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第316話
「だ、って……力が……っ」
「薬飲んでるし体格差あるからね。そりゃ敵うわけないよ」
「っ……」
(だったら、何で……!)
正和さんは俺たちの目の前まで来ると、足をピタッと止めて俺の方を向いた。彼の瞳は冷たく、寂しく、光がないように見える。
「でもさ、何で俺の事呼ばないの?」
「っ……」
「純って本当に俺の事好き?」
悲愴な面持ちでそう聞いてくる彼を見たら、胸がぎゅっと痛む。
何故、彼のことを呼ばなかったのか。それは、すぐ近くにいるから当然助けてくれるものだと思っていたし、助けてくれないのはその気がないからだと諦めていた。
彼が怖くて、声をかける勇気がなかった。
その程度の「好き」なのかと聞かれたら言葉に詰まる。焦りと欲情して鈍った頭では何も考えられなくて、どうしたら良いか分からなかった。
だけど、好きな気持ちより、嫌われるのが怖いという気持ちのほうが上回っていたのは確かで。こうして自分のことしか考えられないから、彼のことを傷つけてしまうのだろう。
今も大好きだと伝えたいのに、感情が高ぶっているせいか声が出ない。
「……まあ、いいや。もともと俺が一方的に始めた関係だったしね」
「っ……そんなんじゃ……」
そうじゃない。確かに最初はそうだったかもしれないけど、その頃とは違う。きちんと気持ちを伝えたくて口を開くが、彼の方が先に話し出して口を噤む。
「……恋人から格下げしようか」
「へ……?」
予想外の言葉に思わず間抜けな声を漏らし、彼の顔をじっと見つめる。
正和さんは目をスーッと細めたかと思ったら、何かを思いついたように眉を少し上げた。
「じゃあ、今日から性奴隷ね」
「せい、どれい……?」
「浮気した純にはぴったりでしょ? 躾なおしてあげるよ」
そう言って冷たい顔で、にこりと笑った。
(そんな……)
まるで、他人を見るような目で俺を見る正和さん。耐えられず、顔を逸らす。
「兄さん! それは、酷いんじゃ――」
今まで、ただ呆然とやり取りを見ていた芳文さんが、我に返ったように声を上げる。しかし、それは正和さんの声によってすぐに遮られた。
「さーて、芳文。お前はこっちこい」
「え、兄さ……痛っ、痛いって」
正和さんは芳文さんの方を向くと、右手で芳文さんの右腕をガシッと掴み、そのまま歩き出した。芳文が前を向けない姿勢で歩くものだから、横向きで引きずられるように歩いている。
「純もおいで」
(……怖い)
恐怖と絶望感に立ち尽くしていると、再び名を呼ばれる。
「じゅーん、早くおいで」
俺を呼ぶ声は先ほどよりも、ずいぶんと優しくて甘いが、それが却って怖かった。
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