く不随意運動に、余韻から抜け出せていない事を知らされる。
「一磨」
「ん……?」
どこかを彷徨っている彼の思考は呼びかけに引き戻されたように、ふんわりと顔を綻ばせる。その表情に満たされたはずの満足感は潜め、身を焦がすほどの渇望(かつぼう)を再び教えられる。
──もう、ダメだな。
未だのどに絡むようにしゃくり上げる呼吸を繰り返す頬に、溢れ続けている雫の跡を遮る。
「後はやっといてやるから、寝ろ」
「ん……」
己に全幅の信頼を委(ゆだ)ねる一磨の、投げ出されたままの手を拾い上げる。
「おやすみ」
「ぅ、ん……」
鈍く光るシルバーに口付けを落として、隆司は眠りの縁に彷徨っていた肩を押してやる。
静かに月だけが、ふたりを見守っていた。
旅館が栗原の実家である事を知らされるのは、一磨が御礼を兼ねた土産を渡したその時。
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