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第7話
朝練がないため、久しぶりに千尋とともに登校すると、ジロジロと不躾な視線にさらされた。もともと千尋と並んで歩く際はよく他人の視線に晒されることが多い。千尋の甘いマスクに哉太の艶やかさがそうさせるのだが、今日の視線は自分に負い目があるせいか、居心地が悪かった。
「千尋、なんか目立ってんだけど」
痛む首筋に手をあてながら声をかけると、そんなことないよという素っ気ない返事が返された。その上で、
「隠すなって言っただろ」
と咎められる。
「いや、さすがに隠したい」
首筋の歯型と赤い印を、大きな湿布で覆ってみたものの、広範囲に広がりすぎて隠しきれていない。また、口が悪い哉太だけに逆に悪目立ちしているような気がした。
「隠せば隠すほど目立つよ」
実際、周りの視線の大半は朝から色男2人のツーショットという眼福に預かったものに対してであり、哉太の首筋に対するものではない。
しかし、哉太が気にするあまり、注目を浴びているのも事実だった。
「なんか、もうむかつく。お前の首にもつけてやろうかな」
逆ギレ気味に呟けば、やる?と首筋を強調される。それがさらに腹が立ち、軽く千尋の太ももを蹴り上げた。
「先に行く。ついてくるな」
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「哉太、今日お前ンチ行ってもいい?」
部活ができず、一人罰ゲームみたいな筋トレをこなしていると同じように筋トレにやってきた裕紀に声をかけられた。
「別にいいけど、何しに」
「哉太、数学得意だろ。数学教えて」
「コーチに教えてもらってんじゃないのか。そっちで教えてもらえばいいじゃん」
「いや、アイツさ……意外と賢くてなんかこう思考回路が違い過ぎてわけわかんねーんだよ、教え方も上手いんだけどさ……」
ブツブツと愚痴を言う裕紀に、おそらく何か他に理由があるのだろうと思うが、だんだんと面倒臭くなりなんでも良いかと思う。
「再追試になっても責任とらないからな」
「じゃあ、放課後、哉太のクラスに行く」
「ん、わかった。……あ、そうだ。来てもいいけどさ、千尋いるからな」
「千尋って、滝沢?」
「そ。だいたいいつもいる」
そこまで言うと裕紀が何か言いたそうな顔をする。しかし、ガヤガヤと周囲が騒がしくなる様子に授業の始まりを想像し、じゃあ放課後にと去って言った。
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放課後に裕紀とともにコンビニに寄った後にマンションへ帰ると、気を利かせたのか、それともただ用事があるのか、部屋の明かりがついていなかった。
気にもとめず、まずは飯、とダイニングテーブルに座るように裕紀を促す。
その間に自分だけは自室でラフな服装に着替えた。
裕紀が、買ってきたおにぎりを頬張りながら数学の教科書を開いているのを見て、哉太もノートと参考書を広げる。
先日の試験範囲を見つけると裕紀に差し出した。
「ここが試験範囲のノート」
「サンキュー……て、これ、読めないんだけど」
「人が読めるように書いてないし」
計算式と思考回路をただ書き連ねたノートに裕紀が頭を抱える。
「文句があるなら、コーチの補習にいけ」
「すみませんでした。こちらを参考にさせていただきます」
それでもブツブツと文句を言いながら、教科書の問題に取り掛かる。その様子を見ながら、哉太も予習とばかりに数学の教科書をめくった。
「そういえば、滝沢は?」
哉太のノートと教科書を見比べながら、問題を解き進めていた裕紀が、視線もあげずに尋ねる。
いつもと異なり、真剣に考えて物事に取り込む様子は精悍で、ずっとこの調子であれば女の子にもモテるだろうにと思うが口には出さない。
モテる裕紀というのも些か物足りないからだ。
「さぁ、そのうち来るんじゃね」
いい加減に答えると、機嫌を伺うように裕紀が声を潜めた。
「お前らマジで一緒に暮らしてんの?」
「……暮らしてはない。一応、千尋の家はあっちだし」
そう言って玄関の向こう側にある、このフロアのもう一室を指差した。
その答えでは満足しなかったのか、裕紀は何か言いたそうな顔をしながら哉太の顔を伺っていた。
「なんだよ」
「いや、さ。前から聞きたかったんだけどさ、お前らってマジでデキてんの?」
気まずそうに視線を合わせないようにして裕紀がいう。
「デキてるって……誰と誰が」
「哉太と滝沢」
「何がどうなったらそうなる」
「噂だぞ、噂。まぁ、女子の変な妄想も入ってんのかもしれないけど。一緒に暮らしてるとか、キスしてたとか、……その、首筋の赤いやつとか」
「…ッ!!」
指摘され、思わず右手で首筋を隠した。その瞬間、自分のとったこの行動がさらに疑惑を産む行為だということを瞬時に理解し、しまったと思う。
しかし、それはもうすでに後の祭りというもので、裕紀の顔には驚きの表情が貼り付けられていた。
「その感じ……やっぱ、マジ?」
「いや……違う」
「じゃあその首筋のど派手なキスマークは誰がつけたんだよ。そんな大胆なことする彼女いるのかよ」
問い詰められ、どうしたものかと考え込む。
興味津々の裕紀をみて、家に呼ぶんじゃなかったと改めて後悔した。
「じゃあさ、一つずつ確認。一緒に住んでるってのは間違いなんだよな」
「そう、一応千尋の家は向かいの部屋」
うんうんと頷かれ、ノートにその旨が記載される。
面倒くさいなと思いながら、裕紀の質問に付き合ってやる。
「キスしたってのは?」
「……キスは……する。挨拶がわり?」
「いや、しねーよ、普通」
即座に否定をされ、不機嫌を顕にする。
「じゃあ、どういう時にするんだよ、裕紀は」
逆に質問すれば裕紀が面食らったような顔をした。裕紀の人なつこい顔がじわじわと顔が赤くなる。その様子を見て、そんなにおかしな問いだったのかと思う。
「どういう時って……そりゃ……ねぇ」
口ごもり、照れながらボソッと呟く。
「好きだなぁとか可愛いなぁとか、そういう時?」
「はぁ……」
「わかんねーのかよ。可愛いなぁ、触りたいなぁ、ヤリてぇなぁって時にする」
顔を赤らめて恥ずかしそうに言う。
ふと、千尋とのキスを思い出した。大抵が朝出かける時や、喧嘩して仲直りする時、千尋に要求された時で、自分から自発的に行うことは少ないことに気づいた。いや、少ないのではなく、ない。それはどういうことなのか。
思考回路がぐちゃぐちゃになり、解法も解答も出てこない中、裕紀が追い打ちをかけた。
「哉太だってそういう時あるだろ。男なんだから」
「そういう時って、可愛いとか触りたいとか、ヤリたいとかいう時?」
「そ、キスしてぇなぁって時」
問われ、自問する。
やはりどんなに思い返しても、自分から行動に起こしたり、欲望を感じたことは思い出せなかった。
「わかんねー」
「いや、絶対あるって。ほらこの前だってバスケ部の連中とみんなでアイドルのあの子可愛いとかやってただろ。哉太、巨乳の子がいいって言ってたじゃん」
「あの子、可愛かった」
「ほら、キスしたいとかヤリたいとか思うだろ」
「別に。可愛いなぁくらい」
「触りたいとか、ヤリたいとか、突っ込みてぇとかそういうのないのかよ」
真剣な表情で問い詰められ、口ごもる。
ないとは言い切れないが、もともと性に興味の薄い哉太だけにはっきりとした答えが出せない。
「じゃあ、滝沢とはなんでキスすんだよ。男同士だぞ、やっぱデキてんの」
「だから、挨拶みたいなもんだって。別に可愛いとか触りたいとか、そういうんじゃなくて」
「….…あぁ、そうか。お前らの両親、海外とかよく行ってるしな。外国人は所構わずキスをするあれか。……ちなみに、哉太、一人でスルことはあるんだよな」
「スルって何を」
「可愛い女の子のえっちな写真とか動画見て、ぴゅぴゅっとすること」
裕紀の真剣な眼差しに圧倒され、驚きに椅子に背を預ける。
口元に手を当て、思考を巡らせる。思い返せば、最近は千尋がいたずら半分で哉太の性欲処理までするものだから、あまり必要としていなかった行為だ。最後に一人でしたのはいつだっただろうか。……そもそも、あっただろうか。
なかなか答えを出さない哉太にしびれを切らし、裕紀は立ち上がるとおもむろに机の上の勉強道具を片付けはじめた。
「………わかった、哉太。お前の性欲を引き出してやる。男子高校生が可愛い女の子見ても何も感じず、育った環境のせいで男とキスしてんのは可哀想すぎる。また、明日な」
「明日って、勉強は」
「ノート借りてく。じゃあな」
哉太の持っていたノートを強引に奪い取ると、早急にテーブルの上を片付け去って行った。
一人残された部屋の中で嵐のように去っていった裕紀の残した残骸を見つめ、面倒くさいことになったなと思った。
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