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「おい、そろそろ──ッ何やってる!」
荒げられた声とともに痛いほどの力でシャワーの下から引っ張り出され、渋面の男に抱えられる。
「誰も、冷水を浴びろとは言ってない。しかも服のまま」
自分が濡れるのも顧みず密着した、男の溜め息にも気付かず思考に沈む。
「……どうし、よ……」
高速で流れる水の行方を瞳に映しつつ、顔の無い母親とあの男の姿が浮かんでは消える。
本当に、狂わされていた。
すべて。
どの様な経緯があって、母とあの男が出会ったのかは知らないし、知りようもない。鬼籍の住人に問う事も、ましてや再びあの場所に赴くなどとはもっての外。だが、その一つの出会いが、彼女の運命の歯車を狂わせた。確実に。
出会わなければ、手篭めにされる事も、愛していなかった男の子どもを身籠り更には産み落とす事も、こんなに早く人生の幕引きをすることもなく。もしかしたらごく一般的なサラリーマンを夫に迎え、一般的な家庭を持った、一般的な妻に母になっていたのかもしれないのに。
「──い、おい?」
それが──。
「一磨!」
「……ぁ、……りゅぅ、じ?」
「俺を、見ろ」
ジンジンと広がる頬の熱に、痛いほどに捕らえられた二の腕。
のろのろと目を向ければ、眉間に皺を寄せた大切な家族であり、息子であり、恋人の顔。
徐々に戻ってきた感覚を大きな掌に包まれ、視線を合わされる。
「……くやしい、よ」
ポツリと漏れた、分厚いガラスの向こうから聞こえるような自分の言葉に気付かされる。
そうか、腹が立つのか。
顔も覚えていない母に対しての仕打ちを。
辿り着いた感情に、荒波のようにメチャクチャだった心情は若干だが静けさを取り戻す。
迷子だったのかもしれない、彼女も。
どうしようもない男たちに、見向きもしない息子。
コレではあまりにも彼女がかわいそうだ。
言いようの無い恐怖。まるで暗闇の中を彷徨っているような。何もない空間は次第に自身も侵食する。歩いても歩いても見出せない他者に、徐々にソコの自分という存在にすら疑問を持ちはじめ、境界もあやふやになる。実際に一磨自身も経験した。
違いは、迷い込みそうになれば直行が早苗が、時に隆司が。力強く、暗闇から一磨を引き上げてくれた。しかし、彼女には何もなかった。
周りに居たのは、己を苛む男と気付かない振りを続けていた息子。
見向きもされないのは、当然だ。自分はそれに相当する──いや、それ以上の仕打ちを彼女にしたのだから。あまりにも自分勝手だ。
「……俺、キタナイ、よ……? 本当は、居ちゃいけない……」
居なかったかもしれない、要らなかった子。
存在を抹消されていたかもしれない、居場所のない子。
泣いているのか笑っているのか、一磨自身にも判断つかないまま顔を歪める。
「どう、したら、いぃ……?」
あまりにも遅い、今ごろ気付く罪の重さ。
「あんたが何に、煮詰まっているのかは知らない。いいか、よく聞け」
迷子の子供の心許(こころもと)なさを如実に表したかのようにか細くなる語尾に、焦れたような声音が重なる。
「あんたは、あんただ。他の誰でもない」
「っだって、」
何も無い。
本当に、ナンニモ。
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