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お買い物
一磨は冷蔵庫を開けて、目当ての品物を発見する事が出来なかった。
「……あれ? 牛乳無くなった?」
「あぁ、夕食に使ったら切れた」
「そっか。じゃあ今夜の夜勤終わったら、そのまま買ってくるね。他に欲しい物ある?」
冷蔵庫の中身を見渡すと、そろそろ買出しをしてこなければいけない時期に差し掛かっていた。澤崎家は大概、週一度か二度ほど買い物に出て大体が済む。
肉、魚、卵、野菜、そういえば調味料も少なくなっていた。
買い物をリストアップしている一磨の横で、隆司は頬杖を突きつつ口を出した。
「あんた、昼前には仕事終わるな」
「? うん。特に急変とかなければ」
「それなら、仕事終わったら連絡しろ。あんたさえ良ければ、昼食摂ってそのまま買い物すればいい」
「うん、仕事終わったらそのまま行くつもりだけど……隆司に連絡するの?」
疑問符だらけの一磨に溜め息を吐いたその息子は、何でもないことのように言った。
「一緒に行けばいいだろ」
「う、ん……? ……買い物? 隆司と二人で?」
「だから、そう言ってる。あんた一人で持てるのか? この量を」
思わぬ提案に頭が付いていかず、ぼけっとした一磨に彼は軽く溜め息を吐いた。
「えっと、一緒に荷物持ってくれるのはうれしいけど、大学やアルバイトは?」
「明日休日。バイト休み」
「あ、そっか」
この仕事は土日祝日、昼夜関係ないため曜日感覚がそれ程無い。
唯一の判断材料は曜日ごとに病衣交換があったりシーツ交換があったり検査の多い日、持続点滴のルート交換などである。それも昼間の勤務でないと当たらないため、夜勤が続くと全く解らない。
「ありがと。お願いします」
「ああ」
珍しい事もあるものだと思いつつ、一磨は二時間後の夜勤に備え睡眠を取って自宅を後にした。
あくびをかみ殺しつつ、一磨は目的地へ急いでいた。
丁度帰り際、患者の家族に呼び止められ説明をしていたら長くなってしまった。
彼らには仕事中も仕事終わりの看護師も判断できないため、対応せざるをえない。
そして、何故か一磨はよく患者にも家族にも声を掛けられる。声を掛けにくいよりはいいのだろうが、それもちょくちょくあるので、そんな雰囲気なのだろうかと首を傾げる。
しかし、休日は本当に混む。
普段平日休みの方が多いため、空いている状態に慣れてしまっている所為かとても人が多く感じる。
隆司との待ち合わせ場所に向かっている間も、何度人にぶつかりそうになったことか。現在進行形である。
そういえば、隆司と待ち合わせして出掛けるのは、もしかして初めてのことかもしれない。
普段から二人でどこかに出掛けることもないし、唯一一緒に出掛ける墓参りは同じ自宅に住んでいるため必要ない。
──……っ。
自分の脳裏に浮かんだ、恥ずかしい単語を紛らわせるように一磨は赤くなった頭を軽く振った。
顔が熱いのは、急いでいるから。きっとそうなハズ。
約束のカフェの扉をくぐれば、すぐに隆司の姿を見つけることができた。
彼はまだ気がついていないようだ。
普段は掛けていない眼鏡によって印象がガラリと変わる。
手にした文庫本と相俟(あいま)って知的な雰囲気を漂わせる。
とても二十歳前に見えない落ち着き様である。
彼が息子であることを誇りに思うことと同時に、自分の不甲斐なさが浮き彫りとなりショックを受けることも事実。
夜勤明けのためか、これまたぼんやりした耳に届いた言葉に一磨の意識は注がれた。
「あの、奥の男の人カッコイイよねー」
「ねー。一人で本読んでて、誰か待ってるのかな?」
「声、掛けちゃうー?」
──隆司のこと、だ……。
どう、しよう?
若い女の子三人の楽しげな会話によって声を掛けにくくなってしまった。
彼女らの話題の中心の隆司にこれから、三十のおじさんが相席したとしたら一体どんな反応になるだろう。
「あ、こっち向いたよ! どうするー?!」
考え込んでいると、隆司が顔を上げた。
──……ぅ……。
突っ立っていた一磨を確認したその顔の眉間に皺が寄る。
「着いたなら、声掛けろ」
素早く眼鏡と本を仕舞い、伝票を持ち、ついでの様に一磨の首根っこを引っ掴み、低い声で囁かれた。
「ご、ごめん……」
逃げ腰になるのを許されず、店先へと追い出される。
「ここでお昼食べるんじゃないの?」
「違う」
「ふーん」
一磨にしたら、どこで食事を摂ってもあまり変わらないため、そこは隆司にすべて任せた。
スタスタと先を急ぐ彼に置いていかれないように足早に歩みを進めていると、その顔がふと思いついたように振り返った。
「おつかれ」
「あ、うん、ありがと。遅くなって、ごめんね」
「ああ、待った」
「ぅ、ごめんなさぃ……」
「行くぞ」
連れて行かれたところは落ち着いた小さな和食の店だった。
ランチタイムは日替わりの様々な魚のから揚げ・天ぷら・煮物・照り焼きなど自分の好きな料理一品を選択して、それにご飯と味噌汁と鮮度の良い刺身、お浸し、お新香が付いて千円出しておつりが帰ってくるという破格の値段。そして美味しさ。
一磨はそれらを堪能した。
そして、なぜか常連らしい隆司。
店員や他の客からも声を掛けられ言葉を交わしている。
普段自分が見たことの無い息子の姿が新鮮だ。
いつもはどちらかといえば大人びている彼が、年上の男達に可愛がられている光景はある種微笑ましい。
お腹いっぱいになってお茶を啜っていると、お店のおばちゃんから今度は一磨に声が掛かった。
「おにーさん、たらふく食べたかい?」
「はい。おいしかったです」
ふにゃりと微笑んだ一磨に彼女は気を良くしたのか、湯飲みにお茶を注いでくれながら笑った。
「気に入ってくれたんなら良かったよ。隆司が聡志(さとし)以外とここに来るのは、はじめてだよ。友達かい?」
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