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Act.3 台風到来
結局昨日は司の家のことも、勿論オレの家のことも結論がでないままで布団に潜り込んだ。
とはいえ、ほんの少し気持ちは晴れたのだろうか。司は今朝はオレにしがみつくことなく、スヤスヤと柔らかい顔で気持ち良さそうに眠っていてホッとする。
さわさわと司の頭を撫でてその感触と寝顔を堪能していた幸せな朝を。ピンポンピンポンピンポンとしつこくチャイムを連打されて台無しにされた。
「んぅ……?」
「ごめん、誰だろ。宅急便かな……」
寝ぼけ眼で頭を上げた司の額に唇を寄せて、寝てていいよ、と言い置いてベッドを降りる。
「はい?」
多少イラついているのは許してもらおうと、取り繕いもせずに玄関を開けたら
「起こしたのは悪かったけど、そんな怖い顔しなくてもよくない?」
「は? …………っ陽!? 何やってんだお前!?」
「遊びに来た」
「いや、待てお前。こんな朝っぱらから遊びに来たって、そんな荷物持って信じられるかっ!!」
「いーじゃん」
「いくないから!」
「もぉ、あがるよ~、荷物も重いし……」
「ばっか! ちょっと待て!!」
「いいよ別にエロ本とかあっても気にしないし」
「気にしろっ! ----違うっ、エロ本なんか置いてないから!! 今友達来てるから! しかもまだ思いっきり寝てるから! ちょっと待ってろ!」
えぇぇ~、とぶんむくれた陽香を玄関に残して、あわててとって返す。
「ごめん司、起きて!」
「んむぅ?」
「妹! 妹来たから! 起きて!」
「ふぇっ!?」
寝ぼけ眼の顔をペシペシ叩いて起こしながら陽香の来訪を告げれば、ぴょこん、とベッドの上に起き上がってオロオロと顔を動かす。
「ぇっ、ぇっ……なんて?」
「妹が、来た。ごめん」
「ぇっと? ぇっと?」
どうしよう、とわたわたする司に、落ち着いて、と笑ったら、タンスを漁って着替えを放る。
「着替えて司。朝御飯は、ちょっと我慢して」
「で? そんな荷物抱えて朝っぱらから起こしといて遊びに来たって、さすがに信じないけど何しに来た?」
「分かってるなら言わさなくてもいーじゃん。おにーちゃんの意地悪」
「可愛く言って騙されると思ってんの? 昨日の今日で家出とか、さすがに母さん心配すんだろ」
「あーもー、うるさいなー」
ねぇ、そう思いません? とキラキラした目で陽香に見つめられて、たじろいだ司がオレを見る。
「あの、とりあえず二人とも喧嘩しないで……冷静に……話し合おう? ね?」
「冷静だよ。喧嘩してるように見える?」
オロオロした司がオレと陽香を見比べて言うのを、突っぱねるように放てば
「ほんっと酷いよねお兄ちゃんはさ。パワハラだよパワハラ」
「パワハラってなんだよっ」
「パワハラじゃんっ! お兄ちゃんに逆らえない妹に向かってさ!」
逆らってんだろがっ、と怒鳴り付けてもどこ吹く風でキョロキョロと物珍しそうに部屋を見渡す陽香が、案外綺麗にしてるね、とどうでもいい話をする。
「お前はホントに~~っ」
ふるふると怒りに震えながら、とはいえ妊娠していると分かっている陽香を殴るわけにもいかずに、ギリギリ歯噛みするしかない。
「あの……喧嘩にしか見えない」
そんなオレと陽香をオロオロと取り成す口調で呟いた司が、けれど堪えかねたようにふふっと笑う。
「仲良いね」
「「どこが!?」」
「ほら」
んふふ、と楽しそうに笑う司に指摘されて、陽香と二人、もぐもぐと口ごもる。そんなオレ達を見て、にこやかな顔のままで笑いを治めた司が陽香に向き直った。
「えっと……妹さんは……」
「……陽香です」
「陽香ちゃん。……朝御飯は? 食べた?」
「いえ、まだ……」
「そう。食べられる?」
「ぇ?」
「とりあえず、ご飯にしよう。腹が減ってはなんとやらって言うしね」
いつも通りに食パンを焼いて、マーガリンを別添えで。ついでに昨日のポテトサラダも出てきて、オレのなのに、と思ったオレは心が狭いんだろうか。
何も気にしてない司は、オレと陽香の顔を順番に見た後で手を合わせた。
「じゃ、いただきます」
「…………いただきます」
「いただきま~す」
わぁい、と無邪気に喜んだ陽香が、ポテトサラダを一口食べて、美味しいと嬉しそうに笑う。
「よかった」
それににっこりと司が笑い返すから、陽香もまた、えへへ、とついぞ見たことのないような幸せそうな顔で笑うのが、なんだか色々複雑に絡み合ってイライラする。陽香 そんな顔オレにしたことないだろ、とか、司もそんな顔で笑っちゃだめ、だとか。妹相手にヤキモチとかシャレにならない。
「で? お前ホント、何しに来たの?」
「……」
楽しそうに話している司と陽香を尻目に黙々とパンを平らげたら、陽香が食べ終えるのを待たずに切り出した。
「…………家出してきた」
「帰れ」
「やだっ、絶対やだっ」
「颯真ってば、そんな頭ごなしに言わなくても……」
「ホントだよ!!」
「うるさい、司が優しいからって調子乗んな」
司と言う援軍を得て、むしろ嬉々として反論しようとした陽香をばっさりと切り捨てる。
「お前な。家出してなんになるんだよ。ちゃんと話しろって言ったよな? じゃなきゃ兄ちゃんも協力しないって言ったよな?」
「…………だって……」
ぶしゅ、とまた鼻を鳴らした陽香にギクリと肩が跳ねる。生意気とはいえ、妹の泣き顔というのはあまり見たいものではないのだ。
「……相手の人は? どんな人なの?」
陽香がいるからなのか、いつもよりは食べるペースが早い司が、残った半分を手に持ったまま陽香に優しく声をかけてくれる。優しさにほだされたのか、それとも司を味方につけようと思ったのかは分からないけれど、陽香は一瞬口ごもった後にそっと口を開いた。
「…………大学院生、なんです……なんか、あたしにはよく分かんないけど、理系の研究? みたいなのしてて……」
「へぇ、凄いね。理系で大学院生ってことは、頭いいんだろうね」
「そうなんです!! あたしの行ってた塾でバイト してて……他の先生なんかよりうんと優しくて、授業も凄く分かりやすくて!」
キラキラした興奮気味の笑顔で司に話しかける陽香の顔は、やっぱり今までに見たことがないから、ちょっと癪な気もするけれど。昨日は頑なに何も話そうとしなかったのだから、司に任せた方がいいらしい。
口を挟みたいのをグッとこらえて、頼むよ、と司に視線を送る。
「……話したくて、授業以外の時間にいっぱい質問に行って……」
「……それで付き合うようになったの?」
「最初はやんわり断られてたんですけど、諦められなくて」
てへへ、と照れ臭そうに笑った陽香が、不意にくしゅ、と眉を下げた。
「……負けたよ、って笑ってくれたけど……研究が忙しかったりバイトだったりで、あんまりたくさんは会えなくて……」
「そう……」
「だけど全然、それでもよかった。だって、ちゃんとあたしのこと大事にしてくれたもん」
「あのな。ホントに大事にしてたら、に----」
「颯真は黙ってて」
「…………」
妊娠なんて、と思わず口を挟もうとしたのに、司に強い口調で遮られてしょんぼりと俯く。
だけど陽香は何かを決意した顔で、それでも少し声を震わせて、違うよ、とオレを見つめた。
「違うよ。先生のせいじゃない……」
「ぇ?」
「あたし、なんも考えてなかった。傍にいたいって思っただけ」
「陽?」
「しなくていいって言った。……あたし、なんも分かってなかったのに、大丈夫だからって言った」
「----お前っ」
「颯真は黙ってて!」
抑えきれずに立ち上がるオレを最後まで見ずにぎゅっと頭を抱えた陽香の頭上に、庇うように司が腕を広げてオレを睨んでいて。
「司!」
「颯真は黙ってて」
「……」
意外なまでに頑固で強い口調の司に、渋々元の場所に座るしかない。それを見届けた後で広げていた腕をおろした司が、その手で優しく陽香の頭に触れる。
「陽香ちゃん」
優しい声に恐る恐る顔を上げた陽香は、もう泣いていた。
「恐かったね、ずっと」
「……っふ、ぅ」
「自分のせいだって、思ってたんでしょ。……自分が大丈夫って言ったのに、大丈夫じゃなくて。……だから迷惑かけたくないって思ったんでしょ」
子供の頃によく見た、手放しでわぁわぁ泣く陽香の頭をあやすように撫でる司の顔は、穏やかながらに凛としていて、なんだか知らない人みたいだ。
「でもね、陽香ちゃん。……たぶんだけど、ホントに大事に思ってたら、……ホントに将来とか色々考えてる人なら、どんだけ陽香ちゃんが大丈夫って言ったってちゃんと避妊すると思うよ。それが責任ってことだと思う」
「でもっ……あたしっ……っ、責任取ってもらわなくても、自分でちゃんと産んで育てるからっ……先生は悪くないからっ」
「悪い悪くないじゃないよ。……責任を取る取らないでも、ないと思う」
「……」
相手を庇おうと必死になる陽香とは裏腹に、司はあくまでも優しく冷静に、哀しいほどまっすぐな瞳を陽香に向けている。
「子供が産まれるって、奇跡なんだよ陽香ちゃん。……好きな人がいて、好きな人との子供が出来るって、奇跡なんだよ」
にこりと笑う唇の端が、僅かに歪む。
「だから、陽香ちゃんだけで決めたらダメだと思う。相手をどれだけ大事に思ってても、……大事に思ってるなら余計に、ちゃんと話をしないとダメだと思うよ。……相手の迷惑になるとか、陽香ちゃんが勝手に決めたらダメだと思う」
真っ直ぐな声を聞いた陽香がぐしぐしと涙を拭いた後に、不貞腐れた顔のままで無理やり笑った。
「それ、お兄ちゃんにも言われた。仲良いんだね、二人」
「……うん、仲良いよ。……オレはね、陽香ちゃん。颯真に助けてもらったんだ。……だから、颯真が大事に思ってる陽香ちゃんの、力になりたいって思ってる」
「……」
からかったつもりの言葉にすら真摯に返されて戸惑うらしい陽香が、だけどふっと息を吐いて首を振った。
「……ちゃんと話す。……ホントは、先生とちゃんと話したかったんだ。……だけど、迷惑な顔されたらどうしよって……ずっと恐かった。……話して、堕ろせって言われたら、どうしよって……だったら、最初から一人で産もうって、思ったんだ……」
「……そう」
「奇跡だなって、あたしも思ったの。……ずっと一緒にいたいって思ってたら、ここに来てくれた。……奇跡だよね、ホントに」
「……うん」
そうだね、と優しく笑った司に頭を撫でられて照れ臭そうに笑った陽香が、窺うような顔でオレたちを順番に見つめる。
「先生が堕ろせって言っても、あたしはやっぱり産みたい。……お兄ちゃん達は……産むなって言わないよね?」
「とはいえ、一人で育てるって、大変だと思うよ?」
「……それは……分かってるけど……」
司の心配声にもにょもにょ口ごもった陽香に、聞こえよがしの大きな溜め息を一つ。ぎくり、と陽香の肩が跳ねて、恐る恐るオレの方を向いた陽香が、お兄ちゃん? と泣き出す寸前の顔で見つめてくる。
「まずはその先生とちゃんと話すこと。なんでそんなに産みたいのか、ちゃんと話して相手のこと説得しろ。そんでもダメなら兄ちゃんも一緒に行く。そんでもダメで……それでもどうしても産みたいなら、ちゃんと母さん達に説明しな。話はそれからだからな」
「お兄ちゃん……っ」
泣き出しそうな顔のままで笑った陽香が飛び付いてきて、ありがとうお兄ちゃん大好き、と喚く。
うるさい離れろ、と照れ隠しに叫びながら陽香をひっぺがしたら、陽香は吹っ切れたようなニコニコした顔をしていて怪訝に見つめる。
「なんかあっても、三人で育てたらいいよね」
「は? 三人?」
「あたしと、お兄ちゃんと、司さん」
「なんで司も頭数だよ」
初対面なのに図々しい、としかめ面をしてみせたのに、陽香は相変わらずのニコニコ顔のままで爆弾を投げてきた。
「だって、お兄ちゃんの結婚したい相手って、司さんでしょ? てことはお義兄《にい》さんてことじゃん」
「なっ!?」
何言ってんだと、あたふたと取り繕うオレたちを尻目に、陽香はにっこりと笑う。
「気付かないと思う方がどうかしてるよ。大体お兄ちゃん、見たことないような変な顔してるんだから。モロバレ」
「……変な顔ってなんだよ」
「あたしが司さんに近寄ったらしかめっ面だし、司さんがあたしに笑っても憮然としてたし。分かりやすいよねぇホント」
「……」
それに、とほんの少し羨ましそうな声を出した陽香が、オレ達の手を指差して切なく笑う。
「指輪」
「ぁ……」
「バレるに決まってるよ」
にこりと笑った陽香が、あ~ぁ~、と間延びした声を出す。
「いいなぁ。あたしも……二人みたいになれるかなぁ……」
「…………なれるよ、きっと。陽香ちゃんが、相手の人と、ちゃんと話したら」
「……そうかな」
「陽香ちゃんが選んだ人なんだから、ちゃんと信じてあげないとね」
衝撃から立ち直ったのか、司はまた優しく笑って陽香にそう言いながら頭を撫でてやっている。
「……ホント、司さんていい人だね。お兄ちゃんには勿体ないよ」
「勿体ないってなんだよ!?」
「どこがいいの? 怒りっぽいし、お母さんみたいにガミガミうるさいし」
「陽!」
うぇぇ、と嫌そうな顔して見せた陽香を怒鳴り付けていたら、ふふふ、と笑った司がそうだねと同意するからかなりヘコむ。
「確かに、お母さんみたいだよね」
「でしょ!?」
「でも、だからこそきっと、オレのこと助けてくれたんだよ。そうじゃなかったら、オレは今でもあの頃のままだったかもしれない」
ふふ、と秘密めかした顔をこっちに向けて照れ臭そうに笑った司が、お母さんみたいな颯真でよかったよ、と呟いてくれた。
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