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最期の夜 後編
僕も茶色の外套 を着て、玄関に向かうと、妻である芳子様がいらっしゃった。
「三ツ夜さん、素敵な外套ね。とてもよく似合ってるわ!」
零一様からもらった外套だ。
無邪気に、愛らしく微笑む芳子様。
本当は額を床につけて謝りたかった。
零一様、そして零夜様を奪ってしまい、申し訳ありませんでした、と。
そんなこともできず、僕はただ笑顔を作ることしかできなかった。
「零一様も、たまにはこういう色の服を着てみたらいいのに」
「私は似合わないから、いいよ」
微笑みながら語らう夫婦の姿は、僕の心を温かくしたのと同時に、この後に起こる出来事のことを思うと切なさがこみ上げた。
「さ、出掛けよう」
鷹取家の自家用車で日本橋まで行くと、高級料亭に着いた。
料亭の女将さんが、入り口で出迎えてくれて、中へ通される。
通されたのは個室で、机を挟むようにして、座る。
次々と運ばれてくる料理はどれも美味しそうだったが、僕はあまり味わえなかった。
初めての高級料亭で、僕はガチガチに緊張していたからだ。
その様子をみていた零一様にクスクスと笑われてしまった。
「そんなに緊張して……せっかくの料理が味わえないよ」
「でも、こんな料亭、入ったことないから……緊張してしまって……」
ふふ……と零一様が笑うと、僕の隣に座った。
鯛の刺身を箸で持ち上げ、僕の口元に持ってきた。
「な、何を……」
「何をって、食べさせてあげようかと思って」
「じ、自分で食べられますっ」
「そうか……でも、これは食べておくれ」
優しい言い方だが、有無を言わせない微笑みに、僕は躊躇いながらもその刺身をぱくりと食べた。
「美味しいかい?」
「……はい。こんなお刺身、食べたことない」
良かったと零一様は安堵したように笑った。
料理を食べて、少しだけお酒も呑んだ。
支払いは全て零一様が済ませ、外に出た。
僕は普段あまり飲まないお酒に少しだけ酔っており、少しふらついた。
零一様が僕を支えると、どこかの狭い路地に僕を連れ込み、革の手袋で唇をなぞられる。
「だ、誰か来たら……」
「誰も来ないさ」
「でも……見られでもしたら……」
鷹取家の当主が使用人と、しかも男とこんなことをしているのを見られたら終わりだ。
「その時は、夜汽車に乗って、遠くまで逃げよう。そうだな……海まで行って、船に乗って、外国にでも行こう」
歌うように言う零一様の冗談は、なんだかおかしくて、少し悲しかった。
この人が死んでしまったなんて、今でも信じられない。
止められない夢に、悲しくなる。
重なる唇ばかりが、やけに温かく感じた。
「今度は浅草に行こう」
日本橋から浅草までは距離があったため、タクシーを電話で呼んだ。
タクシーなんて高級なもの、僕には縁がないと思っていたけど、初めて乗るタクシーに僕はとてもわくわくした。
後部座席に座りながら、流れていく景色を眺めた。
スーツを着た人、着物を着た人、犬を連れた人、ガス灯の明かり。
全てが懐かしく思えた。
浅草に着くと、零一様は僕の手を取り、「こっちだ」と少し興奮しながら、人波を進んで行く。
今思えば、こんなにわくわくしたような零一様の笑顔を見たのは初めてだったかもしれない。
「ミツ、ここに連れてきたかったんだ」
そこは、大きな看板が何枚も掲げられた映画館だった。
中に入ると、うっすらと明かりが灯っている。
「活動写真なんて初めてみます……」
「きっと感動する。白い布に映し出されるドラマにね」
零一様は僕の手を引いて、席に誘導した。
ふかふかとしたシートに座ると、目の前には大きな白い布。
前の方では、バイオリンの音がする。
「零一様、何故楽器の音がするのですか?」
「今夜は特別なんだ」
「特別?」
当時はトーキー(有声)映画じゃなくてサイレント映画が主流で活動弁士という人が説明や俳優の台詞を読んでいた。
そして、今夜は特別楽団が来て、音楽をつけてくれるらしい。
「さ、始まるよ」
その言葉を合図にするかのように、ふっと明かりが消えた。
音楽が流れ、活動弁士が静かに語り始めた。
その映画は恋愛映画で、貴族のお嬢様と執事の許されざる恋の物語だった。
『私、あなたが好きです……例え、許されない恋だとしても』
スクリーンの女優は切ない瞳で執事役の俳優を見ている。
その時、隣で見ていた零一様の手が、僕の手に重なった。
『私もです。お嬢様……』
話が進むたびに、零一様と僕たちの関係を重ねてしまう。
僕の手の甲を撫でる指が愛しくて、もどかしい。
もっと触ってほしい。
そういう意味を込めて、握られた手を少しだけ握り返した。
映画館を出た後、車を呼んで、家に帰った。
僕の家に着くと、零一様はぎゅっと僕を抱き締めた。外套も脱がずにベッドに押し倒される。
「零……?」
「春といえども、寒いね。早く温まりたい」
頬を撫でる手袋の感触がもどかしくて、僕が零一様の手袋を脱がして差し上げた。
大きな手が、長い指が、僕の体の形をなぞるように滑っていく。
「早く、僕で温まってください……」
「ミツ……本当に可愛いな、君は」
お互い服を一枚一枚剥がすように脱いでいく。
冷えていたはずの体が、いつの間にか火照って少し汗ばむ。
僕は両足を抱え、孔が見えるように拡げると、零一様は指を一本ずつ入れてほぐしていく。
「ん……っあぅ……」
高貴な零一様が僕の汚いところを犯していく。
その背徳感と優越感が、たまらない。
僕の感情に零一様もきっと気づいている。
「ミツ、もっと暖まりたい」
零一様が僕の中に侵入してくる。
押し広げるように、入ってくる感覚に背中が仰け反る。
そこから僕の最奥をコツコツと叩くように、律動が始まり、快感の波が迫り、うねり、飲み込んでいく。
「あっ……あぁ……っ!!零、れぃ……!」
「ミツ……綺麗だ……ずっと、私の物でいてほしい……」
ずっと。
その言葉を信じていた。
「死なないで……」
夢の中だから、零一様には届かない。
「置いていかないで……」
快感に歪む零一様は、僕の声なんて聞こえていないように、僕の奥にジワリと白濁を吐き出した。
夢が終わる前、零一様はポツリと何かを僕に言った。
――――
「ん……っ」
目が覚めると、何だか下半身が気持ち悪い。
これは、そう……異物感。
「ミツ、起きた?」
零夜様が僕の足を広げている。
まさかと思い、下を見ると見事に零夜様のモノを咥えこんでいる。
「ちょっ……!零夜様!?何をして……」
「ミツが色っぽくうなされてたから、たまんなくなってさ」
「色っぽくって……あぁっ」
ずるりと零夜様は自分のモノを引き抜く。
僕の粘液や零夜様の白濁液が混じりあい、ぬらぬらとしているのがいやらしい。
「朝から出すなんて……」
「ミツが色っぽいのが悪い」
「僕はもう、おじいさんですよ……?」
「こんな色っぽいおじいさんなら、大歓迎」
いたずらっ子のように笑う零夜様が、可愛い。
「朝御飯、用意できませんので、ご自分で作ってくださいね」
「え!?もう仕事なのに??」
「私は知りませんよ」
そう言って顔を背けてみると、「ごめんね」とご機嫌をうかがうように抱き締められる。
その口の動きに、僕は気づいた。
夢が終わる前の零一様が何と言ったのか。
「仕方ありませんね」
僕は大げさにため息を着きながら、震える体を支えてもらい、台所に立った。
終
お題「最後の夜」
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