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第50話
「おいで」
玄関へ行って久々に靴を履くと、彼は車の鍵を手に扉を開けて、俺の右手をそっと握る。
芝生の上を歩いて右の方へいくと、舗装された広めの駐車場が見えてきた。そこには高そうな車が何台か停まっており、そのうちの白い車へ向かって彼は歩いていく。
「どうぞ」
右側の助手席を開けて座るよう促される。運転しないのに右側と言うのが少し違和感があるが、座ってシートベルトを締めた。
彼はドアを閉めると隣に座り、車をゆっくり発進させて音楽をかける。何の曲かは分からないけど、落ち着いた綺麗な音色だった。
久々に外に出たせいかドキドキして落ち着かない。緊張と期待が入り交じったような不思議な感覚で彼に訊ねた。
「どこ行くの?」
「美味しい和食の店。食べ終わったらデパート行こうか」
「何買うの?」
「んー、特にないけど気分転換? 欲しいものがあるなら買ってあげるよ」
話しているうちにあっという間に目的地に到着したようで、車を降りると旅館のような佇まいの店が目に入る。
正和さんに手を繋がれて歩き、中に入ると笑顔が素敵な女将さんが迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
彼が靴を脱いで上がったので、俺も同じように靴を脱ぐ。
「ご案内致します」
女将さんの後をついて行き、廊下の奥へ進んだ。
「今日は可愛らしい方をお連れなんですね」
「ふふ、可愛いから拾ってきちゃった」
二人の会話にどう反応したら良いかわからなくて困惑する。
(今日は、って事は他の人とも来た事あるのかな……)
廊下を歩いていくと一番奥の個室に通された。八畳程の広さにテーブルと座椅子、ちょっとした植物なんかが置いてある。
「ごゆっくりどうぞ」
女将さんはそう言って丁寧に襖を閉めた。
対面で座るように置いてある座椅子だが、正和さんは一つ動かして二人で並んで座る。
「料理は頼んであるよ。飲み物は、お茶が出てくるけど他に何か飲みたい物ある?」
「……別に」
少しぶっきらぼうな言い方になってしまって、彼が不思議そうな顔をする。
「どうしたの? こういうとこ嫌だった?」
「そうじゃ、ないけど……」
「じゃあ何?」
「なんでもない」
顔をプイッと背けて、花瓶に生けられた白い花を見つめる。
「なんでもなくないでしょ。俺なんかした?」
「別に……正和さんは他の人とも来た事あるのかなって思っただけで……」
背中を撫でて優しい声音で聞いてくる彼に、思っていたことをポツリと呟いた。そしたら、頭を撫でられて、そっと引き寄せ額にキスをしてくる。
「妬いてくれたの? 可愛いね」
「そ、そんなんじゃっ……妬くわけないし」
慌てて否定すると正和さんはクスクス笑った。
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