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 そういえば隆司が何故怒っているのか、結局理由は聞けずじまいのままだ。  当たり前の事だが、やはり墓石は何も言ってはくれない。  下から見上げる「芹沢」の字。 「これから、どうしよう」  薄暗くなってきた空を見上げて、そうだ海へ行くのだったと思い出した一磨だった。 「……寒い」  一磨は両腕で自身を抱き込んで背筋を丸めた。  真冬の海岸を侮ってはいけなかった。強風の吹き曝しで、日は傾いているため光は更に弱く、海の上には重く雪雲が乗っかっている。  そして、一磨はジャンパーを着てはいるが中は基本的に薄着だ。  他に人も居らず、てくてくと砂浜を歩いていく。夏でもこの地域は遊泳禁止の区域である。  足を取られつつ進む先には、波が音を立てる。  あれほどぐちゃぐちゃだった思考は、現在は思いのほか静かだった。 「初心」  栗原に言われた通りに戻ってみた。海。海岸。  それが一磨のはじまり。  日常と化していた母の恋人たちからの暴行にも、自分の生き方にも将来にも全てに嫌気がさして夜の街に繰り出した、十六。ボロボロになって、たどり着いたのは海。  生物の起源はここって本当か、などと考えつつ、冷えた身体を海水に浸けた。  そう、こんな様に。 「冷たっ!」  大きめな岩に腰掛け、靴も靴下も脱いだ素足を浸した途端、思わずちいさな悲鳴が上がった。  痛みを訴えるほどの冷たさに、刺激が背筋を昇っていく。  いくら若かったからとはいっても、当時の自分は難なく入水自殺未遂までこなしたのだ。それだけ必死だったとも、考える余裕もなかったともいえる。新たな発見だ。  ともかく、呼吸ができなくてなって意識が薄れてやっと終わりになると思ったら、若い男の声と左頬に衝撃を受けて文字通り叩き起こされたのだ。  ──それが、直行だった。  後にも、先にも彼の本気で怒った顔を拝むのはこれが最初で最後だった。 『この、馬鹿野郎! 何てことしてる!』  あまりの事に呆然としている一磨に彼は更に怒鳴った。 『死んだら、どうする!? 何にもならないんだぞ!』 『ごほっ、……うる、さっ……』  急激に入ってくる酸素に肺が痛みを訴える。咳き込みつつ、反論しようとしても声にならない。 『っ、あんた、なん、ごほっ、っかに……』 『ああ、解らないさ。解りたくもない。でもな、俺の目の前でそんな事する様な奴がいたら、問答無用で阻止する』  なんて勝手な。そして迷惑。ほっといてくれ。頭に過ぎった言葉の全ては声にならなかった。かわりに── 『あんた、何様だ』  すべてを凝縮した文句が口を吐いて睨みつけた。  怒鳴って息を切らせていた直行は目を見開いて、そして徐(おもむろ)に一磨の頭に手を乗せると撫で始めた。 『っなん、離せっ』  こんな事されるのは初めてだった。母親には撫でられたことはおろか、会話もまともにした覚えがないのだ。まして、赤の他人になんて。  相手の考えていることがさっぱり解らず混乱していると、彼は満足そうに微笑んだ。 『いい顔するじゃないか。もったいない』 『っはぁ?』  止めさせようとしても大きな手は関係なく、びしょ濡れの頭を掻き回した。  今まで、散々自分をいたぶる手には出会ってきたが、こんな暖かな手は感じた事がなかった。  戸惑っている一磨に彼は手を貸し、起こしてくれる。 『言いたくなければ原因は聞かないけど、折角助けた命なんだから、俺の前で死ぬな』 『……あんたなんかに関係ない』 『うん? 知ってる? 自殺ってとっても迷惑なんだよ? まぁ、当人はいいかもしれないけど、死亡確認するこっちからすると堪ったもんじゃないよ。皮膚がぼろぼろとか、ぶよぶよとか……やっぱり、一番の理想はポックリ老衰だね!』 『医者かよ。説教なんか、聞きたくない』 『タマゴだけどね。これは、俺自身の持論。そんな、他人に語れるほどいい人生は送ってないよ』  あははーと笑う彼に毒気を抜かれて、構っていられるかと一磨は踵を返した。  まだ頭は重いが、この人間に関わっているとろくなことがなさそうである。 『おーい、少年! また、どこかで会えるといいねー!』  風に乗って、彼が自己紹介する声が聞こえたが、ただ一磨の耳を通り過ぎただけだった。

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