95 / 120
第95話
グッ…と拳をキツく握る。
爪が皮膚に食い込んで、痛みが走る。
だけどそれだけじゃ足りなくて、下唇を強く噛んだ。
鉄の味が舌先に滲んだ。
「前の男の元には帰りません。ちゃんと別れてきました。その為に会ってきたんです。でも…」
首の傷を押さえて隠す。
これは、人に見せて良いもんじゃない。
俺にとっては無効な所有印だけど、見る人がすべてそう取ってくれるとは限らない。
逆に、これが付いてる事を悪い意味に捉われてしまう可能性のが遥かに高い。
今まさに、それを思い知ってる。
「───俺、帰ります」
「…そうだな」
温度を持たない冷たい相槌。
「早く、玲仁の戻って来ないうちに帰れ」
更に追い打ちを掛ける言葉が、この身に乱暴に投げつけられる。
確かにこの人は優しかった…と記憶にはあるのに、こちらを見ようともしない凍てついた横顔。
俺がこんなものを付けて、裏切ってしまったから…?
それとも、今まではあきくんが一緒に居たから理解者のフリをしてくれてただけで、本当はずっと認めてなんていなかった、…ってこと…?
「此処からそう遠くない所に、」
「えっ…」
「ハッテン場って呼ばれる男同士の出会いの場も有るらしいから、抱いて欲しいならそこに行きな。バーじゃ未成年入店お断りだろうけど、公園なら高校生が居ても平気だろ」
は………?
ハッテン場、って……、
なんで…!?
「っ、俺っ!誰でも良いわけじゃないですっ!」
「そんなの付けといて、よく云う」
「これは…っ、咄嗟に避けられなかったから…」
「咄嗟に避けられなくて?逃げられなくて?全然気にしてない顔して。相手がその気なら最後までヤラれてる」
「んなワケあるかっ!ぜったい!殺してでも逃げてやる!」
「なら これからは、そう強い意思をもって生きていけばいい。玲仁のいない場所で」
「っ、───!?」
噛み傷が消えた頃、また逢いに来るから……
帰った後で、あきくんにはそう連絡を入れようと思ってた。
そんな俺の考えに気付いてたのか、それとも俺の考えてる事自体どうでも良かったのか…
二度と逢うことは許さない。関わり合いになることは認めないと言い切る強い言葉に、息が詰まって………
苦しさに、涙が滲んで
心臓を外側から ギュッと握って
胸を拳で ドンと叩いて
───掌で覆った口元から、はっ…と小さく息が漏れた。
「……やです」
「なに?」
「ッ、だから、ゼッタイやです…っ!」
「君の気持ちは聞いてないんだけど」
「だ…って、やなんだもんーっ!」
その時───リビングのドアの開く音。それから、何かが床に落ちる音がした。
「……十碧?──っ!? どうしたの、十碧!? なんで泣いてるの!?
………兄さんが…泣かせたの?」
抱き寄せられた腕の中で俺は、
まさかこの人から発されるとは想像すら出来ない程に、冷たく尖った敵意に満ちた声を───聞いた。
ともだちにシェアしよう!