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第110話Romeo

「…本当に俺でいいのか?」 「うん、衣装の方大変じゃなければ」 「別に、いいけど…」 家に帰ると、ハルから台本の読み合わせを手伝って欲しいと言われた。会長としているのを見たし、ハルは台本を覚えているのだからわざわざこんなことをする必要は無いはずだ。 「やるからには完璧にしたいからさ」 「意外だな、やる気なんて表面だけかと思ってた」 「そう見える?俺結構こういうの好きだよ。それに、勇也が見てくれてるからね」 「…良かったな、美人な生徒会長が相手で」 「なに?勇也ああいう感じが好みなの?」 「そういう話じゃねえし…ほら、やるなら早くやるぞ」 今日は役者以外にも台本が配られた。生徒会が遅れてやってきたのはこれを増刷していたかららしい。 一時間劇ともなるとそれなりの分厚さだった。よくこいつはこの量のセリフを覚えられたものだ。ロミオなんて一番セリフが多いくらいなのに。 「じゃあジュリエットの…この行から読んで」 「わかった…私の願いを気まぐれに聞いてくれるなら、どうかロミオをここへ連れてきて」 女役のセリフとだけあって読むのも恥ずかしい。あまり感情を込める必要も無いし、とりあえず読めていれば大丈夫だろうか。 「ジュリエット、待ってくれ!」 「…誰?」 思っていたよりもハルは本気で読んでいる。そのオーラに、少したじろぐ。 「話がある。部屋には戻らないで」 「誰?誰なの?…ひどいわ」 「ジュリエット、大好きなあなたが名前を呼んでくれた」 「…ロミオ、ロミオなのね。あんまりだわ、私の独り言を聞いてしまったのね」 「君に一目会いたくて、月に誘われてここまで来たんだ」 「どうしてこんな所まで来てしまったの。殺されるかもしれないのに」 本当にどうしてこんな所まで来てしまったんだ。 ジュリエットを手に入れるためなら命も惜しくないというのか、ロザラインはどうしたんだ。 「あなたへの思いが溢れて、気がついたらここへ来ていたんだ」 ハルは何故かこちらに近づいて、頬に優しく手を添える。 「え…」 「勇也、セリフ」 「あ、ああ…月の女神が願いを聞いて下さったんだわ。でも見つかったら大変、どうしましょう」 「あなたに会えたから、もう死んだって悔いはない」 「そ、そんなのは嫌よ。ロミオ、運命の人。なのにあなたはモンタギューの跡取り。ねえお願い、私は何の肩書きもないロミオとずっと一緒に踊っていたい…」 「きっとそうしよう。美しい音に誘われてキスを交わしたあの時から、ロミオはもう、ジュリエットのものだ」 そう言って、ハルは顔を傾けて唇を寄せてくる。思わずその頭を台本で殴った。 「痛っ!!…せっかくいいところだったのに…」 「こんなこと台本には書いてない」 「え〜そうだっけ?」 「大体、このときジュリエットは上の階のバルコニーにいるんだろ。ロミオどんだけでかいんだよ」 「上手くいくと思ったんだけどなぁ」 文句ありげに口を尖らせ、台本をうちわ替わりにパタパタと扇ぐ。 「練習はもういいだろ、女役なんて喋り方わかんねえし…」 「じゃあこの場の最後のセリフだけやらせて」 「…しょうがねえな」 「お休みジュリエット、もう行くよ」 「…待ってロミオ、お別れの言葉がまだだわ。恋人とのお別れの台詞は、一体なんだったかしら」 「思い出すまで、ずっとここにいるよ」 「じゃあ思い出さない。紐をつけた小鳥みたいに、離れるたびに糸を手繰り寄せて意地悪するわ」 なんなんだこいつら。さっさと帰れ、殺されるぞ。 「君の籠の鳥になりたい」 「嬉しい…でも、可愛がりすぎて殺してしまうかもしれないわ。おやすみロミオ、今日の幸せが覚めませんように…」 「おやすみジュリエット。きっと明日、夢の続きを見よう…」 台本をパタンと閉じた。聞いているだけでも恥ずかしいセリフばかりだ。大体、こんなでかい声で喋っていたら家の人間の誰かしら気づくだろ。そんな夢の無い感想を持ってしまう。 「…こいつら、殺されるかもしれないって言ってるのになんでこんな余裕なんだよ」 「そういうものじゃない?恋人との別れは名残惜しいでしょ。ロミオは命だって惜しくないって言ってるんだから」 「恋人なんていないからわかんねぇよ」 「え?あー…そうか…ちゃんと言ってないもんね」 「何が…」 「いや、こっちの話」 ハルは俺の前髪をかきあげて、そのままそっとピアスに触れる。ハルの手は冷たくて、そのひやっとした感覚に肩がすくむ。 「お前の手、何でそんなに冷てぇんだよ…」 「んー…心が暖かいから、かな?」 「どの口が言ってるんだか…」 手を掴んで払おうとすると、逆にその手を引かれて首元にキスを落とされる。 「この口…勇也が好きな、俺の」 「っ…うざ」 「でも好きでしょ?」 「…聞かなくても分かること、いちいち聞くなよ」 「可愛い」 「嬉しくねえ」 油断も隙もない。ハルはいつでも俺を取り込もうとしてくる。うっかり気を許せばそのまま飲まれてしまう。 本来なら俺がこいつに躾しなければいけない立場なのに、逆に手懐けられている気がする。ハルは俺を手のひらで転がして振り回す。翻弄される度に、手放し難くなるのは何故なのだろうか。 「…ロミオは、ロザラインのことを本当にすっかり忘れたのか?」 「どうして急に?まぁ、台本にそう書かれてるからね」 「お前だったら…どうする?ロザラインが好きだったのに、突然目の前にジュリエットが現れたら」 「俺もロミオと同じだと思うよ。一目惚れって珍しい話じゃないしね」 「…そうか」 「世界が変わるんだよ。きっとロザラインのことなんてすぐに忘れると思う。俺、運命とか結構信じてるから」 それを聞いてドキリとする。どんなに好きでも、気持ちは簡単に切り替わってしまうのか。 「俺…飯作ってくるから」 「手伝おうか?」 「…いい」 「そっか…今日も一緒に寝ていい?」 「明日も練習だろ、お前といると寝れなくなるから嫌だ」 「えー今日は何もしないから…いいでしょ?お願い」 俺はハルの〝お願い〟に弱い。こいつはそれを分かっていてやっているのだろうが、いい加減自分も甘やかしすぎだなと思う。 その夜は、ハルは何もしてこず、そのまま眠った。 本当に、何もしない。俺は余計に眠ることができなかった。

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