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彼はその紙の下の方に何かを記入すると、鞄から小さな煙草みたいなものを取り出し、朱色のスポンジに押しつける。そのまま紙にも押しつけて離せば、そこには赤い文字のようなものがついた。
マスターがよく吸っている煙草とも違う、不思議な道具にソラは目が釘付けになる。紙に押された文字は、さっき彼が記入していたものと同じ文字だった。
「これが気になる?」
そう言ってソラの目の前に、その小さな道具を出す。
質問に頷くと、彼はにっこり笑って「判子だよ」と教えてくれた。そして、ソラの手を取り、指を朱色のスポンジに乗せようとしたので、ソラは慌てて手を引っ込める。
彼は困った顔をするが、初めて見るそれに手を乗せるのはとても怖い。
「んー、押さないとダメなんだけど……怖い?」
その問いに少し逡巡してから、首を横に振る。本当は怖かったけれど、優しそうな彼を困らせたくなかった。
ソラは少し震えながら、目をぎゅっと瞑って、先ほど掴まれた方の手を差し出す。
(痛かったら、どうしよう……)
「ありがとう。……怖がらなくても大丈夫だよ」
彼は優しく言うとソラの手の甲を包むように握って、親指をゆっくりそのスポンジに押しつけた。そして、先ほど判子を押した所のすぐ下に、ソラの指を押しつける。
紙からそっと指を離せば、ソラの指の模様と似ている形がその紙に写っていた。指には赤っぽいインクがついているが、大した事なくてホッとする。
「怖いことだった?」
ソラはまた首をふるふると横に振る。今度は本心だった。
彼はソラの頭を撫でると、マスターに紙を手渡して、判子を鞄にしまう。
「残金は後で持ってこさせるよ」
「では何かありましたら、またお越しください」
マスターはそう言って軽くお辞儀をした。
「今日から俺の家が君の居場所だよ」
「でも……」
そう言って、マスターの方ををちらりと見ると、一条が頭をポンポンと優しく撫でてくれた。マスターも優しく微笑む。
「ここへ来たかったらいつでも連れて来てあげる」
彼はソラのことを床に下ろすと、手を繋いで歩き出す。だが、今まで四つ足で歩いていたソラは、うまく立てなくて、コテンッと床に手をついて転んだ。どうしたらいいか分からなくて、マスターの方を向いて助けを求める。
「……マスター」
「そう呼ぶのは構いませんが、今のマスターは一条様ですよ」
そう言われ、ソラは彼の方へ向き直る。
「ますたー、僕はそんな歩きかた、できません」
言いながらソラは俯く。こんな事もできないなんて、呆れられてしまっただろうか。
「そっか、ごめんな。それは今度練習しよう。それとマスターじゃなくて零夜でいいから」
「零夜さま……?」
顔をパッと上げて確認するように呼んでみるが、彼は首を横に振った。
「様はいらない。零夜って呼んでごらん」
「だけど……」
「そう呼んで」
優しい言い方なのに、逆らえないような強さがある。それでも長年、「様」をつけて呼ぶよう教育されてきたソラは、主人を呼び捨てで呼ぶのは気が引けて。
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