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最期の夜 前編
※「とある使用人の日記」の番外編です。
本編を読まなくても大丈夫だと思いますが、読んでいただけたら、尚楽しめるのではないかと思います(*´ω`*)
昭和30年8月30日、快晴、蒸し暑い
ひどく蒸し暑い夜だ。
零夜様も会社から帰宅されるや否や、水を浴びに行かれた。
「あ~冷えた冷えた」
「あまり勢いよく水を浴びると、風邪を引きますよ」
僕が呆れたように言うと、「背中、拭いて」と零夜 様は手拭いを差し出される。
それを受けとり、水滴を吸い取るように優しく手拭いを押し当てる。
手拭いでごしごしこすると、肌を傷つけてしまう。
……これは、僕が使用人だった時に教えてもらったこと。
ご主人様の肌を拭くときは、傷が残らないよう、丁寧に優しく拭き取ること。
幼い頃、僕の教育係の使用人に教えてもらった。
僕は、その昔、鷹取家という華族のお屋敷で使用人として雇われていた。
鷹取零一 。
僕が知る中で、一番美しく、優しく、上品で、どの紳士よりも紳士だった。
そして、僕の最高のご主人様であり、最高の恋人だった。
27歳という若さで、自殺された鷹取家の当主。
零夜様は零一様のご子息で、鷹取家の跡取り息子だった。
だったというのは……使用人である僕と零夜様は、13年前駆け落ちをしたからだ。
当時、17歳だった零夜様と43歳の僕。
普通であればセンセーショナルな話題になっていただろうが、当時、次期当主が使用人と、しかも26歳の年上の男と駆け落ちしたことを恥じた家の者が、裏から手を回したのだ。
零夜様は、17歳で亡くなったことになっている。
現在、零夜様は30歳。僕はさらに歳を取って、56歳。
零夜様は名前を「雨宮礼也 」と改めて、関西の鉄道会社に勤めている。
戦前、戦時中と苦しい時代を二人で耐え忍び、やっと安定した生活を手に入れたのだ。
幸せな生活が確立し始めた頃、最近同じ夢を見るようになった。
「筆まめだなぁ~、ミツは」
日記はまだ続けている。
1日の最後に何か書かないと落ち着かないのだ。
零夜様はあっという間に零一様の歳を越えてしまった。
そして、顔立ちも瓜二つ。
僕はたまに……本当にたまにだが、零一様と重ねてしまう。
「何書いてるの?見せてよ」
「だめです」
似ていないのは、性格だろうか。
零一様は優しく、思慮深く、どちらかというと物静かな方だった。
一方、零夜様は賢い方だが、自由奔放。
小さな頃からイタズラが好きで、僕に叱られてばかりいた。
零一様の遺書の中で、『私は零夜に生まれ変わる』と書かれていた。零一様がいたずらっ子に生まれ変わったのかと思うと少しおかしい。
夜、蚊がひどいので、蚊帳を吊った。
その中に布団を敷いて、床に入る。
横になっていると、隣で寝ている零夜様の指が僕の寝間着の中を這い回った。
「零夜様……またお戯れを……んっ」
零夜様は僕の胸の突起を指で擦り始める。
「こんな老いぼれの体をいつまでも抱いて……」
「ミツは老いぼれじゃない。会社で同じ年くらいの人に比べたら……いや、若い奴らと比べても、ミツは綺麗だよ」
後ろから抱き締められ、首筋に唇を寄せられる。
僕のにおいを体内に取り込むように、零夜様が大きく空気を吸い込んだ。
「肌も50代とは思えないくらい綺麗で、色白で、タバコも酒もやらないから匂いもなんだかいい匂いがする……」
「零夜様……くすぐったい……」
僕が小さく笑うと、零夜は僕の上に乗り、手首を布団に縫い付けた。
「二人っきりの時は、零夜様じゃなくて、『零』でしょ?」
「……はい、零」
唇が重なる。
今晩もまた、淫らに体を開き、零夜様に体を捧げるのだ。
汗が粒となって、零夜様の肌を滑る。
体が密着する度、汗や精液、唾液が混じり、もうどちらのものか分からない。
ただ、湿り気を帯びた肌だけが、ぶつかる音が響いた。
「……っミツ!もう……イキ、そう……!」
「あ……っ、はぁ……イって……、下さ……ぃ。僕のナカで……!ひぁ……っ」
ナカで弾けた白濁したものは、僕のナカを満たして、溢れた。
――――
「ミツ、今夜は食事に出掛けよう」
零一様が黒い外套を羽織りながら、僕に声を掛けてくる。
ポマードで美しい黒髪を後ろに流し、凛とした眼差しは心を揺さぶられるほど美しい。
「零一様……」
よく見ると、ここは鷹取家の零一様のお部屋。
また、この夢だ。
「どうした?ミツ、具合でも悪いのか?」
「いえ……あの、どうして急に?私など、誘っても、何も楽しくなんて……」
誰もいないのを良いことに、零一様は僕の耳元に唇を寄せた。
「どうして、そんな卑屈なことを言うの?私は、君がいいんだ」
口づけもできそうなほどの距離。
この人は、僕が拒否できないことを知っている。
だって、僕はいつだって貴方をお慕いしているから。
「……はい」
これは、零一様との最期の夜。
大正15年3月7日、晴れ時々曇り
急に零一様から「食事をしに行こう」と誘われた
この次の日、零一様がこの世からいなくなるなど思いもせず。
僕は、急な誘いに浮き足だっていたのだ。
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