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産む
「お疲れ」
客を玄関先にまで送って戻ってきた一磨を認めて、隆司は声を掛けた。
「あ、いろいろありがとうね、隆司」
「それほどやってない」
本日は一磨の職場の同僚が飲みに自宅を訪れたのだった。
男性看護師のみで。
医師や技師ならば、どちらかと言えば男性の方が多いかもしれないが、彼らは、今でこそ徐々に増えてはきているがそれでも女の職場。中々に鬱憤が溜まっているらしかった。
七病棟ある一磨の勤務している病院でも、男性看護師は両手で足りる数。
それを一番の年長者である一磨が時々自宅に彼らを呼び、飲んだり食べたりしながらざっくばらんに下らない会話をしつつ不安や憤りを聞いて吐き出させている。
それでないと、潰れてしまうから。
というのが、一磨の見解であるが、隆司的にはそれを受け止める恋人の方が気がかりである。
「内に籠るだけじゃなくて、言葉に出すだけでも違うからね」
──あんたに、そっくりそのまま、返してやるよ。その言葉。
淹れてやった緑茶を啜る横顔に、隆司は喉にまで出かかった言葉を飲み込んだ。
「『壁になる』……か」
「ああ、あれ? 俺もはじめの頃はビックリしたよ」
「今は慣れたのか?」
「それこそ、俺も『壁になる』よ」
勤続数年目のある彼の悩みは、休憩室での会話である。
女性看護師が大半なためか、意外と明け透けなく言葉にされる。
月経や不妊治療のことなど。
今月は重い、腹痛が、どこぞの病院がいい。
そして彼らは『壁になる』に徹底し、何もなかった聞かなかった振りをする。
職場では彼らは男の分類に入っていないらしい。
「まぁ、患者も高齢者ばかりだから、あまり認識がないのかもね」
クスクスと笑った一磨だったが、不意に寂しそうに笑った。
「……でもね、そんな話が出来て、ちょっと……ちょっとね、羨ましいなって、思う時があるんだ」
湯呑を握ったまま、一磨はどこか、空(くう)を見ていた。
その瞳に危うさを感じる。
「俺は赤ちゃんを産むこと、できないし、そういう血の繋がりを持とうとは思えないから。でも、ね。時々隆司の赤ちゃんは見てみたいなって、思う時があるんだ」
何を理由に、思うか。この馬鹿。
一磨は視線をそのまま、自分を見もしない。
「学生のときね、母性看護学っていうのの実習があってね。産婦さんと家族の許可を貰ってお産に立ち会わせてもらうんだけどね」
長い間お腹で育った胎児がゆっくりと回転しつつ、自分の頭を変形させながら狭い産道を徐々に降りてくる。母体も児も命がけだ。
出生した喜びはそれは、大きなものだ。
「学生だった俺も、他の子も皆で喜んだよ。もちろん、褥婦さんも旦那さんも家族も」
ただ、それだけに『喜びの出生(しゅっしょう)』にばかり焦点が行きがちなため、命がけなことにはどうしても陰に隠れがちだ。ある意味、手術もお産もそれほど変わらないのかもしれない。その為に、なぜ、こうなった?!と起きる訴訟。恐れて辞める医師。減る出産場所。悪循環は続く。
「俺、早苗(さなえ)さんが一生懸命産んで育ててくれた、隆司を……」
隆司は無言で、一磨の握りしめていた中身のとっくに冷めた湯呑を取り上げた。
「……言いたくはなかったが」
溜め息をついた音に、振るえる薄い肩。
どこまで馬鹿なんだ、こいつは。
「俺は生粋だ」
「……ぇ?」
やっと自分に向けられる、戸惑いの瞳。
困惑を隠せない顔に這わせる指先。
「何年、あんたの事を見てきたと思ってる」
「……よく、解んないよ?」
──そういえば、言ったことなかったかもしれない。
「出会って、二年だ」
「? 会ってから二年って、隆司、まだ小学生だよね?」
そう、はじめはその月にしては暑い、青い若葉が茂る頃。今から十年以上前。
「だから、『生粋だ』って言ってるだろ。因みに、あの二人も知ってる」
直行(なおゆき)も、早苗も。
声もなく瞠目する相手に、隆司は口角を上げる。
「────え……」
「あんたがどうとか関係ない。俺があんたを選んだ。ただ、それだけだ。お腹を痛めて産んだ俺より、あんたがしあわせならば、いいと」
息子の幸いよりも、一磨のそれの方が大切であると、彼女はいっそ清々しいほど言い切った。
彼女には、本当に敵わない。
すべてを見透かされる。それが、母というものだろうか?
クスリと笑って、隆司は未だに呆然としている一磨の唇にそれを落とした。
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