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Act.4 空に願う(祈る)
早い内に話した方がいいだろうと早速約束を取り付けた陽香は、意を決した顔で家を出ていった。荷物は預かることになっている。
「ごめんね、なんか……」
朝から騒がしくて、とぼやくように謝れば、ううん、と笑う司の顔が優しい。
「いい子だね、陽香ちゃん」
「どこが!?」
すっとんきょうな声で否定したのに、おかしそうに笑った司は、いい子だよ、としんみり重ねた。
「颯真の方がよく分かってるでしょ」
「…………」
そりゃそうだけどさ、ともごもご呟くけれど、妹を両手放しで誉めるには、やっぱり生意気さが癪に触るから難しいのだ。
「……とりあえず、オレもそろそろバイト行ってくるよ。陽香ちゃんが帰って来たら、怒らずに話聞いてあげなきゃダメだよ」
「……分かってるよ」
珍しく司の方がお母さんのような物言いをするのがおかしくて、ふ、と笑いが零れる。
「なんか変な感じだね。いつもと立場が逆みたい」
「ホントだね」
ふふ、と笑った司が、だけどほのかに淋しそうな顔をして付け足す。
「……姉ちゃんとも、ちゃんと話出来たら良かったんだけど……」
陽香ちゃんみたいに真っ直ぐじゃないからなぁと、苦笑いで本音を隠される。
「…………ねぇ、司」
「うん?」
「あのさ……ホントにさ……行こうか、挨拶」
「ぇ?」
「ちゃんとさ。……認めて欲しい訳じゃないけど……喧嘩別れみたいな、そんな風にはなって欲しくないから……」
どうかな、と伺えば、うん、と煮えきらない返事だ。
「……姉ちゃんであのリアクションだったからなぁ……お母さん達はどうだろって考えたら、ちょっと……」
言葉を濁した司がそっと溜め息をついた後で、ごめんもう行くよ、と笑う。
「司……」
「考えさせて。……さすがに今すぐうんとは言えないよ」
「……そうだよね」
「ごめんね。でも、ありがとう。挨拶とか、考えてくれたのは嬉しい」
にこりと笑った司が、ふと思い付いたみたいな顔をして、ちょいちょいと手招きする。
「何? どうし----」
どうしたの、と聞くはずだった唇に、司の唇がそっと触れて離れていく。
「行ってくるね」
「…………行ってらっしゃい」
呆気にとられたままで見送ったら、やけに熱い顔を俯けて、いきなりズルい、と聞こえないのを承知でぼやくしかなかった。
*****
ピンポン、と控えめなチャイムが鳴って、そわそわと扉を開けたら、照れ臭そうな顔で畏まる陽香が立っていた。
「……おかえり」
「ただいま」
えへへ、とくすぐったそうに笑った陽香が、ちょいちょいと横を向いて手招きしたら
「あの……初めまして」
「は?」
「彼氏」
「~~バッカ、お前はホンットにっ……兄ちゃんこんなカッコ……っ」
見知らぬ男を横に呼んでニコニコと笑った陽香を、思わず叩 きかけて踏みとどまる。まだバイトの時間まで間があるとのんきに構えて、起きたままのスウェット姿だったのだ。
「連絡くらいしてこいよ」
「え~、だっていつまでもそんなカッコのままいる方が悪いんじゃん」
「~~っ」
至極まともなことを言われて返す言葉を見つけられずに、オロオロとオレ達を見比べていた男に顔を向ける。
「……すいません、こんな格好で。……陽香の兄です」
「いえ。……陽香さんとお付き合いしています、柏原です」
ぺこり、と頭を下げられて恐縮しながら、同じように頭を下げる。
「お兄ちゃん、とりあえず中に入れてよ」
「……お前はホント、マイペースだな」
「いーじゃん」
ふふふ、と笑う顔は、朝の思い詰めた顔からは想像も付かないほどに柔らかく、安定している。
「ったく……どうぞ」
狭いですけど、と付け足して柏原さんを促した。
「で。二人で揃って来たってことは、ちゃんと話は出来たってことだよな?」
いそいそと床に腰をおろした陽香と、そわそわと落ち着かなさげに床に正座した柏原さんに、とりあえずお茶を出しながら聞けば、勿論だよ、と陽香が胸を張る。
「……はい、あの……順番が前後してしまったんですけど、キチンと籍を入れて、子供も二人で育てるつもりです。僕も一人暮らしなので、まずはそこで一緒に暮らそうかと。……ただ」
「ただ?」
「陽ちゃ……陽香さんはまだ高校生ですし、卒業するまでは学校に近い実家から通った方が体にも負担が少なくていいかと思ってます」
「……あぁ」
それは確かに、と頷いたら、柏原さんはホッとした顔で陽香と顔を見合わせて頷きあう。
なんだか当てられているような気がして小さく咳払いしてから、柏原さんに顔を向けた。
「で、すみません。陽香からは大学院生としか聞いてないんですけど……」
「あぁ、はい。それも三月まででして、四月からは就職が決まってます」
「そうですか……。……その、陽香から聞いてるかもしれませんけど、オレの方が柏原さんより年下なんで……」
そんなに気を遣わないでください、と告げたら、柏原さんは実直そうな顔に困惑を浮かべながら、はぁ、と生返事だ。
「オレとしては、陽香が柏原さんとちゃんと話し合って決めたことなら、反対はしません。両親がどう言うかは分かりませんけど、陽香のこと、よろしくお願いします」
「それはもうこちらこそ」
ぺこりと頭を下げたら、柏原さんも慌てて頭を下げてくれる。真面目な人らしくてホッとするが、陽香の普段の生意気ぶりを考えると随分振り回されているのではと、いらぬお節介が胸を過って
「生意気な妹で、色々ご迷惑かけてませんか?」
「ちょっとお兄ちゃん!?」
「いえそんな……明るくて元気がよくて、真っ直ぐで。いつも励まされてます」
また兄妹喧嘩に突入しようとしたオレ達をやんわりと宥めるような声が、だけど真摯に言葉を返してくれた。
「こんな形になってしまいましたが、よろしくお願いします」
*****
『陽香のことはちゃんと解決したから心配しないで。実家に帰らせたから、遠慮とかせずにうちに帰って来て大丈夫だよ』
詳しくは帰ってから話すね、と結ばれたメッセージにまずはホッと溜め息を一つ。連絡ありがとう、とだけ返事をしたら、スマホをポケットにしまった。
帰りたいのは山々だけど、と挫けそうになる気持ちを叱り飛ばしたら、バイト先から自宅の最寄り駅に向かう。
営業職の唯は、土曜日も出勤している。その変わりに月曜だったか火曜だったかが休みという、少し変則的な勤務だ。バイトに行く前にダメ元で、会って話がしたい、出来れば外がいいと連絡していたのだが、それなら駅で待ち合わせよう、と素っ気ないながらも返事が来ていたのだ。
改札の外で唯の帰りを待っていれば、大して待たずに少し強ばった顔の唯が改札を抜けてくる。
「姉ちゃん」
その唯に、ひら、と手を振って見せたら、気付いた唯が微かに頷いて近寄ってくる。おかえり、と声をかければ、うん、だがなんだか口の中でもごもご言った唯は、こっちを見もしない。
そっと溜め息をついたら、険しい顔のままの唯を誘ってあの小さな公園に足を踏み入れた。すっかりご無沙汰になった公園は、けれどあの頃のまま何も変わっていなくて。感慨深ささえ覚えながら、ちっぽけなベンチに唯と隣り合わせで座った。
「ごめんね、急に」
「……別に……。……話って何」
お母さんには何も言ってないの、と言外に長引く話はしたくないと匂わせる唯に少しだけ苦笑する。
ごめんね、ともう一度謝ってから
「オレね、考えたんだけど」
「何」
「……やっぱり、姉ちゃんと喧嘩別れみたいのは、嫌だから」
「……じゃあ……」
別れてくれるのと、固い声に聞かれて首を横に振る。
「……じゃあなんで呼んだの」
イライラと声を出した唯に、そんなすぐ怒んないでよ、と口を尖らせてから、くしゃっと笑って陽香の台詞を借りた。
「それってパワハラだよ」
「はぁっ!?」
パワハラって何よ!? と、どちらかと言えばいつもの喧嘩のノリで目を白黒させる唯に、ふふ、と笑う。
「姉ちゃん」
「……だから、何よ?」
どうやらパワハラ発言が意外なまでに痛手だったらしい。憮然としながらも声に少しだけ柔らかさが見えて、陽香に内心で感謝した。
「相手の人って、どんな人? 一弥さんて言ってたっけ?」
「……」
いったい何の話がしたくて呼んだのかと口には出さずに眉をつり上げた唯に、どんな人? としつこく繰り返せば
「……別に……普通の会社員よ」
「年は?」
「…………1つ上」
渋々呟いた後に、それが何だって言うのよと、やや勢いの削がれた声が聞いてくる。
「だって、オレは会うわけにいかないし。どんな人なのかなって思っただけ」
「……なんであんたとこんな話……」
呆れた顔と声を出した唯に、いいじゃん、と笑って見せて
「その人のどこが良かったの?」
「…………優しかったのよ。悪い!?」
「別に悪くないって」
「後は!? 趣味でも言えばいいの!?」
あくまでも不貞腐れた唯の声音に、苦笑しながら呟いたのが気に食わなかったらしい。またも眉をつり上げた唯が、自棄っぱちに放つのがおかしくて懐かしくて苦笑が漏れた。
「も~、なんでそんな喧嘩腰なの。ホントに姉ちゃんは気が短いよね」
「うるさいわねっ」
「そんなんでよく結婚まで行けたね? 猫被ってたんじゃないの? 大丈夫?」
「あ~もう、うるさいっ」
猫なんか被ってないわよ! とムッとした声で怒った唯が、不意に困った顔で黙り込む。
「姉ちゃん?」
「…………久しぶりね、なんか。こういうの」
「そだね」
章悟がいなくなる前みたい、と心の中で付け足してそっと笑う。
「こういうの、嫌いじゃないよ。……最近姉ちゃんずっとピリピリしてるんだもん。めちゃくちゃ怖かったからね」
「……しょうがないでしょ」
あんたのせいじゃない、と不満げに呟くものの、声は前ほどには尖っていない。
「姉ちゃんはさ、一弥さんのこと大切なんだよね」
「……何よ、悪い?」
「悪くないってば。ホントその、照れると怒る癖やめなよ。嫌われちゃうよ」
「うるさいわね。一弥だってもう知ってるわよ」
ふんっと大袈裟に顔を逸らすのがあまりに子供っぽくて、ふ、と笑いが零れたのと同時に----ふふ、と隣からも小さな笑い声が聞こえる。
ちら、と唯の方を見れば、しまった、と口元を手で覆った唯が、観念したみたいにそっと笑った。
「…………分かってるのよ、ホントに。……最初は条件反射で気持ち悪いとか言っちゃったけど……正直、そんなでもないの。……ただ、女友達 から侮辱されたことが、受け止められなかっただけ。…………司が最近、ちゃんと前みたいに笑ってるの、お母さん達も気付いてるし、安心してる。……それはたぶん、その人がいたからなんだろうなって、ちゃんと分かってるのよ」
苦しそうに呟いた唯が、そっと首を横に振る。
「だけどやっぱり、一弥がどう思うんだろって考えたら、不安になる。……偏見とかある人じゃないって信じてるけど、いきなり言われたら驚くだろうし……それに、お母さん達だってきっと、同じだと思う」
「……うん。オレもね、誰にも理解してもらえないかもって、ちゃんと分かってるつもりだった。……だけど、ホントにちゃんと考えたのは、姉ちゃんに言われてからなんだ」
オレも覚悟が足りてなかったんだよ、と呟いて、ごめんね、と付け足す。
「……これからも、迷惑かけるかもしれないけど。……でも、ごめん。別れるとかは、考えるつもりないから」
「……いいわよ別に。別れろなんて、ホントは思ってないから。……驚いたのは事実よ。司が男の人と手を繋いでるのを見たって言われた時は、ホントにびっくりした。何かの間違いでしょって思ったし、見間違いであってほしかった。……だけど、こないだまでの司を知ってるから……性別がどうあれ、あたしもたぶん、その人には感謝してると思う。……今はまだ、素直に言えないけどね」
「姉ちゃん……」
そんな風に思ってくれていたのかと、少し意外に思う気持ちが声に滲んだけれど、こっちを向いた唯はそれを責めるでもなくじっと見つめてくる。
「……でもなんか、……司、変わったね」
「変わった?」
「うん。……なんか、前までよりしっかりしたって言うか……なんか、少し強くなったって言うか……」
上手く言えないけど、と付け足して唯が切なく笑った。
「いい人なのね、きっと。あんたの恋人も」
「…………そだね」
「あたしの一弥の方が、きっと断然いい男だろうけど」
イタズラめかした声ながらも勝ち誇ったように清々しく笑った唯が、もう行くわ、と立ち上がる。
「まだ、司の味方を買って出られるほど気持ちの整理は付いてないけど……司のことを否定するのはやめるわ」
「姉ちゃん……」
「なんだかんだ、あんたはあたしの弟だし、人として間違ったことするようなやつじゃないって、あたしが一番よく知ってるから」
早口でそう言った唯が照れ臭そうに笑って、じゃあね、と手を振る後ろ姿に同じように手を振った。
「……颯真だっていいやつだよ」
*****
「ただいま」
「おかえり~」
バイトを終えて家の扉を開けたら、まさに料理の真っ最中という音と司の声に出迎えられてホッとする。昨日からのバタバタがようやく片付いたという実感に肩の荷が下りたような気がするけれど、実際にはまだ司の家の方が片付いていない。
とはいえ、今日をとりあえず無事に終えられたことを誰にともなく感謝しながら靴を脱いでキッチンへ。
「おかえり」
「ただいま」
炒め物の手を止めずに振り向いた司の頬に、軽いキスを贈る。
「ごめんね、オレもちょっとだけ帰りが遅くなっちゃって。……もうすぐ出来るよ」
「そうだったんだ。いつもありがとね」
帰りが遅くなったなんてどうしたんだろう、と首をかしげたものの、とりあえずは荷物が邪魔と放ってあった司の鞄の隣に自分の鞄を置く。
まずは手を洗うかと袖をまくりあげていたら、まじまじとその腕を見た司が
「……なんかまた腕太くなった?」
「……あぁ、ちょっとね」
「なに、ちょっとって……」
ハタっと何かに気付いたような顔をした司が、きゅっと眉を寄せる。
「またバイト増やしたの?」
「違う違う! 筋トレしてんの! せっかくいい感じに筋肉付いてきてたからさ、勿体ないなぁと思って。維持しよっかなって」
ホントだよ!? とあらぬ疑いを慌ててはね除けたら、
「でも、やっと気付いてもらえた。結構前から筋トレしてたんだよ」
「えっ? そうだったの?」
キョトンとした驚き顔が可愛くて頬をつつきながら、ニヤリとからかう。
「夜、電気つけさせてくれないからじゃない?」
「は? ……~~っ、バカッ」
とたんに真っ赤になるのが可愛いから、ますますからかいたくなるのだと気づいているのだろうか。
「こないだは電気ついてたけど、気付いてくんなかったよね。それだけ必死だったってことかな」
「~~うるさいっ」
もうっ、と話を切り捨てようとした司の腰にするりと手を回して、耳元に囁きかける。
「うるさくないよ」
「っ、~~火! 使ってるんだから! 危ないでしょ!!」
「じゃ、消す?」
「ばっ……ご飯は!?」
「司の後でもいいよ」
「何言っ……」
さりげなく手を伸ばしてコンロの火を消したら、あわあわしたままの司を抱きすくめて唇を塞ぐ。
昨日は結局、お互いの家のことがあったせいか司が乗り気じゃないことを察して、何もせずに寝てしまった。今朝だって、余裕があれば朝から、せめてイチャイチャしたいと思っていたのに、陽香が押し掛けてきたお陰で何もできなかったのだ。
「もう我慢できない」
「なにっ」
「ごめん、ちょっと……正直すごく……司が欲しい」
「っ」
陽香の妊娠の話を聞いてから、なんだかすごく司が欲しかった。雄としての本能なのかなんなのかは分からないけれど。
低く囁いた声にびくりと肩を揺らしておずおずとオレを見つめた司の目は、少し潤んでいるように見えて背筋がゾクゾクする。
「司は? 欲しくない?」
首筋に舌を這わせて、お腹の辺りを優しく撫で擦る。ふるり、と司の体が震えて、唇から零れた息は濡れていた。
「いいでしょ?」
焦らさないでよと耳に吹き込んで、そのまま耳を齧る。
「べっ、ど……」
「待てないって言ったら……?」
「や、ぁだ……こ、んな場所で……ッ」
ふるふると首を横に振った司の目尻に滲む涙を、ペロリと舐めて笑った。
「……じゃあベッドでね」
もつれる足を動かして手を引かれるままベッドの側に立ったら、キスの合間にトンと肩を押されてベッドに倒れた。
恐る恐る見上げた先、獣の顔して笑った颯真が低く呟く。
「だからホント、司は無意識に煽ってくれるよね」
「ちがっ」
「そんな目で見られたら誰でも欲情しちゃうよ?」
唇を貪りに来た颯真の、熱い舌が唇を割って侵入 ってきた。
「ンぅ……っ、ふ、……っは、ぁ……」
煽る動きで口内を這いずり回っていく舌に翻弄されながら、やわやわとお腹を撫でてくる手のひらに、むずむずと何かが沸き上がる。
「ぅ、ふッぁ」
感じたことのないような感覚だった。
執拗に、だけど優しくお腹を撫でてくる手のひらに、ふわふわと酔うような。
直接的ではないのに強くて、さわさわと撫でるだけの手のひらが掘り起こしていくのは、怖いくらいの----欲求だ。
(なに、これ……)
欲しい。
颯真が、欲しくて欲しくて、欲しくて。
カタカタと震えだした肩に気付いたのか唇がそっと離れて、心配そうな颯真の顔に覗き込まれる。
「司?」
「ぁっ……颯真……ッ」
「うん?」
「っ、颯真」
震える手で太くなった腕にすがり付く。
「そうま、ぁ」
「どしたの……?」
お腹を撫でていた手が、心配そうに頬に触れる。
その手に頬を擦り付けて唇を寄せた。
「つかさ……?」
「ほしい……そうま」
「つかさ……」
「ちょ、ぅだい」
今すぐ満たしてほしかった。体も心も何もかもすべて。奇跡なんだよと自分が陽香に囁いた言葉が自分の内 で蘇って、ばくばくと心臓が暴れている。
「そうま」
起き得ない奇跡を願っているのだと、言ったらさすがに笑われるだろうか。だけど、そうなるように仕向けたのはお腹を撫でた颯真の手だと、----まるでそこに宿るようにと願いをかけるような仕草に煽られたのだと言ったら、笑われるだろうか。
それでも。
「……ちょう、だい」
欲しくて堪らないのだと、両手を伸ばして颯真の頬に触れた。
「ちょうだい」
今にも泣き出しそうな淋しくて哀しい目が、真っ直ぐにオレを見つめて、ちょうだいと手を伸ばしている。
絶妙な均衡を保って溢れた涙は、辛うじて零れないまま司の目を輝かせていた。
「つかさ……」
呻くような声で名前を呼んだら、ぱちりと瞬きで応じる司の頬をようやく涙が伝う。
ふ、と司の口から零れた熱い吐息に誘われて、唇を塞いだ。
「つかさ」
閉じたままの目の端から流れる涙を指先で拭ってやりながら、労るように唇を啄む。泣き濡れた吐息が唇から注ぎ込まれて、つられて切なくなりながら。
微かに動いた司の唇の動きが陽香に言い聞かせていた言葉と同じで、無意識に撫でていた手のひらはそういうつもりだったのだと気付かされた。
馬鹿馬鹿しいと笑いたければ笑え。
雄の本能だとか、なんだとか。そんなものはクソくらえだ。
宿ることなど絶対にないと分かっていながら、その奥に宿る奇跡を願うことの何が悪い。
男でも女でも良かった。司であれば、性別 は関係ないのだから。
生存本能なんて生易しいものじゃない。
ただただ願う奇跡が----絶対に起き得ない奇跡が、欲しくて堪らないのだ。恐らくは、司も。だからこそ、ちょうだいとねだる声は媚びる色もなく、ただひたすらに切ないのだろう。ねだられるままに注ぎ込みたい想いは、奇跡を起こし得ないと分かっているから、切なくて哀しくて悔しくて。
だけどお互いに、お互いを選んだことを後悔する日など来ないと、実感 しているから。
「司」
呼んだ声にうっすらと開いた、潤む瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あいしてるよ」
*****
挿入 れるよ、と低く囁かれた声に頷いたら、奇跡を願って柔らかく解れたそこを滾る熱で焼かれた。
「ンぁっ……そ、うまっ」
思わぬ熱さに仰け反りながら、いいお父さんになるからと、一度は手放した腕にすがる。
奇跡を願って奥の奥を抉じ開ける熱に溢れた涙は、哀しみと切なさを流して愛おしさを呼び覚ます。
互いに願う奇跡など起こり得ないと分かっていながら、いつか叶うと無邪気に信じた振りで奥へと誘う。どれだけ重なろうが、自分達の間を必ず薄い膜が隔てていることさえも、自覚しているけれど。
熱くて熱くて、浮かされたように互いの名前を呼びながら、いつか抱けるはずの柔らかくてずっしりと重たいであろう温もりに想いを馳せる。
願う奇跡 も、祈る奇跡 も。
同じだと信じているからこそ、最奥 を探る想い を離すまいと内 が蠢く。
異様なまでの興奮に陥りながら昂っていく自分達は滑稽なのかもしれないけれど。
願ってやまない奇跡をひたすらに祈りながら、弾ける欲の熱さを奥の奥で感じて泣いた。
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