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【リクエスト2】ブートニア
(どうして、お義兄 様はあんなことをしたんだろう……)
零時を超えた頃、如月 澄人 は愛馬のブランの背に乗って、屋敷の近くの湖にやって来た。
ブランは美しい白馬で、お義兄様から頂いたものだった。子馬の頃から大事に育てて、今では唯一無二の親友だ。
澄人は湖の畔に座り、深くため息をついた。
ブランは澄人の横で足を折り畳み、うとうとと眠っているようだ。
澄人は、ブランの鬣 をそっと撫でながら、湖面に映る星を見た。
(キラキラな世界。
あの結婚式のようだ。
お義兄様と志穂さん。本当に綺麗だった。
本当はちゃんとお祝いしたいのに、僕は……志穂さんに嫉妬してる)
澄人は、10歳離れた義理の兄である廉太郎 を慕っていた。
いや、愛していた。
心の底から愛していた。
如月家は華族の家で、江戸時代は公家の家として栄えてきた。
今は紡績や衣類の輸入や輸出をしており、29歳という若さで廉太郎は当主として家を支えている。
一方、澄人は先代の当主と、かつてメイドとして働いていた女性との間にできた子どもである。
認知はしてもらい、澄人の母が亡くなった後も面倒は見てもらっていたが、如月家の家族ではなく、「使用人」として育てられた。
そこで出会ったのが、長男の廉太郎だ。
長身の麗人で、頭もよく、小さい頃から「神童」などと呼ばれていた。
家族中が、澄人に冷たく当たる中、廉太郎だけは澄人に優しくしてくれた。
澄人は廉太郎を兄として慕いながらも、それ以上の感情を持つようになっていた。
それでも、その感情が表に出ないように心に蓋をした。
決して漏れぬように。
そんな義兄の結婚は、随分前から話があったのだが、何故か彼は断り続け、今回やっと結婚に至った。
結婚相手の志穂は、家柄も申し分ない、れっきとしたお嬢様。
初めは、澄人にもそれなりに優しくはしてくれていたが、如月家の澄人の立ち位置を知ると、すぐに使用人のように声をかけるようになった。
澄人は手先が器用であったため、家具の修理や衣服の修繕もできた。
彼女はそれを知ると、「カーディガンのボタンが取れたから付けてほしい」だの、「ハイヒールの踵が折れたから直して欲しい」だの、ことある事に澄人に修理するように言いつけた。
まだ婚約者という立場の時から。
そして、今回、結婚式の五日前に「ブートニアを作って」と命令された。
ブートニアという言葉を澄人は初めて知った。
「ブートニアとは何でしょうか……?」
恐る恐る聞いてみると、志穂にそんなことも知らないのかと言わんばかりにため息をつかれる。
「ブートニアというのは、新郎の胸元に飾るお花のコサージュのことよ。私のブーケとお揃いのブートニアをあなたに作っていただきたいの。義理の弟のあなたにね」
義理の弟という言葉をわざわざ強調して言われ、澄人は嫌な気分になったが、断る理由もないし、そもそも断ることもできない。
澄人は渡されたお金で、花を買い、他の仕事の合間を縫ってブーケとブートニアを作り始めた。
白いバラがいいという彼女の要望に応え、白いバラと黄色のガーベラやカスミソウを加えて、ブーケを作った。
ブートニアも同じような配色で作り、レースで巻いて、少し凝ったデザインの金具で止めた。
好きな人の結婚式。
どうせ僕は遠目にしか見ることはできない。
当日もきっと使用人のように働くのだ。
式の当日。
廉太郎に呼ばれた澄人は、式場の控え室へ行った。
白い燕尾服に身を包み、紳士然りとした姿は美しかった。
「澄人、来てくたんだね」
いつもの優しい義兄の笑顔は、荒んだ澄人の心を癒してくれる。
「ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。そういえば、このコサージュ、君が作ったんだって?」
「はい……。志穂さんに言われて」
「そう。綺麗なコサージュだ。君は本当に手先が器用だな」
絹の手袋をはめた義兄に頭を撫でられる。
手袋越しの手は、少し冷たい。
「このコサージュ、上手く付けられなくてね。君につけて欲しいんだ」
澄人はそのまま燕尾服の胸元にブートニアを付けた。
凛とした白薔薇と黄色の朗らかとしたガーベラが廉太郎の人柄を表しているような気がした。
「君が私の為に作ってくれて嬉しい」
その時の義兄の微笑みには、どこか影があった。
「さ、もうすぐ式が始まる。席に戻って」
「席?」と澄人は首を傾げる。
廉太郎は、少しキョトンとした後、「何だ。座席表を見てないのか?」と笑った。
「君の席も用意してある」
「え!?僕も出席していいんですか?」
「当たり前だろう。君は如月家の人間で、大事な私の……弟なんだから」
「ありがとうございます」
大事な弟。
その響きが少し切ない。
もう自分だけの兄ではないのだと思うと、やっぱり寂しかった。
結婚式は、ヨーロッパ風のガーデンウェディングで、如月家の庭で行われた。
庭師によって美しく整えられた庭に白で統一された椅子や机が並べられている。
澄人は如月家の親類縁者から冷ややかな目線を浴びながら、廉太郎の結婚式が始まるのを待った。
結婚式が始まり、廉太郎と志穂は、指輪の交換をし、誓いの言葉を述べ、最後にキスをした。
周りが暖かい拍手を送る中、澄人の心はズキリと痛んだ。
料理が並べられ、新郎新婦が挨拶をしながら、各テーブルを回っている。
せっかくの料理も食欲がわかず、あまり喉を通らない。
(勿体ない。普段はこんなご馳走食べられないのに……)
そう思っていると、二人が澄人のいるテーブルにやって来た。
同じテーブルに座っている人達に声をかけながら、最後に廉太郎は澄人の方を向いた。
「ご結婚、おめでとうございます」
改めて澄人が廉太郎に伝えると、廉太郎は穏やかに微笑みながら、胸元のブートニアを外し、澄人に差し出した。
無言で手渡されるブートニアに、澄人は初めポカンと口を開けて驚いたが、恐る恐るそれを受け取った。
それを見た廉太郎は、ゆっくり頷くと、志穂と一緒に自分の席に戻って行った。
廉太郎の意図が分からないまま、結婚式は終わってしまった。
周りは、廉太郎のあの行動について、ひそひそと噂をしていた。
「あのコサージュは、あの弟が作ったらしい」
「気に入らなかったんじゃないか?」
「あの子は、メイドとの間の子だ。廉太郎様はよくにこにこと接することができるなぁ」
「お優しい方だからな」
「それに漬け込んで……あの弟は」
澄人は式場から一目散に逃げ出した。
居堪れないし、何より義兄と志穂が仲良く寄り添っている姿にもやもやとしたものを感じてしまい、辛い。
(お祝いしたいのに、嫉妬してる……。僕の心は醜い)
晩餐会も参加せず、自分の部屋に閉じこもり、真夜中にそっと抜け出してきたのだ。
それに今夜は義兄達にとって、初夜だ。
如月家の跡取りを作ることに励んでいるはずだ。
澄人は、ポケットから取り出したブートニアを見つめながら、ため息をついた。
「このまま……どこかに行ってしまおうかな」
その呟きは夜風に乗って、溶けていく。
ブランの耳がピクピクと動き、立ち上がった。
「ブラン?どうしたの?」
すると背後から、かさかさと草の音が聞こえた。
動物か、それとも人間か……。澄人は声を殺して、周りを見た。
「澄人、見つけた」
林の奥から、黒馬に乗った廉太郎が現れた。
シャツの上からジャケットを羽織り、普段上げている前髪は下ろしている。
「お義兄様?どうしてここに?」
黒馬の上から颯爽と降りる廉太郎。
廉太郎の愛馬であるクロノスは、気性が荒く、持ち主の廉太郎と馬を育てるのが上手な澄人にしか懐かない。
あとブランと仲良しで、互いに鼻を擦り合わせている。
「君が馬で出かけるのを見かけてね。追いかけてきた」
廉太郎は澄人の隣に座ると、澄人の髪を手で梳 いた。
結婚式の時とは違う、暖かな手だった。
「志穂さんは?」
今夜は初夜のはずじゃ、という言葉は飲み込んだ。
「よく眠っててね。きっと疲れたんだろう」
「そうなんですね……」
「敬語、よさないか?昔みたいに、気安い言葉遣いでいいんだよ?……誰かに何か言われたのかもしれないけど」
「……もう大人だから、ちゃんとした言葉遣いをしないと。如月家の名前が汚れるでしょう?」
「そんなもの、クソ喰らえだ」
普段穏やかな廉太郎は、たまにそんな言葉遣いをする。
その言葉を聞いて、澄人はクスクスと笑った。
「やっと笑った。……何を悩んでたんだ?」
澄人はドキリとした。
いつも隠し事をするとバレてしまう。
廉太郎はとても勘が鋭いのだ。
言い訳しても、優しく論破されてしまうので、澄人はすぐに白状してしまう。
今回もきっといつもと同じようになる。
敬語を使わず、疑問をぶつけた。
「あの……これ、何で僕に返してきたの?」
式場で渡されたブートニアを廉太郎に差し出した。
「……気に入らなかった?」
澄人がそう聞くと、廉太郎は「違うよ」と答えた。
「ブートニアなんて作ったんだから、由来も知ってるのかと思ってたよ」
「由来?」
「ヨーロッパではね、男性が女性にプロポーズをする時に花束を渡すんだ。女性がそれを受け取り、その中の一輪だけ男性に手渡す」
廉太郎はブートニアを澄人の手から抜き取り、口元に当てた。
「永遠に一緒にいます、という返事なんだよ」
廉太郎の美しい顔が澄人の顔に近づく。
「その一輪を新郎が胸元に差したのがブートニアの始まり。澄人がくれたブートニアには、そういう意味が込められてるのかと思ったから、私は澄人にブートニアを手渡したんだ。
本当は一輪だけ抜き取りたかったんだけど、金具でしっかり止めてあったから、抜き取れなくて、そのまま返してしまう形になってしまったんだけど」
「お義兄様……あの、僕は……如月家の中でも、鼻つまみ者で、亡くなられた旦那様とメイドの間にできた子で……」
澄人が目を逸らしながら、か細い声で言い訳をすると、廉太郎はそのまま澄人の体を引き寄せた。
「そんなこと関係ない。如月家の澄人が好きなんじゃなくて、澄人自身が好きなんだ」
廉太郎の瞳の中に、細かい星のような輝きが見えた。
「君だけは、私自身を見てくれていたんだと思ってたんだけど……」
廉太郎が澄人の体から離れると、冷たい夜の空気が二人の間に割って入ってきた。
それが、とても寂しくて、離れがたくて……。
澄人は、縋るように廉太郎の体に自分の体を擦り寄せた。
「ごめんなさい……好きになってはいけないのに……いけないと分かっているのに……僕は、お義兄様が、廉太郎様が大好き……!
志穂さんと二人で並ぶ姿をみると、僕は心が苦しくなる……醜い真っ黒な気持ちで心を塗りつぶされるんだ……」
ずっと秘めてきた想いを、言葉と一緒にぶつける。
言ってしまったという気持ちと伝えられたという気持ちが澄人の心の中を支配する。
その瞬間、満天の星空が澄人の視界に飛び込み、廉太郎が覆いかぶさったのが分かった。
「やっと、言ってくれたね」
廉太郎は澄人の柔らかな唇に自分の唇を重ねた。
ブートニアは澄人の手に握らされる。
「ずっと私の傍にいて……澄人」
自分の瞳に映っているであろう星空を記憶から逃したくなくて、澄人はすっと瞼を閉じた。
ただ、このひと時が永遠であればいいと祈りながら……。
fin...
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