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第315話

 しばらくして正和さんが戻ってくると、俺の目の前で屈んだ。スッと細めた目元は、微かに笑みを浮かべているようにも見える。  いつもの正和さんとは雰囲気がまるで違って。どこか他人事のように楽しんでいるような印象を受ける。怖くなって背筋をゾクッと震わせれば、小馬鹿にしたように鼻で笑った。  彼が何を考えているのか全くわからない。  すると、静まり返った部屋に来客を知らせるチャイムが響く。やけに大きく感じられるその音は不安を煽るには十分だった。 「ほら、純。芳文が来たみたいだよ」 「っ……」  今日初めて聞いた彼の声は酷く冷たい。 「俺の弟、迎えに行ってあげて?」  皮肉っぽく「俺の弟」を強調して言うと、彼は立ち上がって「早く」と目でリビングの扉の方を指す。どうやら彼は、一緒に行く気はないらしい。 (彼が……、怖い)  こんな状態で芳文さんと会ってどうする気なのだろう。急かされてリビングを出れば、もう一度チャイムが鳴った。  渋々、玄関へ行って扉を開けると、ひんやりとした冷気が吹き込む。真冬の冷たい風は本来なら寒く感じるはずだが、火照った体にはちょうど良い。  何も知らない芳文さんは、にこりと笑って「こんばんは」と言うと靴を脱いだ。玄関に立ったままの俺を見て、不思議そうに首を傾げる。 「純くんどうしたの?」 「は、ぁ……っ」 「……顔赤いね。えっちなこと考えてた?」 「やっ」  するりと腰に回された手を押し返すが、息が上がって力が入らない。そのまま体を引き寄せられて、腰がピタッと密着する。 「やめっ、……芳文さんっ!」  「ふふ、でも純くん勃ってる」  そう言って、足で軽く中心を押してくる。薬で敏感になった体はいつもより過剰に反応してビクビク跳ねた。 「やだ、……んっ」  顔を近づけてくる芳文さん。キスしようとしてくる彼から逃げるように下を向いて胸を押す。しかし、腰をがっしりとホールドされていて身動きが取れない。  正和さんは何故助けてくれないのだろう。こんな状態で放っておくなんて、俺のことはもうどうでも良いのだろうか。もしかして、俺は本当に嫌われてしまったのだろうか。 「ほら、顔上げて。今更でしょ? ……それとも照れてるの?」  クスクス笑ってそう言いながら、腰に回した手とは反対の手で顎をクイッと持ち上げた。芳文さんは優しく微笑むと再び顔を近づけてくる。  力がうまく入らなくて逃げることができない。もう無理だ、と目をぎゅっと瞑った時だった。 「何してんの?」 「っ、兄さんっ!」  声のした方を振り向けば、廊下の先――リビングの入口に彼が寄りかかっていた。芳文さんが驚いたようにビクッとして、慌てて俺から離れる。 「お前ら二人に仕置きしないとなあ。……特に芳文」 「ち、違っ……これはその」 「何が違うの? 純から全部聞いたんだけど」  芳文さんは息を詰めて、俺のことをチラッと見た。  ゆっくり廊下を歩いて来る正和さんの気迫に、思わず後退りしそうになってとどまる。 「純もなに、芳文にいいようにされてんの?」

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