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Act.2 招かざる混乱

 やりきれなさを颯真に相談できないままで1週間が過ぎた。先週会った時には、こちらを窺うような颯真の視線をたびたび感じたものの、どう言っても颯真を悩ませたり傷つけたりするような気がして、結局なんでもない振りをし通した。  今日は普通に過ごさなきゃ、と言い聞かせながら迎えた金曜日の朝。いつものように颯真の家を訪れるつもりで準備をしていたら、ちょっといい、と固い声が部屋の外から聞こえて、こちらもギクリと体が強張る。  小さな頃、唯との仲はどちらかと言えば良かったと思う。お姉ちゃんお姉ちゃんとまとわりついた記憶もあるし、喧嘩の後に気まずい顔を付き合わせて、それでも仲直りのおやつを分けあった記憶だってある。それが章悟の事故の後にぎくしゃくして、最近ようやく元のように笑い合えるようになっていたのに。  屈託なく笑い合える日はもう二度と来ないのかもしれないと、自嘲の笑みを噛んだ。  なに、と固い声を返せば、そっと部屋に入ってきた唯がこちらの顔を睨み付けながら口を開いて。 「日曜日。絶対に家にいないで」 「…………分かってる」 「絶対よ」 「っ、分かってるよ!」  ちゃんと納得していたはずなのに念を押されてムッとしながら睨み返した先で、唯がほんの少し顔を強張らせる。たぶん、後ろめたさと後悔が入り交じっているのだろうその顔を見たら、すっと気持ちが落ち着いた。たぶん、唯だってきっと、本当はこんなことを言いたくないのだろう。けれど言わずにはいられないほどに不安で、それほど相手の人を失いたくないのだろうと思う。 「……でもさ、姉ちゃん」  そうと分かっていたけれど口を開いたのはたぶん、このまま黙っていることは颯真を貶めることになるような気がしたせいだ。  オレのことをなんと言われたって構わないけれど、颯真を悪く思ってほしくない。 「……何よ」 「……オレはホントに。…………ホントに、悪いことは何もしてないよ。……オレは、姉ちゃんに、ちゃんと幸せになってもらいたい」 「……」 「…………あの頃、姉ちゃんやお母さん達を拒絶してるつもりなんてなかった。だから、そう思わせてたんだったら、ごめん。……だけど、オレがアイツを好きになって、みんなに迷惑かけるとしても……譲れないよ、これだけは。……姉ちゃんの結婚にオレが邪魔なら、オレは家を出てく。相手の人にも、絶対会わない。みんなには、迷惑かけないようにするから」  だからアイツとは絶対に別れないし、指輪も外さない。  左手の指輪に触れながら、そっと----だけど持てる力と想いの全てを込めて呟いた声を、ゆるゆると首を振って聞く唯は、何を思っているのだろうか。  何も言わずに黙ったまま俯いている唯に、そろそろ出掛けるからと、言おうとした時だ。 「……ぁたしだって」 「……?」 「わかってるわよ、司が悪くないことくらい……。……あたしだって司のことは大切だし、大事なのよ」 「姉ちゃん……」 「……あんな風に言われて……ただただ自分達が優位に立ちたいがためだけに、司のことを貶めるみたいに言われて腹も立ったし、言い返せなかった自分は、ホントは大っ嫌いなの。…………だけど、ねぇ……あんな酷い気持ちも初めてだったのよ。……あんな……。……貶められるってこういうことなの? って、初めて知った。……恐かったわ、凄く。みんなのあの顔。……みんなすごく下品に嗤ってて、どう考えたってみんなの方が悪役じみた顔してたのに、自分の方が悪いみたいに錯覚したわ」  きゅっと唇を噛んだ唯が、だから、と涙をにじませて続ける。 「一弥に同じ事をされたら、あたしもう二度と立ち直れないと思った。だから会って欲しくないの。もしも司の恋人の話なんかになって、もしも相手が男だってバレたりしたら、また貶められるかもしれない。嗤われるかもしれない。…………司を紹介したくない訳じゃないわ。ホントよ」 「分かってるよ」 「…………恐いのよ、あたし。……一弥に、……嫌われたくない」  ポロリと唯の目尻から流れた涙から、そっと目を背ける。思えば、こんな風に弱々しく泣く姿を見るなんて、初めてのことだ。 「----大丈夫だから。……ちゃんと分かってる。(はた)から見たらオレの方がおかしいってことも、ちゃんと分かってるよ」 「司……」 「だけど、姉ちゃんと同じだよ。……オレも、アイツとずっと一緒に生きていきたいだけなんだ。……誰が何言ったって、それだけは譲れない。……だから、ごめんなさい」  嫌な思いさせてごめん、と頭を下げたら、驚いて戸惑う唯に笑いかけた。 「姉ちゃんが幸せになるの、邪魔したりしない。絶対」  司、とオロオロした声で名前を呼んだ唯に、にこりと笑い返した。 「だから、安心して」  ***** 「あ、もしもし母さん?」 『どうしたの電話なんて。珍しいわね』  オレだけど、と名乗る前に怪訝な声を出した母親が、何かあったの? と聞いてくる。その声が強ばっているような気がして首を傾げた。 「……どしたの。母さんこそ、なんかあったの?」 『……それが……』  はぁ、と大きすぎる溜め息を吐いた母親が話し始めるより先に 『お兄ちゃんに何言うつもり!?』  陽香()の大声が割り込んできて、思わずスマホを耳から離した。 「うるっせー、(はる)」  思わずぼやいた声は届かなかったらしいが、耳から離したままのスマホからは、穏やかでない喧嘩の声が聞こえていて。 「もしもし? 母さんでも陽でもいいけど、今からそっち帰るから」 『いーよ、お兄ちゃんは帰ってこなくて』 『陽!!』 『お兄ちゃんに説得させようったって、無駄なんだからね!』 『説得とかいう問題じゃないでしょ!!』  こちらを無視したままで続く喧嘩にゲンナリと溜め息を一つ。どうせまたくだらない上にどうでもいいことで喧嘩をしているのだろう。オレが実家にいる頃から、冷蔵庫のプリンを勝手に食べただの、アイスはチョコじゃなくてバニラがいいだの、なんでそんなことで喧嘩が出来るのか分からないことでぎゃあぎゃあ騒いでいたのだ。付き合っていたらキリがない。実家に着く頃には喧嘩も終わっているだろうと、呆れて電話を切った。  司の家族に挨拶に行く前に、実家に一度話をしてみようと思ったのだ。二人で暮らすことになれば、今の家では狭すぎる。引っ越しを見据えての先触れという軽い気持ちで実家へ帰ることにしただけなのに。 「ただいま」  いざ帰り着いた実家のリビングには、睨みあいを続ける母親と陽香が待っていて。多少意外に思いこそすれ、お互いの言い分をひとしきり聞いてやれば仲直りするだろうと軽く考えていたオレの姿を見るなり、----母親が泣き出した。 「っぇぇ!? ちょっ、何!? 何?!」 「泣くなんてサイッテー」  不貞腐れた声で吐き捨てながらも、罰の悪い顔でふぃっと母親から目を反らした陽香は、オレの目も見ようとしない。今回はどうやら陽香が原因らしい。 「お前何したんだよもぉ……」  めんどくさい、とはさすがに口に出さずにそう聞いても、陽香はだんまりを決め込んでいる。 「……陽?」  促す声を無視したままの陽香に代わって、机に突っ伏して泣いていた母親が、ひきつれた声を上げた。 「妊娠したっていうのよ……っ、まだ高校生なのにっ」 「っはぁ!? にんっ!?」  さすがに想定外のその言葉に目を剥いて陽香を見れば、罰が悪そうに一瞬目を伏せたものの、こちらを向き直った真っ直ぐな目で潔く言い放つ。 「産むから」 「いや、待て! さすがにちょっと待て!」 「何よ! お兄ちゃんなんかに説得されないから!」 「バカ! そういう話じゃないだろ!」 「そういう話よ! 堕ろすなんて絶対ありえないからっ!」 「相手は? このこと知ってんのか?」 「知らないわよっ」 「知らないっておま」 「一人で産むから」  凛とした声で宣言した陽香は、凄みすら感じさせる目でオレと母親を順番に睨み付けた。 「絶対に産むから」  泣き疲れたらしい母親がフラフラと自室に引き上げたのを見送って、未だに膨れっ面のままオレから豪快に目を逸らしている陽香に向き直る。 「んで? ホントに相手とはどうなってんの?」 「……お兄ちゃんには関係ないでしょ」 「いつまで言ってんだよ。そんなことないって分かってるから顔逸らしたままなんだろ」  いいからこっち向け、と睨み付けたら、ブツブツと口の中で文句言いながらもこちらを向く素直さにホッとする。 「相手は? 学校のヤツなの?」 「違う」 「じゃあ誰」 「お兄ちゃんに言ったってしょうがないじゃない」 「あのな。お前一人の問題じゃないだろって言ってんの。相手がいないと妊娠なんかしないんだから」 「……別に無理やりされた訳じゃないし」 「合意だとかそんな話しでもない」  いい加減にしろ、と少し強い口調で放てば、ぶしゅ、と豪快に陽香の鼻が鳴る。 「お兄ちゃんには分かんないよ!!」 「~~っ、あぁっ、もぉ、泣くなよお前は~」  うわぁぁぁ、と手放しで泣く姿は、小さい頃と変わらなくて----放っておけなくなるからやめて欲しい。  わしわしと小さな頃と同じように頭を撫でてやりながら顔を覗き込んだら 「じゃあ何も聞かないでくれる?」  ぴたりと泣き止んだ陽香が、強い眼差しで真っ直ぐに見つめてくるから。 「嘘泣きかよっ」  紛らわしいな、と頭から手を離して、騙された自分を悔やむしかない。  そんな兄の胸の内などお構いなしに、ふんっ、とまた勢いよく顔を背けた陽香が、不意に思い詰めた顔に変わって。 「だって迷惑かけらんないもん」 「……迷惑?」 「今、彼、大事な時なんだよ。……子供が出来ちゃったからって、諦めてほしくないんだもん」 「……だからってお前……」  今までに見たことがないような顔をしてそっと呟かれた声は、迷いなく凛としている。  何を言えばいいのか迷うオレなんかよりもよっぽど力強いその響きは、もう何もかもを覚悟しているようで戸惑ってしまう。 「…………学校はどうすんだよ」 「行くよ。どうせ後3ヶ月じゃない。もう体育だってないし。その内自由登校になるし」 「……大学は」  推薦で合格が決まっていたはずだろうと聞けば、暫くの沈黙の後で、ギリギリまで行って休学する、と小さな声で呟く。恐らく今思い付いたのだろう。さっきよりも自信なさげな声は、少しだけ揺れている。 「……お前さ。ホントに。……どうすんの?」 「産むよ。それは絶対に産む。お兄ちゃんやお母さんや、お父さんが何言ったって、絶対」  半分は意地なんじゃないのかと、問いただしたいくらいに強張った声だ。 「…………相手には言わないつもりなのかもしんないけどさ……。そういうのって、なんか違うと思うよ」 「……違うって、なにが」 「……それで相手のこと守ったりは、出来ないんじゃないかな」 「……でも……。子供育てるってなったら、お金とか時間とか必要だろうし……彼にはそういう、負担とか、かけたくない」  ゆるゆると首を振る陽香をじっと見つめる。 「相手がどう思うかは、その人が決めることだよ。負担になるかどうかは、陽が決めることじゃない」 「……」  なんだかどこかで聞いたような台詞だと心のなかで苦笑する。 「……もうちょっと、ゆっくり考えなよ。今すぐ陽だけで決められることじゃないんだし」  言いながら結局癖で陽香の頭を撫でてそっと立ち上がれば、陽香が捨てられる直前の仔犬のような顔で見上げてきた。 「…………もう帰るの?」  尋ねる声は不安に揺れながら湿っていて、来なくていいとか言ってたくせに、と笑う。 「母さんの様子見てくる」 「…………別に、お母さんのこと怒らせたかった訳じゃないよ」 「分かってるよ」  だから泣くな、と頭をぱふぱふと叩いてやった。 「母さん?」  こんこんとドアをノックして、入るよ、と声を掛ける。 「……陽香は?」 「……お母さんのこと怒らせたかった訳じゃないよって」 「……」  そっと溜め息を吐いた母親が、そんなのあたしだって、とまた震えた声を出す。 「本当ならおめでたいことなんだから、怒りたくなんかなかったわよ……っ」  だってまだ18よ!? と取り乱す声が切ない。 「分かってるよ、陽香が一番」  よく分かってると思うよ、と取りなしても、首を横に振るばかりで涙が止まる気配はない。 「一人で産むだなんてそんなこと……っ」  自分だってまだまだ子供なのに、と震えた声が、いきなりこっちに牙を剥いた。 「お兄ちゃんは……」 「……何?」 「せめてお兄ちゃんは、まともな結婚をしてちょうだいね」 「な、に言って……」  まだ結婚とか考える歳じゃないでしょ、と笑っていなす声は、震えてはいないだろうか。  今日はまさに、その結婚に繋がる話をしたかったはずなのに、真逆なことを言わなければいけないのが----何よりも司に対して不誠実な気がして苦しくなる。  とはいえ、今の母親に持ちかけるのは酷だろう。  胸の内で司に謝りながら、泣き続ける母親を宥めるしかなかった。  ***** (つっかれた……)  ぎし、ともたれ掛かった椅子の背もたれが鳴る。  結局宥めても宥めても泣くか文句を言うしかない母親に、辟易して自室に逃げてきた。ぐったりと背を預けて天井を仰いで溜め息を一つ。  まさか陽香が妊娠なんてと驚いたのはオレだって同じだ。とはいえ、あそこまで泣かなくても、と呆れているのも事実で。どちらかと言えば柔軟な方だと思っていた母親の取り乱しように、ほんの少し幻滅したと言っていい。  いつか司とのことを報告したとして、もしもまた泣かれでもしたら、とうんざりしてもいる。 (……どうしたもんかなぁ……)  やれやれと溜め息をもう1つ吐いたタイミングで、ポケットに入れていたスマホが着信を知らせて振動した。緩慢な仕草でスマホを取り出せば、画面には司の名前が表示されていて、慌てて受話ボタンを押した。 『……あ。もしもし颯真?』  ごめんね急に、となんでもない声を取り繕った司が、電話越しに、ぷしゅ、と笑う。 「うん、大丈夫。……どしたの?」  実家の自室で少し声を落として聞き返しながら、耳に直接流れ込んでくる司の声が、じわじわと心に染みていくのがわかる。 『ん……ちょっと』  声聞きたかっただけ、と照れ臭そうに笑う声は、どれだけ取り繕っても切なくてやるせない音を響かせている。 「……司」 『ん?』 「隠しても分かるよ。どしたの?」  少し強めの声で言えば、ふしゅ、と妙な息遣いをした司の声が、ごめん、と最後まで言えずに涙声に変わる。 『ちが、……っ、泣いてない』 「嘘つかなくていいから。どしたの? 今どこ?」 『…………そうまの、いえ』 「ぁ……そうなんだ。ごめん、オレ今、ちょっと用があって実家に来てたんだ。すぐ戻るよ」  もうそんな時間かと慌てて椅子から立ち上がりながら、二人を残して帰っても大丈夫だろうかと一瞬不安がよぎる。それに気付いたのか、司がカラリとした声を取り繕って大袈裟に笑った。 『いーよ、そんなの。実家のが大事でしょ』  大事にしなきゃ、としみじみと呟く司の声が一層震えて 『だ、ぃじに……っ』 「司!?」  驚いて名前を呼んだものの、電話越しに続くしゃくりを上げながらの号泣に、後の言葉が喉につかえて出てこない。 「司……」  今日はあっちこっちで泣かれてさすがに堪えていたところに、一番大切な人にまで泣かれては堪ったものじゃない。しかも、司の方は泣いている理由すら分からないのだ。  母親も妹も大事だけれど 「----司。今から帰るから、そこで待ってて」 『そ、ぅま……』 「絶対待ってて」  すぐに帰るからと念を押して自室を出たら、 「お兄ちゃん……」  まだリビングにいたらしい陽香が、泣き腫らした目のまま椅子から立ち上がる。 「…………帰っちゃうの?」 「ごめん。また連絡する」 「…………結婚、するの?」 「ぇ?」 「指輪。……してるから」 「あぁ……。----うん。いつか必ずって約束してる」 「………………いいなぁ……」  ポツリと呟く声は、羨んでいるというよりも、叶わない夢を諦めている音だ。 「……陽」 「…………なに?」 「兄ちゃんは陽の味方だけど、陽が勝手に一人で決めたことは賛成できないし、応援もできない。……ちゃんと話しなきゃダメだと思う」 「……」 「……また近い内に絶対連絡するから」  なんかあったら、すぐ連絡して。  真っ直ぐに見つめて言い聞かせるように言えば、こっくりと頷いた陽香が、へへへ、と小さな子供のような顔をして笑う。 「久しぶりだね、なんか。お兄ちゃんがお兄ちゃんらしいこと言うの」 「ばーか、言ってろ」  わしわしと乱暴に頭を撫でてやったら、じゃあまたな、と手を振った。  ***** 「司!」  乱暴に鍵とドアを開けてバタバタと家の中に上がり込んだら、放心したような顔をしていた司が 「…………そうま」  そう呟いて、ふにゃ、と唇を歪める。 「どしたの」  何があったのと聞きながら、今にも泣き出しそうな顔をする司の華奢な体を抱き寄せる。どうしたのと重ねるより先にぎゅうぎゅうしがみついてきた司が、姉ちゃんが、と呟く。 「お姉ちゃん?」 「結婚するんだって……」 「えっ、そうなの? おめでとう?」 「ん……」  へへ、と笑った司は、だけどすぐにしょんぼりと唇の端を下げた。 「……オレさ…………オレ……」 「うん?」 「何も分かってなかったかもしれない……」 「司?」 「オレが颯真を好きでいることが、家族を傷つけるとか……なんとなく分かってたけど、なんとなくしか分かってなかったんだと思う」  しがみついたたまでぽつりぽつり話す声は、淋しさに満ちている。 「……姉ちゃんに、言われた。……気持ち悪いって」 「っ……」 「そうだよね。分かってた。……章悟と付き合う前も凄く悩んだし、颯真と付き合う前だって……その後だって、悩んだことある。……男同士なんてやっぱ変だって」 「司……!」  そんな悲しい声でまた別れ話かと遮るつもりで呼んだ名前に、司は違くて、と小さく笑った。 「別れるとかそういうんじゃなくてね。……別れたくないから、困ってんの。……付き合ってくことしか考えられないのに、それは姉ちゃんや家族を哀しませたり困らせたりするんだって、面と向かって言われて……あぁじゃあ颯真の家族にも同じ思いさせるんだなぁって……なんか…………なんか……」  ホント困っちゃった、と湿った声で笑った司が、またオレを抱く腕に力を込める。 「ねぇ颯真。……難しいね」  色々、と付け足して唇を噛む気配。  何かを返さないとと思うくせに何も紡げないもどかしかを噛み締めていたら、そっと体を離した司が、颯真は? と首をかしげる。 「実家、大丈夫だったの? 珍しいよね、実家に帰るとか」  初めて聞いた気がする、と聞かれて、うん、と頷いた後に、 「……妹が、なんか……妊娠したって……」 「えぇっ!? ぇっ……妹、ってことは……オレらより年下なんだよね?」  えぇっ!? とさっきまでの哀しい顔を削ぎ落として、目を真ん丸にして驚いた司が、オレよりよっぽどあわあわしながらオロオロするのがおかしい。 「ぇと、あの……ぇ? いくつなの?」 「18。高3なんだけどね。一人でも産むからって、母親と喧嘩してた」 「一人でって……その、相手の人は?」 「うん……オレもちゃんと聞けなかったんだけどね。迷惑かけたくないからって言ってて……妊娠したってことも相手には言ってなさそうな感じだったなぁ……」  ちょっと参った、と軽い調子で笑って見せたら、心配顔に変わった司がオレの頭を撫でてくれる。 「ごめんね、そんな大変な時に……」 「いいの。妹も親も大事だけどさ。司が、一番大事だし。それに」 「それに?」 「言ったでしょ。一人で泣かないでって。泣きたくなったらオレのこと呼んでって」 「ぁ……」  ずいぶん前に一方的に結んだ約束を持ち出して笑って見せたら、ふにゃ、とまた下がった唇の端を懸命に持ち上げた司が 「そうだったよね」  ありがとう、とぎこちなく笑う。 「飛んできたでしょ」 「ん」  わしわしと司の頭を撫でて、結局滲んでしまった目尻の涙を指先で拭ってやる。 「オレの方こそ。呼んでくれてありがとね」 「ずっと気になってたんだけどさ……」 「うん?」  司の涙が治まった頃合いを見計らって口を開けば、真っ赤に潤んだ目がキョトンとこっちを見るから心臓に悪い。  今はダメ、と滾りかけたどこかに言い聞かせながら 「ずっとさ、毎週末家に来てるじゃない?」 「うん……?」 「なんか、言われたりしない? どこで何してるの、とか」 「あぁ……うん。別に何も聞かれてない」  ふしゅ、と小さく笑った司は、ぽりぽりと頬を掻いて寂しそうに笑った。 「章悟のことがあってから、腫れ物扱いだったでしょ。最近はそうでもないけど……でも、まだやっぱり、距離は感じるっていうか、遠慮? じゃないけど、そういうのはあるかなって……」 「そっか……」 「姉ちゃんがね、言ってた。……あの頃、助けようとしたのに拒んだのはオレだって」 「そんな……」 「ううん、そうだと思う。……章悟とのことは誰にも言ってなかったから、……友達が亡くなったにしたって落ち込みすぎ、みたいな空気はずっと感じてた。だから反発したし、誰にもなんにも言われたくないって、オレも意地張ってた」  自業自得だよ、と切なく微笑った司が、姉ちゃんは悪くないよ、と苦しい声で付け足す。 「だからなんか……今も結構、放任主義って訳じゃないけど……あんまりうるさくは言われてない感じかな」  なんで? と首をかしげた司に、うん、と頷く。 「その……一緒に暮らそうって話もしてたし……一回ちゃんと、司の家族とか、オレの家族とかに……挨拶ってか、何て言うか……そういうの、した方がいいんじゃないかなって、思ってたんだ。……毎週末家を空けてるって、心配させてるんじゃないかなって」 「…………」  考え考え口にした言葉を黙って聞いていた司が、ぽかんと口を開けているのに気付いて、あれ? と薄笑う。 「オレ、なんか変なこと言った?」 「ん……いや……それってなんか、ますますプロポーズっぽいっていうか……なんていうか……」  そんな風に呟きながら、どんどん司の顔が紅くなっていくのに気付いて苦笑する。 「いやだから、プロポーズしたし。……ちゃんと考えてるんだよ、オレも」 「いや、分かってるんだけど……」  真っ赤になった顔を隠すようにオレから目を逸らしながら、なんかもう、とブツブツ呟きながらパタパタと手で顔を扇いだ司が、 「ホントなんか、颯真って真面目だね」  呆れたみたいな口調で呟いて微笑った。

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