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脱衣所に置かれた着替えを身に纏ってリビングへ足を向けると、そこには隆司がソファに座っていた。
背中も、大きくなった。それ以上に精神的に。
「あの、隆司。服、ありがとう。あの……」
「飲め」
示された場所には、湯気を立てた生姜湯。
泣きたくなるほどの彼のやさしさ。自分は、本当にこの手を離すことができるだろうか。
いや、離さなければ。
自分の我がままで彼の歩みを止めるなど以ての外だ。
「あのね、りゅ」
「栗原さんから電話が来た。あんたの体調はどうだっつって」
「え? あぁ、そうか。心配掛けちゃったかな」
普段は人の話を遮らない彼を不思議に思いつつ、納得した。それで隆司は海に現れたのだ。職場で一磨が零した言葉を栗原は覚えていて、彼に伝えたのだろう。
しかし、隆司が迎えにくる理由にはならない。
首を捻っていると声を掛けられた。
「あんたは、あそこで何しようとしてた」
「? 初心に帰ろうと思って」
隆司に探るように、瞳を見つめられる。顔をまじまじと見るなんて久しぶりだった。それこそ、一週間ぶりだ。
怪訝そうな顔から、その辺りは栗原から聞いていないのだと判断して、一磨は端的に伝えた。
「答えは出たか?」
彼の瞳を見ていられなくて、こくりと頷きつつ視線を下に外す。
ぽつりと、静かに、口にする。
「──やめるよ、『家族ごっこ』」
ふわりと微笑んだ。
周りの音がすべて、消えた。
言葉に出してしまうのは、思いのほか簡単だった。
それによって、すとんと納得した。
──ああ、すべてが終わる。
「……そうか」
「うん」
進まなければならない。
「ありがとね、隆司」
心の底からの言葉。
一週間前のように、謝罪の言葉ではなく感謝の言葉を。
保護者の、父親の、家族の役目を果たせなかったのは自分。
いつまでも手を離せていないのは、自分。
彼には申し訳ないことをし通しだ。
両親の事故車両に同乗し、奇跡的に隆司だけは助かったが、閉じ込められた車の中彼らのあの無残な状態を眼にしたはずだ。
そんな彼に、ずっと助けられ続けている。
「いや」
くしゃり。
うつむき加減の頭を撫でられる。
あの時の直行と同じ、あたたかい手。
そして、離れていく手と足音。
閉まる扉の音を聞いて彼が去ったのを知らされる。
────おわった……。
六年間の生活の終止符は存外、あっけないものだった。
次第に広がっていく、虚無感。
離された、離した手はそれだけ一磨の中心だった。
全てだった。
失くした存在の大きさを改めて知らされる。
やさしく頭へ置かれた手、掴まれていた左腕。
どちらも、今だ暖かく感触が残っている。
「──っふ、」
ぬくもりを感じるその腕に縋るようにして、後悔と悲しみが混ざった滴が勝手に決壊する。
一磨はその溢れ出たものを止めるすべを知らない。
不本意な身体の快感から流させられるものでなはく、こころを伴った涙は流さないように、自分を戒めてきたから。
役目が、終わってしまった。
──親子の関係が。
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