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第292話

「はっ……はっ……」 「純くん……?」  名を呼ばれて顔を上げると、脇の下を掴んで立たせられ、ぎゅっと抱き締められた。芳文さんの胸に顔が埋まる。 「大丈夫だよ。ゆっくり息吐いて。……はい、ふぅー」  芳文さんの腕に抱かれて胸の中で、彼に合わせて呼吸をする。彼の言う通りにすると、苦しかったのが少し楽になった。  指先の痺れた感じも落ち着いてきて、うるさかった心臓も静かに脈打つ。再びソファに座るよう促されて、芳文さんと並んで座った。  テーブルに置いてあるココアの入った二つのカップ。彼はそれを手に取ると一つを俺に渡してくれる。 「これ飲んで落ち着いて」  優しく背中をさすってくれて、受け取ったココアを口に含む。甘くて温かい大好きなココアの味。固まっていた体も少しだけほぐれる。 「ごめんね。……でも純くんのことが好き。大好き。だから後悔はしてないよ」  なんて返せば良いか分からない。これからどうしたら良いかも分からなくて、頭の中がぐるぐるする。落ち着かなくて、ちびちびとココアを飲んでいたら、あっという間にカップは空になった。それを手からそっと取り上げられてテーブルの上に置かれる。 「おいで」  グッと抱き上げられて、膝の上に跨がるように乗せられて。 「っ……」  先程の行為を思い出して、顔がサーッと青く染まる。 「純くん、俺と付き合おう?」 「……む、むりです」 「すぐじゃなくて良いいから。ちょっと考えてみて」 「おれ、は……」 「大事にするよ」  頭の後ろに手を添えられて、芳文さんの唇が俺のそれに重なり、舌が入ってくる。あまりにも自然にしてくるものだから、受け入れてしまって。キスより凄い事をしてしまったせいか、何の疑問を抱くことなく、舌を絡め取られて呼吸が乱れるまで口腔を蹂躙される。 「ん、んぅ……はぁ」 「大好き」  そう言って腰に腕をぎゅっと回され、見つめられた。胸がドキドキして落ち着かない。  それが正和さんに対しての罪悪感からなのか、芳文さんに対しての情なのか、あるいはそのどちらでもないのか。自分でもよく分からなかった。 「そろそろ寝よっか」  芳文さんは俺を下ろして、カップをキッチンへ片付けると、俺の手を引いて部屋に戻る。  促されるままベッドに入ると、芳文さんは明かりを消して抱きついてきた。  この事を知ったら正和さんはどう思うのだろう。  先程より気持ちが少し落ち着いて、ぐちゃぐちゃだった頭の中を整理する。 (……もし、自分だったら?)  もしも正和さんが他の誰かとそういう行為をしていたら。そう考えたら胸がツキツキと痛んだ。たぶん、凄く悲しい。  俺はこれからどうすれば良いのか。今更さっきの行為を取り消す事はできない。体温が遠退く感じがして体が震える。 「……俺がついてるから大丈夫。心配しなくていいよ」  頭に優しく響く声音。宝物のように丁寧に、大事に、優しく触れてくる。芳文さんの腕の中は心地良いと思った。  だけど、それ以上に、正和さんにこうしてもらえなくなったらどうしよう、という不安でいっぱいになった。

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