4 / 9
天使に捧げる恋の歌
何本もの蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。
太陽の光も入らない地下では、蝋燭の火だけが頼りだ。
現在、この建物はオペラ座として改装されているが、昔は貴族の城として使われていた。
この地下は罪人をいれる大きな地下牢だったらしく、ひんやりとした石壁に囲まれている。
部屋の中には、ランプが置かれた机に大きめのソファー、作曲で使う大きなパイプオルガン。
石畳の冷たさを軽減するため、毛足の長い絨毯が敷かれている。
そして、奥には白い薄絹のカーテンで仕切った大きい寝台。
その寝台には、栗色の長い髪に白い肌をした少年がベッドに横たわっている。
17歳になったばかりの少年は、まだあどけない表情で眠っているが、ピンク色に染まった肌は昨夜の情交の跡が漂ってくる。
クリス=ライアン。
この少年の名前であり、このオペラ座のディーバ(歌姫)である。
クリスは五歳の頃に唯一の身寄りであった父が亡くなり、父の旧友であるイヴァン=エンドフィール伯爵が経営するオペラ座に引き取られた。
クリスは元々、バレエの講師であるオードリー夫人にバレエを習い、ダンサーとして舞台に立っていた。
クリスの美しい歌声をたまたま聴いたイヴァンは彼の才能を見いだし、ディーバに育て上げた。
育て始めたのは二年前、もうディーバとして立派に舞台に立っているが、クリスは未だにイヴァンの所にやって来ては、レッスンを受けている。
イヴァンは初めから、クリスのことを弟子としてだけではなく、恋人として接していた。
クリスは貴族であり、師匠であるイヴァンに引け目を感じ、なかなか恋人として受け入れられなかったが、イヴァンの情熱的な態度に強く惹かれていった。
イヴァンは五線譜に新しいオペラを書く。
いつだって音楽を紡ぐときは、クリスを中心に据えている。
しかし、右手で持った羽ペンは全く動かない。
薄絹の向こうで眠る愛しい人の顔が見たくなり、イヴァンは寝室に行き、眠る恋人を見下ろした。
(引退させるか……)
ふとそういう気持ちが頭をよぎる。
小さく唸りながら、クリスは寝返りをうつ。
左手の薬指にはダイヤモンドの指輪がキラリと光っていた。
(やっと、自分の物になったのに……)
自分の顔の右側がジクリと疼く。
このどす黒い独占欲に反応するように。
イヴァンは、肩ぐらいの金髪に、銀色の瞳、薄い桃色の唇はとても形がいい。
美貌の伯爵として名高いが、人は彼を見ると、そっと顔を背ける。
イヴァンの顔の右半分は常に仮面をつけている。
昔、政敵に屋敷を焼かれ、顔の右半分に大火傷を負い、焼け爛れたその顔はとても醜くなってしまった。
人前では必ず仮面をつけているイヴァンだが、クリスの前では外している。
『顔が醜くても、あなたはあなただから……僕はあなたを愛します』
愛する人に受け入れられる喜びを知り、さらにクリスの愛を与え、守りたいと思った。
「んん……」
クリスがゆっくりと目を開け、上半身を起こす。
舞台から見えそうな、首筋や胸元にはなるべくキスマークをつけないようにしているが、脇腹や太ももの内側には花びらのようにマーキングされている。
「イヴァン様……?」
「おはよう、クリス」
ちゅっと小さくキスをすると、クリスの栗色の瞳がとろりと蕩ける。
「今、何時ですか……?」
ベッドサイドに置いてある金細工の時計は、五時を指していた。
「まだ朝の五時だ。ゆっくり休みなさい」
イヴァンはベッドの端に座り、クリスの栗色の髪をさらりと撫でた。
昔は短かった髪も今では腰辺りまで伸びている。
歌もうまく、少女のような外見がオペラ座の観客に受け入れられ、今や『オペラ座の華』と呼ばれるクリス。
「髪を伸ばしなさい」とイヴァンがいった言葉を今でも忠実に守っている。
他にも約束ごとがあるが、クリスはちゃんと言いつけを守っている。
クリスはふと、自分の指に嵌められた指輪を見つめる。
「夢じゃなかったんだ……」
「夢だと思ったのか?」
「だって、こんな素敵なものを贈ってもらえるなんて思わなかったから」
「夢みたい」と笑うクリスがいじらしくて、押し倒したくなる。
昨晩、体を重ね合い、果てた後、イヴァンは紺色の箱に入った指輪を差し出した。
『これからも共に……私と永遠を誓ってほしい』
ふたまわりも違う少年に求婚するとは思わなかったが、クリスはそれを受けとると、目に涙を浮かべながら、承諾してくれた。
「こんな僕を好きになってくれて、嬉しいです」
「盛大に祝えないのが残念だが……」
この国は同性婚を認めていないため、クリスは内縁の妻という形でしか共にいられない。
「式ができなくても、あなたの傍にいられるなら、それで僕は十分です」
「いつか……クリスの故郷に行きたい。マーク……君の父上のお墓にも花を添えに行きたい」
「パパもきっと喜ぶと思います」
嬉しそうに微笑む姿が愛しくて、思わず抱き締めてしまう。
「クリスは……私が引退しろといったら、引退するか?」
急な言葉にクリスは思わず顔をあげた。
「……僕は、あなたが辞めろというなら、辞めます。だけど、あなたに教えてもらった歌を僕は歌い続けたい。僕にとってあなたは……いつだって『音楽の天使様』だから」
まだ小さなクリスは、時々現れる美しいイヴァンを『音楽の天使様』だと信じていた。
自分を育ててくれた天使の言葉は、絶対だった。
「僕は、いつだってあなたの言葉に従います。だけど、少し我儘を聞いてくれるなら、僕はもう少しだけ、あの舞台に立っていたい……。あなたの歌を歌いたい……」
祈るように話しかけるクリス。
イヴァンは頷き、「動揺させることを言ってすまなかった」と謝った。
「私の書くオペラはいつだって君が主役だ。私のこれからの人生の主役も、きっと君なんだ」
そっと唇を重ね合わせる。
甘い香りがクリスの鼻を擽った。
愛しい人の香りだ。
「僕もあなたと舞台に立ち続けたいです……」
fin.
6月3日はプロポーズの日☆
「天使に捧げる恋の歌」より番外編(アルファポリスにて連載中)
ともだちにシェアしよう!