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【番外編】恋人の秘密《前編》

「お留守番しててね、月曜には戻るから」    同棲を始めて2ヶ月が経過した土曜のある朝、真凰(まお)は食事中に諒陽(あさひ)に告げた。 ――お互いがお互いに片想いだと思い込み、すれ違い、卒業と共に離れ離れになった高校時代の親友が6年の歳月を経て再会した。  そして誤解を埋め合えた二人は晴れて恋人同士になった。お互いの家を行き来して1ヶ月、その後に諒陽のマンションに真凰は越して来た。  つまり3ヶ月ぶりに諒陽はひとりぼっちにされたのである。    真凰は諒陽の希望も自分の潮時もあってAVの仕事を引退した。週末はそれの引退ファンイベントとやらで留守にするとの事だった。  一般人的にそのイベント内容がものすごく気になったが諒陽は下世話な好奇心を胸中で押しとどめる。 「男が来るのか?いや、今時は女のファンが多いって聞くしな……履いた下着とか切ってあげるのかな……」  ベランダで一人洗濯物を干していた諒陽は押しとどめた筈のものが無意識に口からだだ漏れな事に気付けていなかった。  高校卒業した後、真凰は諒陽に大学名も告げず、田舎を飛び出して上京し、在学中から継続して今の仕事に就いたようだ。あまり詳しくは聞けないから聞いていない。なぜかというと、二人は決して良い状態で離れたわけではなかったし、真凰は諒陽を忘れようとしてその道を選んだからだ。  風に揺られる洗濯物を眺めながら久々の一人休みを何に使おうかと諒陽はぼんやりしていた。  と、言っても土曜は休日出勤したので半分は仕事で潰れ、夜は一人テレビを見ながら晩酌し、寝落ちして気付いたら朝だったので、留守番も今夜眠れば終わる。  諒陽は何かを思いついたらしく寝室にあったノートパソコンをリビングのローテーブルに置き、ラグの上にあぐらをかいた。飲みかけのコーヒーをさっさと空にし、起動したパソコンに食い入る。  恋人が引っ越して来てからずっと、見られて困るようなことはしてこなかった。付き合って日も浅いせいか真凰の前ではなんとなくまだカッコつけていたいという無駄な願望の自分が存在しているのは否めない。  親友時代が長かったのだから間抜けなところもとっくにバレているのに、俺もバカだなと諒陽は一笑した。  暗証番号を入れてパソコンにログインし、これまた鍵のかかったファイルを開いた。  ファイル名は"asahi"だが、これは諒陽の名ではなかった。 「本当にバレないと思ってたのかなあ?芸名に"あさひ"だなんて付けてさ」  真凰の芸名は亜沙飛と書いて「あさひ」と読んだ。  この名を使って、あの顔であの声で本当に自分が気付かないとでも思っていたのかが不思議だった。もし真凰が心のどこかで自分が気付くのを待っていたとしたら?と考えたりもした。 「考え過ぎ、かなぁ?」  女性ファン向けに撮られたようなパッケージのジャケット写真をクリックしながら諒陽は独りごちた。  元々可愛らしい顔付きをしていた真凰は24になってもまだどこか幼く、メイクや加工でさらに見栄え良くされた写真画像は男性アイドルみたいになっていた。  本当は高校時代から諒陽は真凰を可愛いと思っていた。性格もだけど外見も普通に可愛くて、恋というフィルターのせいかずっと可愛く感じていた。 「俺のこと好きなくせになんで他の男と……」    当時、恋愛経験がないと言っていた真凰は何も知らない少年だった。ずっと穢れなければ良いのにと18歳の自分は願っていた。我ながらなんて自分勝手な願いなんだろうか、自分は真凰の目の前で彼女を作っておきながら……。  両思いだと知っていれば真凰を傷付けずに、自分も傷付かずに早く真凰と結ばれていたかもしれないのにと後悔する――。 「馬鹿なことした、本当――」    子供だったのだ――。  傷を負うのも負わせるのも怖い、どうしようもなく子供だったのだ――。    亜沙飛が真凰だとわかってから購入出来る動画は全部ダウンロードした。真凰が知ったら絶対に今すぐ消せとデモや暴動を起こすだろう。  真凰が出ている動画は完全に絡みありのもあればアイドルのようなイメージビデオみたいなのも出ていて、その中で真凰は食事したりプールに入ったり、風呂に入ったり、無邪気に話し、笑ってカメラに目線を寄越す。まだ実物の真凰に会えてなかった諒陽はそれだけで胸が締め付けられるような思いだった。  自分が失くした笑顔はこうやって画面越しになら何度も見れるのかと――。悔しくて、何度も泣いた――。 『だめ、やめてよ。やだっ先生』  誰も求めてない演技力そのままで画面の中の亜沙飛が話す。  ゲイのAVは男女もののAVと似たり寄ったりなストーリーだ。いやと言いながらノリノリじゃねーかよと視聴者が突っ込みたくなるようなよくあるやつだ。  今もほぼ無抵抗に亜沙飛は学生ズボンを脱がされている。なぜか下着だけは勿体無さげに焦らして下ろされた。  ちなみに亜沙飛の出ているものは学園ものが多い。これは童顔な風貌のせいなのだろうが、高校生な姿を見せられると余計に諒陽の心は複雑だった。  嫌でもあの頃の自分たちを思い出してしまう――。  思い出は幸せなもののが多かったけれど辛い記憶の方が鮮明に蘇り、ずっと頭に残ってしまうのは人間の業だろう。 『アッ、もっと突いてっ、あんっ、先生のおちんちん、もっとちょーだいっ……』  画面の中の真凰は、亜沙飛は、ものすごい単語をよく連発する。もちろん諒陽はそんな言葉、真凰から実際に聞いたこともない。 「これ、芝居なんだよなあ?でも真凰の顔すごい真っ赤だ。本当に入ってんだなぁ――真凰のアソコに……」  具体的に言葉にしてしまうとそれは諒陽の身体も刺激してしまった。内心ヤバイ、と焦ったが、別に一人だからどうでも良いんだと気付き、すぐに抵抗を諦めた。  ゴソゴソとジーンズの前を寛げ、諒陽は半分起き上がってきた自身を下着から出して握った。  真凰と会えてから一人でしていないということを思い出し、改めて驚いた。あと、真凰とセックスするといつも一回では終わらない。明日も仕事だし、と頭の隅ではわかっているのに通称魔性のアナルニスト相手にとても一回では収まらないのだ。  自分は男だし、セックスが嫌いな方ではなかったけれどそこまで夢中になってすることもなかった。 「真凰の、せいだ――」  真凰が可愛いから。真凰が欲しがるから。真凰がいやらしいから。真凰が―― 「真凰の、中が気持ちよすぎる、から――」  諒陽は自分自身を擦り上げながら真凰の感触を思い出していた。強く吸い付くみたいなあの場所、熱くて狭くて、でも柔らかくて――。 「っ……真凰……」  愛撫する手を早め、動画の亜沙飛を眺めながら最後を迎える――筈……だった――。 「何してんの?」  背後からそれはもう鋭く、冷ややかに氷柱(つらら)のような声が聞こえ、諒陽はそのまま固まってしまった。脇の下で一気に汗が滲むのがわかった。心霊映画の登場人物みたいに慄きながらゆっくり振り返ってみる。  そこには、両腕を組んで仁王立ちした亜沙飛――ではなく、真凰がいた――。  アイドル感ゼロ、鬼感マックスだ。 「オ、オナニー?的な〜?」諒陽はもう自分の言葉に責任を持てなかった。人間ってヤバくなると笑いが出るんだな、なんて余計なことだけが頭をよぎっていた。 「――そうじゃなくて。その画面で喘いでる人はどなたかな?死ぬほど見覚えも聞き覚えもあるんだけど?」  後ろから伸びた手は電源ボタンを長押しし、無理矢理パソコンの電源を落とした。 「あっ!」そんな乱暴にしないでっ!と諒陽はデーターが無事かを思わず心配してしまう。    音が一切消えた部屋で大きな肩を極力小さく丸め、年貢の納め時かと諒陽は観念した。 「早く終わったから、早く会いたくて飛んで帰って来たのに――二次元で間に合ってたみたいだね」 「いや、そんな、ことは――」  どのタイミングで握ったものを仕舞えば良いのだろうかと諒陽は頭の片隅で思う。 「たまたま、だったけ?俺のこと見たのは?俺の知ってるたまたまと諒陽のいうたまたまってかなり乖離があるみたいだね」  カツアゲするヤンキーみたいにしゃがんで真凰は横から諒陽の顔を覗き込む。鋭い視線が頰にグサリと突き刺さる。  真凰は短くため息をついて、諒陽の左腕を掴み立ち上がる。諒陽は座ったままだったので腕だけが上に引っ張られ、困惑顔で真凰を見上げている。 「立って」と、真凰に強く言われて急所を右手で握り隠した情けない姿のままノソノソと立ち上がる。  諒陽は連行される公然わいせつ罪で捕まった男の気分だった。  真凰に引っ張られるまま歩き、寝室に連れて行かれる。これから何が待っているのか、今の諒陽には期待よりも不安の方が大きかった。  寝室に入り、掴んでいた手を離されくるりと真凰は諒陽に向かい合った。その顔はまだ怒っているように険しいままだ。諒陽は居た堪れず目を逸らす。 「諒陽。俺今すっごく複雑。恋人が俺でオナニーしてるっていう嬉しさ半分、俺と他人とのセックス傍観されてるっていう悲しさ半分。どっちかって言うと後者のが割合は高い」    失敗した。馬鹿なことをした。  諒陽は酷く後悔した。自分本位の行為に酷く恥じている。後悔が顔に出ていたらしく真凰は辛そうに俯く諒陽を抱き締め、目を瞑ってその胸に頰をうずめる。 「後ろめたくないって言ったら嘘だけど、俺は自分で選んでAVの仕事に就いた。あれでお金貰ってた。だから無かったことにしたいわけじゃない。でもね――」  二人の視線がようやく真っ直ぐ重なる。 「愛のない仕事のセックスでも、他の男としてる俺を愛してる男には見て欲しくない。勝手かな?」 「――ううん。ごめん。俺が考えなしだった――。ごめん」  諒陽は左腕を回して強く真凰を抱き締め返した。右手は仕方なしに今は使えず、思わず真凰は小さく笑った。 「――AVごっこする?」と、腕の中で真凰がいきなり提案する。 「へっ?」  思わず驚いて覗き込むと真凰はゆっくりと顔を上げた。小悪魔みたいに瞳の奥を光らせた狡い微笑みを浮かべる真凰と視線が合う。  なんてタチの悪い……と諒陽は抗えるはずもないその魅惑的な誘いに降参した。

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