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第314話
いつもより三十分も早く目が覚めた。それなのに、部屋に正和さんの姿はなくて。サーッと血の気が引いて、体から体温が遠退いていく感じがする。
そろりとベッドを抜け出して、ふらふらと覚束ない足取りで部屋を出た。ドキドキしながらリビングへ行けば、ウインナーの焼ける良い匂いが鼻を掠める。
彼は俺の姿を見るなり、普段通り二人分の食事をテーブルへ並べ始めた。その事に少し安堵して、洗面所で手早く顔を洗ってから席につく。
しかし、食事中は終始無言で、何を考えているのかよく分からない。完全に無視する態度をとる彼に、胸がズキズキと痛んだ。
その後も、食器を洗ったり新聞を読んだりする彼は、話しかけられる雰囲気ではなくて……。今日は起きてから、一度も口をきいていない。
昼食後も、彼はそのまま部屋にこもってしまったので、俺はどうしたら良いか分からなくて、動けないでいる。
(どうしよう……)
ソファで膝を抱えて座ったまま、昨日と同じ事をぐるぐる考えたり、ぼーっとしたりしているうちに数時間が経ち――。
気付けば夕方、外は暗くなり始めていた。
扉が開く音に顔を上げれば、正和さんがリビングに入ってきたのが視界に映る。だけど、話しかける言葉なんて見つからなくて。だからといって、座っているのはいけないような気がして立ち上がった。
おどおどしながら目で追えば、こちらに歩いてくる彼が、何かを持っているのがわかる。俺のすぐ近くまでくると、無言で手をスッと差し出した。
「え……」
(なんで……)
その小瓶には見覚えがある。思わず顔を上げれば、彼の冷たい瞳と視線が絡んで、背筋がゾクリと震えた。
それの中身は、以前使われた事のある媚薬で。これから芳文さんが来るというのに、何をするつもりなのだろう。
キリリと音をたててアルミキャップを開ける彼の手元を、不安でドキドキしながら見つめる。無言で渡してくる彼の意図を探るように、視線を合わせれば、急かすように目を細めたので、慌てて受け取った。
(飲めって、ことだよな……)
小瓶の口をしばし見つめて、彼が何を考えているのか思索する。目だけでチラッと見上げれば、早くと言わんばかりに顎を突き出した。
今の俺に拒否権はない。
どうするつもりなのかは分からないが、いずれにしても飲む以外に選択肢はないだろう。震える手で口元に持っていき、一気に煽る。ゴクゴクと全て飲み干すと、彼は空になった瓶を取り上げてキッチンへ捨てに行った。
「っ……」
芳文が来るまであと十五分ほど。
十分も経てば、体がカァーッと熱くなってきて。ドクン、ドクン、と脈打って体中がゾクゾクと震える。次第に感覚も敏感になっていき、吐く息も荒々しく熱を帯びた。
「はぁっ……はぁ、はぁっ……ぅ」
思わず、自分の体を抱えるように腕をぎゅっと掴んで、その場にうずくまる。
(……何で? 何でいま?)
薬が効き始めて思考力は鈍る。頭の中は疑問でいっぱいになるのに答えは出ない。
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