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第97話Take me
真田は俺に何もしてこなかった。お互い無言のまま時間が流れる。沈黙に耐えられなかったのか真田はポケットからタバコを取り出して吸い始めた。
しばらくすると、外の方が何やら騒がしくなる。もしかして、小笠原が来てしまったのだろうか。しかしとても一人で闘っているようには聞こえない。
人数が増えた。十人…いや、その倍以上だ。これが真田の呼んだ援軍なのだとしたら、小笠原はどうなってしまうのだろう。流石のあいつでも数十人相手に闘うのは不可能だ。
入り口の扉から衝撃音がする。小笠原なのか?それとも…
次の瞬間、扉は思い切り蹴破られた。
こちらに向かって進んできた者の正体は、小笠原だった。俺の姿を見て、苦しそうに顔を歪める。
真田は驚いたからか、咥えていたタバコを床に落とした。
俺はさっきあの男達に陵辱を受けたんだ。小笠原は俺が何をされたか知らないかもしれないが、それでもこんな姿は見られたくない。いつもなら苦しむ俺を見て喜ぶはずなのに、どうしてそんなに辛そうな顔をするのか。
「なんで来たんだよ…」
自分の口から出てしまったのはそんな言葉だった。
「勇也を、助けに来たんだよ」
小笠原の目は、真っ直ぐに俺のことだけを見つめていた。その目を見ていたら、何故か泣いてしまいそうだ。
小笠原には俺を助けるメリットなんてどこにもないのに。離れていったくせに、どうして俺なんかのためにここまで来てしまったんだ。
呆然としていた真田が、急に我を取り戻したかのように喋り始める。
「お、お前…どうやってここまで…」
「謙太くんが案内してくれたよ」
「謙太って、上杉謙太…?」
「そうだよ。お前ら知り合いなんだってね」
上杉まで来ているのか。そこまでは予測していなかった。謙太という名前を聞いてピンときたが、真田が〝謙ちゃん〟と呼んでいたのは上杉のことなのかもしれない。
「なんで、あいつが…っていうか、増員したはずなのにどうやって…」
「細かいことはいいよ、早く双木くん返してくれない?」
「だったら、代わりにお前が人質になれよ」
「嫌に決まってるじゃんそんなの」
「はぁ?!こいつがどうなってもいいのか?」
「好き放題やったくせに何言ってんの?…聡志、お前も双木くんに手だしたの?」
真田は何もしていない。いや、総合的には真田にされたことになるのかもしれないが、こいつは自分の境遇もあってか人を傷つけることが苦手なのだろう。
「その…双木に酷いことさせたのはあの三人で…」
「でも、お前のせいだよね?」
「それはっ…うん、そうだよ…手出すなとは言ったけど、あいつらやっぱり俺の言う事聞く気なんてないんだ…」
「俺、お前のこと絶対に許さないよ」
「いいよ、俺はオヤジに認められるためだったら何だってする」
「はぁ…俺を人質にしたところでうちの父さんはなんとも思わないだろうけどね?ああでも、病院の名誉のためだったら仕方なく受け入れるかな」
「うるさい…!いいからさっさと…」
真田が何か言う前に、小笠原の長い脚が勢いよく振りかぶられてそのまま真田の首に直撃した。小笠原は手加減するつもりは全くないのだろう。ちょっと間違えれば致命傷になってしまう。しかも真田は喧嘩慣れしていないから、そのまま地面に伏せて痙攣したかと思うと動かなくなってしまった。
「あれ…やりすぎた?」
小笠原が真田をつつくがまるで反応がない。気絶してしまったのだろうか。小笠原はそのまま俺の方へ向き直る。なんとなく身構えてしまった。
「勇也…ごめん、ごめんね…」
そう呟きながら、柱の後ろに回って拘束を解く。自由にはなったが、少し放心してしまいすぐに動けない。どんな顔をして小笠原を見たらいいのかわからなかった。
「あんなこと言うつもり本当に無かったんだよ…勇也が傷つくって分かってたのに、それなのに俺…」
「元はと言えば、俺が…」
「ううん、勇也は悪くない。勝手に出ていってごめんね…俺のせいで勇也が…」
俺の方へ手を伸ばすが、諦めたように手を下ろそうとする。触れてくれない、触れたくないのだろうか。引っ込めようとしていたその手を半ば無意識につかむ。小笠原の手は酷く冷たくて震えていた。
「俺は…大丈夫、だから」
「勇也…?なんでそんなこと…」
「真田は、父親に認められたいただ一心で…本当は喧嘩なんて全くしたことないような奴なんだよ…」
「なんで…聡志のこと庇うの?」
「庇ってるわけじゃない…勿論許せないと思ってる。でも、俺はこれくらい大丈夫だし…お前が助けに来る必要なんてない」
どうしてかまた強がってしまう。でも本当に、小笠原に負担をかけたくない。真田が気絶したからといって何もしてこなくなるわけでも無さそうだ。結局目的は小笠原にあるのだから、今あいつらが俺をどうしようと関係ない。
「じゃあ…何されたのか言ってみろよ」
「は…?そ、れは…」
小笠原の声色と口調で怒っているのがわかる。折角来てくれたのに俺があんなことを言ったからだ。
しかし、何をされたかなんて小笠原に言えるわけがない。言いたくない、知られたくない。
俺が何も言えずに俯いていると、小笠原は自身の髪をぐしゃぐしゃと乱してもう一度俺に向き合った。表情は先程よりは強ばっていない。
「本当は…さっき外にいた奴らから聞いちゃったんだけど…辛かったよね。ごめん…」
「…い、やだ…」
小笠原が既に知っている?俺が何をされたか?嫌だ。なぜ嫌なのかは明確にはわからない。小笠原だって俺に同じようなこと、それ以上に酷いことをしたというのに。
「勇也…俺も、これ以上近づかないから…手、離さないで」
振り解こうとした手を、小笠原が両手で包んで握る。違う。小笠原に近づいて欲しくないなんてことはない。むしろこうして手を繋がれていないと不安でどうにかなってしまいそうだった。
「な…んで、俺から離れていったのに…」
「それは、勇也のためを思って…でも、結局それで今こうなってるんだもんね」
「捕まったのはお前のせいじゃない、気を抜いてた俺が悪いんだ…俺は何をされても構わない。だって、俺が傷ついたって誰も…」
「それ以上言わないで」
低い声で制される。小笠原の顔は怒っているというよりも、ずっと悲しそうだった。いつもの冷たい瞳とは違う、奥に何かが眠っているかのようだ。
「勇也が誰かに傷つけられるのは俺が許さない。最低だけど、苦しむ顔は好きだよ。でも、それを見ていいのも苦しめるのも全部俺だけがいい」
「でも…そのせいでもしお前が襲われたら」
「勇也が無事なら何でもいいよ。それこそ、勇也が傷つけられたら俺が悲しむけど…俺が傷つけられても誰も悲しまないでしょ」
「そんな…」
そんなことは無いと言いたかった。だって、小笠原が自分のせいで傷ついてしまったら、きっと俺は悲しい。俺だって、小笠原が人を傷つけるのも、傷つけられるのもどちらも嫌だった。
「俺…人の痛みをちゃんと分かってないからさ…平気で傷つけるし、勇也を自分のものにしたいだなんて、無理があったんだよ。今はもう、抱きしめる資格も何も無い」
「なんだよ、資格って…今まで散々勝手にやってきたくせに」
「それは、本当にごめん…だからもう」
その時、入口の扉が完全に破壊され、大勢が中に入ってくるのが分かった。俺も小笠原もそれに気づいてその方を見る。援軍とやらが追ってきたのだと思ったが、どうもそれとは違う集団がいる。
しかも、それは皆俺のよく知る顔ばかりだった。
「お前ら…どうして…!」
俺が声をあげると、気づいた何人かがこちらへ寄ってくる。真田の方の援軍と闘っていたようだし、敵ではないはずだが…一体なぜ今ここにこいつらがいるのだろう。
『双木さん…!お久しぶりです!』
『双木!大丈夫だったか?』
「あ、あぁ…」
『小笠原…さんに呼ばれて、双木さんが大変だって言うんで駆けつけたんです』
「そうか…お前ら、買収されて…」
『買収?何言ってんだ、確かに最初は金を提示されたが俺たちは受け取ってないぞ』
「は…?どういう…」
どういうことだ。俺が小笠原から聞いた話と違う。かつての仲間は皆、俺のことを裏切って捨てていったものだとばかり思っていた。
『小笠原さんが、双木さんの経済的な援助はこれから全て請け負うから…その代わりに小笠原さんの勢力下に入れって』
『お前さ…あのとき色々大変で本当に死んじまいそうだったから。このまま高校上がってグループが継続していく意気も無さそうだし、皆お前のことを心配してたんだぞ』
「なんで…そんなこと、お前言わなかったのに」
小笠原は、面倒くさそうに髪の毛をかきあげながら話す。
「はは…別に隠すつもり無かったんだけどね。今更善人ぶれるわけじゃないしさ…でもちゃんと屋上でも言ったんだよ『助けに来た』って」
「そんな…」
仲間は誰も俺のことを見捨ててなんていなかった。母親がいなくなって無気力になった俺を見かねてそういう判断をとったんだ…
『あの…それで、何で双木さんと小笠原さんは手ぇつないでるんすか?』
「あ、いや、これは」
指摘されてお互いハッとする。何故か少し戸惑いながら繋いでいた手を離した。
『あ、それより…相手の人員が全然減らないんです』
「減らない…?」
『何人かは再起不能にはなったんだがな、どうやらまだまだ数が増えてるらしい』
「うわぁめんどくさ…全員俺のこと狙ってるわけ?」
『はい、小笠原を捕まえたら学校に復帰できるとかなんとか…』
「なるほど…そういうことか」
「勇也…何か分かったの?」
恐らく、真田の父親は学校に顔が効く人物だ。見た限り集まっている不良達は学校もバラバラだから、退学や停学処分の取り消しを小笠原の確保と交換条件に雇われているのかもしれない。
とは言っても、真田の独断で行っていることだから本当にそんなことが出来るのかどうかはわからないが。
その旨を話すと、小笠原も首をひねった。
「じゃあ…キリがないね。これ以上増えるってことはまぁ無さそうだけど、現状でも大分数が多くなってきちゃってる」
『そこで…双木、お前に指揮を執ってほしい』
「俺に…?」
『はい、相手は闘い方もまばらで戦術もなにもないんで…集団で闘うなら、双木さんの力が必要かなって…』
確かに、集団の戦術を考えるのなら慣れている。けれど、それが今うまくできるかどうかはわからない。それに…
「小笠原は狙われてるんだから…ここにいたら危険だろ」
「何言ってんの。そんなの勇也も一緒でしょ。勇也人質にされたら俺が動けないのは本当だから…それに、俺って案外強いよ?即戦力になれると思うけど」
「まぁ、お前がいれば、勝率はあがるけど…」
「それに今は謙太くんもいるし…まだ勇也には話さないといけない事いっぱいあるけど、とりあえず今はこれを片付けないといけないんじゃない?」
小笠原の言う通りかもしれない。今ここで無駄に喋っていても何にもならない。だったら、早くここを片付けてしまった方がいいだろう。一か八か、やってみるしかないか。
「…小笠原と上杉は特殊だから個別に指示をする。あとは皆五中とやりあったときと同じ布陣で闘ってくれ」
『五中?どうしてまた…』
「まばらに行動するところが五中のやり方と似てる。それにうまく対処するならあれしかない。あと、あの三人組…一人見当たらないが、あいつらはそれなりに力がある。狙うなら脚だ」
「流石だね、二中の頭…狂犬だっけ?」
「やめろよお前まで…いいか、お前ら?」
『はい!…やっぱり、流石双木さんっすね…全員に伝えてきます!』
『久しぶりだし、派手にやろうぜ』
ああ、またこうして仲間に指示を出して闘う日が来るなんて。しかも、五中の頭であった小笠原も一緒に。
「小笠原は…俺と連携でうまく立ち回ろう。パワーとスピードのバランスなら丁度いいだろ」
「怪我は?」
「大したことねえよ、行くぞ……終わったら、俺の方の話も聞けよ」
「…うん」
大きく一歩踏み出して、立ち向かっていった。
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