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親友の正体
「じゃあ俺、こっちだから」
店を出て地下鉄の駅側を指差し、俺は別れを告げようとした。もし同じ地下鉄だと言われたら寄るところがあると違う言い訳をさらに考えるつもりだった。
「寂しいな、折角6年ぶりに会えたのに……」と、どこか諒陽 は切なげだ。
「早く帰んないと、奥さんに怒られますよー?」
俺は精一杯冗談めいて笑ってみせた。もう、これ以上は心臓がもたない。早くこの苦しみから解放されたい。でないと……
――泣いてしまいそうだ。
早く新しいタバコで一服して気を紛らわしたい。どうにか早く、この気持ちを落ち着かせたい。
酒の席でそれをしなかったのは諒陽に対して変な見栄があったからだ。変わってしまった自分をなぜか諒陽に見せたくなかった。
そんな事に今更なんの意味も持たないのに。もう、お互い高校生 じゃないのに――。
「……俺、今日、一人なんだ」
突然の諒陽の言葉に俺は引きつった頬をそのままに「そう」とだけ返した。
――だから、何?明日にはいるんだろ?お前の大切な人が。俺にはなりたくてもなれなかった存在が。お前にはもう、あるんだろう?
「ねえ、真凰 。俺の家で飲み直さない?ここから二駅なんだ」
諒陽の思わぬ誘いに俺は驚き、目を見開く。だがすぐに視線を落とし、自分の履くスニーカーの爪先をじっと見る。耐えられなくなって下げたままの右手で拳を作る。少し震えているのがわかった。指先の感覚もなんだか鈍い。
ただの同級生ならなんてない言葉だ。仲が良ければ良いほどもっとラフに対応出来ただろう。結婚した友人の家だなんて冷やかしに最適の場所だ。
――だけど、俺に出来ないよ。だって、俺は、今でもお前のことが……。
「行こう!」
諒陽は逡巡している俺などお構いなしに、強い声と共に俺の右手を取ると、少し乱暴に引く。俺の体は無抵抗にグラグラと引き寄せられ、諒陽の肩口に頭を軽くぶつける。
「あ、諒陽」
俺の声など聞こえないみたいに、諒陽は黙って車道に向かって手を挙げ、タクシーを呼び止めた。俺は酷く混乱しながら諒陽を見るが、自分より大きなその背中しか見えない。
――諒陽は今、どんな顔をしている?
笑っている?
怒っている?
焦っている?
強く繋がれたその手はすごく熱くて、はじめて繋ぐ諒陽の手は想像していたよりもずっと力強く大きく、しっかりしていて、細い指のわりに大きな節をしていた。そこに光る銀色の指輪だけがひやりと俺の心を冷静にした。
諒陽の住むマンションは駅から近い1LDKの角部屋で新しく、その佇まいから若くして安定した収入が伺えた。大学卒業後、一流企業に進んだという噂を誰からか聞いたが、あれは多分本当なのだろう。昔から絵に描いたような文武両道の男だったのだ。
流されるまま進んだ玄関で俺は違和感を覚えた。玄関には二足靴が出たままで、一足はサンダル、もう一足はスニーカー。どちらも男物で大きさも今、諒陽が履いているものとあまり変わらないようだった。そして脱がれたスリッパは1組。靴箱から「どうぞ」と来客用のスリッパを出してくれた。
「ありがと……。お邪魔します……」
勧められるまま玄関をあがり、白い壁紙とタイルで統一された清潔感のある廊下を進むと、手前にはカウンターキッチン、それに隣接してすぐに大きめのリビングがあった。
どちらも綺麗に整理されているが、キッチンに関しては使っている様子をあまり感じない。洗い終わって水切り籠に置かれた食器はマグカップ一つだけだ。
夫婦が暮らすにはあまりにも――
「生活感が……ないな」と、思うより先に俺は声にしてしまった。
「まあ、あんまり物が増えるのが好きじゃないのと、残業が続くと帰って来て寝るだけだし。ソファどうぞ、座って」
案内されたリビングには二人掛けの落ち着いたダークグレーのゆったりしたソファと分厚いガラス天板で出来たローテーブル、上には経済新聞。大きなインチのテレビが白いオーディオシェルフに収まっていた。見た感じ、諒陽の趣味で全部揃えられているようだ。
俺は促されたソファに、落ち着かないまま腰掛ける。
諒陽は「脱いでくる」とスーツのネクタイを抜き取り、ジャケットを脱ぎながら一度リビングから姿を消した。
戻って来た諒陽は先ほどまでとは違い、ノーネクタイでシャツを第二ボタンまで寛げ、長袖を肘まで捲り上げていて、俺はまんまとそのギャップに動揺した。
――これだからイケメンは~~!
「ビールでいい?」
冷蔵庫を開けながら諒陽は俺を見る。「うん」とだけ返すが、少し目に入った冷蔵庫の中は殆ど空のように見えた。俺はマンションに入った瞬間から拭えないでいる、ひとつの疑問が沸いていた。
「あの、さ。奥さんって、どんなひと?同じ歳?」
自分でした質問なのに、頭の血管がドクンドクンと音を立てて緊張しているのがわかった。俺は何て答えを期待しているのだろうか?諒陽は黙ったまま俺の右隣に腰掛け、俺に缶ビールを渡し、自分の持つ缶ビールのプルタブを引いた。
「ねぇ、覚えてる……?」
居酒屋の時と同じにまた質問を質問で返された。俺は文句を言ってやろうと口を開きかけるが、諒陽はすぐにまた言葉を続けた。
「高校三年の三学期さ……、俺のことを好きな女子に頼まれてお前、俺を呼び出したよな。内容も告げずにただ、大事な話があるから来てくれって」
――覚えてる。忘れられるはずがない。
俺はずっと諒陽を好きだった。だけどあの日、親友の俺にしか頼めないと、その女子に懇願された。だけど諒陽はどんな子から告白されてもいつも断っていた。呼び出されてもごめん、行けないって呼び出しですら断っていた。だから俺は驕っていたのかもしれない。どうせまた諒陽は断るのだと。諒陽は誰とも付き合わないのだと。何の確証もないのに俺は縋っていたのだ。せめてもの可能性に。だけど……。
「覚えてるよ……。お前に三年になって初めての彼女が出来た時のことだろ?」
今思い出すだけでも胸が痛い。苦しい。何度、あの時の事を後悔しただろうか。何度、泣いただろうか。6年経ってもあの痛みだけはすぐに蘇る。
「俺が何て言ったかも……?」
「うん……。呼び出しから帰って来てお前がさ、満面の笑みで、ありがとう、真凰!彼女と付き合うことにしたよ!って……すげぇデカイ声でさ……恥ずかしいやつだなって俺、爆笑して……はは、懐かしい。あの子可愛かったもんなぁ。本当コレだからイケメンは――」
「あれがあったから、俺は諦めることが出来たんだ」
遮るように吐かれた言葉の意味を俺は理解出来なかった。諒陽はビールを勢いよく飲みゆっくりと身体ごとこちらを向いた。お互いの視線がまっすぐ合う。今日初めて諒陽の眼をちゃんと見た気がした。
「なんの……はなし?」
「俺、ずっと勘違いしてたんだ。お前は……俺を好きなんだって」
口の中が一気に乾いた。声にするつもりの言葉がただの息になってパクパクと口から出る。握りしめた手のひらはうっすらと汗をかいていた。身体の中で暴れまわる心臓の音がやけにうるさくて、もう一度なに?と問う。
「あの日。大事な話があるなんて言うから、俺、お前に告白されるんじゃないかって変に期待してさ。卒業も近かったし。今思うと本当、バカだよなぁ」
諒陽は苦笑しながら俺から目線を外し、深く凭れた。また一口ビールを含むと今度は真顔になる。
「最後通牒なんだと思った。あの待ち合わせの相手はお前じゃないってわかったとき、嗚呼、これが現実なんだ、俺はなにを期待してたんだろうって」
諒陽がなにを話しているのかわからない。
俺が……諒陽を好きだと……思って……た?諒陽自身、が?
「だから俺はあの日、お前を好きでいるのを諦めたんだ」
俺の緊張と混乱は限界になって、パンクしてしまいそうだった。自分自身にすら誤魔化すように強く諒陽の肩を右手で何度か叩いてみせた。冗談なら笑えないと必死に大きく笑ってみせた。
――だって、あり得ない、そんな事はあり得ないんだ。
叩いていた右手首を掴まれ、諒陽はソファの背凭れに俺の体ごと押さえつけた。真剣な眼差しの諒陽と眼が合い、心臓が更に跳ねた。
「なぁ、本当に俺の勘違いだった?お前は俺を特別な意味で好きじゃなかった?」
「特別な……意味って……?」
「友達以上の感情って意味」
その言葉に心臓が止まりそうになる。一瞬息すら出来なかった。
「ははっ、酔ってんだろ、お前。タチ悪いなぁ、こんな絡み方。仮にも親友だった俺にさぁ……まさか俺のことソッチだと思ってたとか?」
もう諒陽の顔を真っ直ぐに見ていられなくて、俺は必死に視線を泳がせた。だが、諒陽の言葉にそれはピタリと止まる。
「……じゃあ、なんで男同士のAVなんかに出てるの?」
「えっ?!」
思っていたよりハッキリと大きな声が出た。
俺の顔からは一気に血の気が引き、笑顔も消え、目を瞠りながらゆっくりと諒陽を見た。
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