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「隆司、そっち狭くない?」 「ああ」  何をやっているのだと自問している声と、仕方がないとの声との両方が頭を過ぎる。  ヤツを構うのは好きだ。  そんな甘さに自嘲する。そこまで愛されているとは思っていない彼は、事あるごとに不安を感じるようである。幼い頃から虐げられてきたのも一つの要因であろう。  布団に潜り込んでうとうとし始めている、ちいさな頭を撫でてやる。  おれがお父さんなのにー、子ども扱いするなーなどとぼそぼそという文句の言葉も呂律が回らずに段々怪しくなってくる。 「……しばらくって、いつまでだ」 「んー……?」 「こうして寝るのがだ」 「んー……あと、はん、と……し」 「はあ!?」  驚いて飛び起きると、ヤツは既に規則的な寝息を立てていた。これほどまでにこいつの寝つきのよさを恨んだことはない。  隆司は片手で顔を覆って天を仰いだ。 「ひでぇ冗談」  言葉通り、一磨は朝早くから職場へと出かけていった。顔色の悪さは昨日よりも更に悪くなっている。あれではどこかで倒れかねない。相手に感じる不安を奥深くに押し込んで、隆司は一磨を見送った。  そんな隆司の横には、能天気な友人が家へ勝手に上がりこみ居座っていた。 「いやぁ、おにーさん。機嫌悪いねー」 「とっとと消えろ、カス」 「かっ……ヒドイー。心配してあげてるのにさー。どーせ、かずさんと喧嘩でもしたんでっおっとっ、死ぬ! 当たったら間違いなく死ぬ!」  壁に突き刺さった出刃包丁を示して聡志(さとし)が喚く。 「死ね」 「隆司、俺たちの間には、愛は無いのかー」 「欠片も無い」 「俺とかずさんの間にはありまーす。さあ、話して御覧なさい」  包丁に続いて飛んでくる危険物を難なく避けながら、高校のときにダブって同学年になり、また一応友人のカテゴリーに入っている一つ年上の聡志を睨みつけた。 「うるせえ」 「……まあ、外野がなんかいっても始まらないねー。で、その鍋、中身なに?」 「たまご粥」  変わり身の早い聡志に小鍋を差し出す。 「へえ、めずらしー。あ、かずさんが食ったの?」 「夜吐いてやがった、あの馬鹿」 「なんで? 調子悪いの?」 「知らねえ」 「あー……それでねー」  納得したように、聡志はなべの中を突っつく。あっという間に粥は胃袋に収まる。一磨はその半分の量を倍以上の時間を掛けて食べたのだ。いや、無理やり食べさせた。 「かずさんは何かあっても、なんにも言わないからねー」 「ああ」  すとんと眠りに就いたかと思ったら、夜中にベッドから抜け出して一人、洗面所で戻していた。本人は気付かれたくないのだろう。嗚咽を殺して。  そんな場面にひょっこり顔を出して『どうした?』なんて馬鹿なことはできるわけが無い。やつは自分で訳を言うとしっかり口にしたのだ。それを待たないでどうする。 「まあ、俺が口出しすることじゃあないけどねー。相手が言うのを待つのはいーけど、必要なときには話しなよー」 「……ああ」  口調は軽くても、会話が足りずにすれ違って、大切な恋人とほろ苦く別れた男の言葉は重かった。 「で? 今日の俺の昼飯はー?」 「ぁあ? お前なんかにやる飯はない。一日位喰わんでも死なん……電話だ」  文句を垂れるうるさい友人を捨て置いて、隆司は受話器を上げる。その内容に眉をひそめた。指定された場所をメモにとり、上着を羽織る。 「じゃあ俺、帰るわー」 「ああ」  電話のやり取りを横目で見ていた聡志は既に帰宅の準備が済んでいた。話の早いヤツは助かる。  ぺしっと頬を軽く叩かれる。痛みは無い。  見上げると、そこには何かを悟った顔。 「しっかりやれよー」 「うるせえ」  言われなくても。  先に外に出た聡志の長い髪が風に流されるうしろ姿を見送りながら、隆司も歩みを速めた。  呼び出した人物は一磨の同僚であった。昨年で定年になるまで一磨と同じ病棟で仕事をしていた栗原だった。現在では彼女はパートで外来勤務をしている。  ねぎを切る手を止めて、隆司は彼女から貰ったタッパに入った惣菜を振り返った。 「どうしようも、ねぇな」  現在は自宅に戻り、夕食の準備をしている真っ最中である。結局、一磨は朝に出て行ったきり戻っては来なかった。  まな板に向き合って、続いて魚を捌きに掛かる。本日は、魚の煮物。  黙々と食材と格闘していると、今まで魚目当てですり寄っていた猫たちが不意に離れて玄関へ急いでいく。  帰ってきたか。 「ただいまぁ」 「ああ」  顔色は悪いままだ。再びキッチンに向けた背に視線を感じて、顔を上げる。  荷物も置かず、靴を脱いだだけでヤツは突っ立ったまま。 「冷えるぞ」 「何で、優しい、の? ねえ、隆司。嫌いになって……?」

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