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第98話Knock down
指示を出してから、相手の数はだいぶ減ってきた。こちらの勝算が見えてくると、相手には逃げ出す者も何人か現れる。確実に数は減っている…このままならいけるはずだ。
「まぁ、そりゃ俺らが二人でいたら狙われるよね〜」
「他のメンバーの応戦は難しそうだし…上杉も一人で大人数相手にしてる」
敵に囲まれてしまった。相手は5,6人…しかしこの程度なら
「俺、そこの二人片付けるから…後頼んだぞ」
「配分おかしくない?まぁ、いいんだけど…ね!」
襲いかかってきた一人をその勢いのままかわして小笠原が回し蹴りを食らわせる。
小笠原の運動神経は並外れていた。体が大きい割に動きが早いし、リーチも長くて有利だ。漫画でしか見たことのないような、敵同士の頭をぶつけたり、人の肩を踏み台にしたり…一体どこでそんな闘い方を覚えてきたのか。
「お前と背中合わせて闘うなんてな…」
「本当だよ…もう二度と無いだろうね。かっこ悪いところ見せてられないや」
練習をしていた訳でもないのに、小笠原との連携は驚くほどうまくいった。どうしてこんなに息が合っているのかわからないが、粗方は片付けられたようだ。
残るは三人組のうちの二人…
『なんなんだお前ら…おい、こっちはもう人数増えねえのかよ!』
『呼んだけどもう来ねえって…勝手に何人か逃げやがった』
「あとは君達二人だね…お前らも勇也に手ぇ出そうとしてたんだよね?」
『ち、ちげえよ!それはこいつが!』
『はぁ?!なんで俺のせいなんだよ!』
「こらこら、仲間割れしないの」
追い詰められた二人は何やらお互いの顔を見合わせる。そして頷くと、二人がかりで小笠原に殴りかかった。
『こいつ捕まえりゃあなんでもいいんだろ!』
『大人しく捕まってもらうぜ!!』
「だから、無駄だって」
小笠原はひらりと二人をかわして蹴り上げる。二人は苦しそうな声を出すが、僅かに口角をあげていた。
『ふっ…かかったな…!』
「は…?」
その時、いつの間に起きていたのか真田がこちらを見て目を見開いているのが分かる。必死な顔で口を大きく開けて叫ぼうとしていた。
「危ない双木!!!後ろ!!!!」
言われて振り返ったときには、鉄パイプを振りかざした影と対面していた。先程までいなかったはずの一人だ。
駄目だ、避けようにも間に合わない。どうして足音にも気づけなかったのか。
決意を固めて目を閉じる。ガンという鈍い衝撃音がして、そのまま床に倒れた。
けれど、頭に痛みはない。誰かが自分の上に覆いかぶさって倒れている気がする。
『はは…まさかこいつから当たってくるとは思わなかったぜ…真田、やってやったぞ、ほら』
そう言われた真田は顔面蒼白で、どうしようどうしようと小さく呟いていた。
体を起こすと、上に乗っていたものがずるりと落ちる。
「当たり…どころ、結構、悪かったかな…」
「小笠原…?」
目を薄く開いた小笠原は、力なくそこに横たわっている。あの一瞬で、俺のことを庇ったというのか。それを悟った瞬間に、自分の体は勝手に動いていた。
鉄パイプを握ったそいつの頬を思い切り殴る。普段いきなり顔を狙って殴るなんてことはしないのだが、自分でも判断ができていなかった。
『う゛っ…』
白い歯のような欠片が一つ飛んでいくのが見える。床にへたりこんだそいつは頬を押さえながらこちらを睨みつけた。
『三浦…てめぇ…!』
『おい…この小笠原ってやつ、血ぃでてね…?』
『やべえよ、これ大丈夫なの?』
『は…?いや、まさか死んだりしてねえよな?』
『おい、真田…これでいいんだよな?約束は守ってくれるんだろうな?』
「こんなこと、しろなんて…俺は言ってない!なんてことしてくれたんだよ!」
『ふざけんなよ!!じゃあ俺たちはどうなるんだよ!!…クソッ!!』
真田に鉄パイプを持って向かっていったそいつの腕を上杉が掴む。
『い゛っ…痛っ…ぁ』
「これ以上犠牲者を増やしてどうするつもりだ」
『おい、やべえって逃げようぜ』
『あ、あぁ…!』
『待ってくれよ…おい!!』
そう言って三人組は走って逃げていってしまった。元二中の連中達は、逃げていく敵グループを追いかけていき、四人だけが建物内に残された。俺はただ呆然と頭から血を流している小笠原を見つめることしかできない。真田の啜り泣くような声が響く。
「謙ちゃん…俺、俺…こんなつもりじゃ…!どうしよう…俺…!」
「分かったから落ち着け、聡志。病院に連絡を入れたいところだがあまり公にはできない。父に頼んでこちらまで来てもらう」
「ど、どうすれば…ごめん…どうしよう」
「そのあとは小笠原のところの病院まで連れていく。連絡を入れるから外に出て待とう…後で全員にちゃんと謝れ。許してもらえなくても自業自得だからな」
「ごめん…なさい…ごめん…」
「そんなに謝るなら最初からこんなことをするな……双木、俺達は外に出ている。小笠原を頼んだぞ」
よろよろと歩く真田に肩を貸しながら上杉も外へ出ていく。俺と小笠原二人だけの空間になった。
どうしたらいいか分からない。血が止まらない。このままこいつが死んでしまったら?それこそ俺はこの先どうしていったらいい?
しゃがみこんで小笠原の髪をかきあげる。傷が深い。その端正な顔を血が赤く化粧していた。
「小笠原…おい、聞こえてんだろ」
上半身を起こさせて、ひしと抱き締める。まだ温かい。小笠原の匂いと血の匂いとが混ざり合っている。
まただ。こんな時に限って、優しい小笠原の姿ばかりが走馬灯のように流れていく。雫が一滴落ちると、せき止められていた涙が溢れだした。
「なんでまた…一人にするんだよ…終わったら話聞くって言っただろ…」
小笠原の胸に顔を埋める。心臓の音が伝わってきて、ちゃんと生きていることを誇示していた。
それでも目を開かない。とにかく止血をしなければ。
小笠原の頭を自分の膝の上にのせて寝かせ、ポケットに入っていたハンカチで傷口を押さえる。
懺悔でもするように、口から言葉が零れていった。
「俺が…気を抜いてたから、こんなことになって…本当に、なんで来たんだよ。俺のことなんて放っておけばよかっただろ」
それなのに俺は小笠原が来て安心してしまった。あいつらに屈辱的な行為を受けていた間でさえ、小笠原に助けて欲しいと思っていた。
「違う…本当は、もっと早く来て欲しかった。家を出ていかないで欲しかった…俺は、もういらない存在なのか?お前のこと、何も知らないのに恵まれてるなんて言ったから…」
小笠原の手をとって、それに頬をすり寄せる。小笠原に触れると、胸が苦しくて涙が止まらない。
「散々酷いことばかりしたくせに…なんで優しくするんだよ。なんで俺のこと好きなんていうんだよ。態度改めてやり直すって言ったのに、すぐ調子に乗りやがって」
押さえていたところの血は、もう流れてくるほどの量でもなくなってきた。それでもこれだけの出血をしてしまっている。頬を寄せた手は少し冷たい。
「三人組に色々されてる間も…お前のことばかり考えるし、お前だって同じようなことしたはずなのに。お前に触れられるのは、嫌じゃない…なんでか、わかんねえけど…」
小笠原が俺に触れるのは、下劣な思いばかりからではない。その裏に、確かに愛情があった。
まともに愛されたことがないから本当にそうなのかは分からない。それは小笠原も同じだろう。愛し方が不器用で、あれがあいつなりの愛情表現なんだ。
小笠原が自分を庇ったときに確信めいた思いが頭をよぎった。俺は、本当にこの男に愛されていたのだと。
「お前がいなかったら…俺にはもう、生きる価値なんてない…」
小笠原の手が、優しく俺の頬を撫でて涙を拭った。
「これくらいで死なないから…そんなに泣かないで、勇也」
小笠原は、目を開いていた。衝撃を受けて余計に涙が止まらなくなる。心の底から安堵して体の力が抜けた。
「なん、だよ…お前…」
「ごめんね…『俺のことなんて放っておけばよかっただろ』くらいから聞いてた」
思い切り序盤じゃないか。小笠原には聞こえていないと思って素直に言葉を漏らしてしまった。もう自分でも何を言ったか覚えていない。
「なんなんだよ…馬鹿…死ね、俺がどれだけ…」
「ねぇ、勇也は俺のこと…嫌い?」
「…なんで毎回、嫌いかどうか聞くんだよ」
「それなら肯定してくれるでしょ?好きかどうか聞いて、否定されるのが怖いから…」
「…まだ傷口開いてるんだから喋るな。あと血が目に入るから閉じておけ」
「無視は酷いなあ」
小笠原はそう言いながら言われた通り目を閉じる。流石に苦しそうで、無理をしているようだった。
俺は、小笠原に応えないといけない。いつまでもこいつと自分自身の気持ちから目を逸らしている訳にはいかないんだ。
心に根付いたしがらみを解いて、前に進もう。
涙で濡れた顔を腕でゴシゴシと擦る。
小笠原の唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねた。
唇を離すと、小笠原は驚いたように目を開く。
「これが俺の答え…だから」
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