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第118話A wake
なんだろう、重い、暑い。
重くて身をよじるが、上に乗った何かは依然として動かない。
ゆっくり目を開くと、自分が寝ているのはリビングの床だとわかる。そして、上に乗っているのは服を着ていないハルだ。
ハルの肩には無数の噛み跡がついている。
しかし、どうしたことか俺はハルがいつ帰ってきたかすら覚えていない。でもこの状況から考えて、自分達が何をしていたのかは明白だ。
「おい…起きろ、おい」
「ん…俺、もう出ないから…勘弁して」
「はぁ?何言ってんだお前」
「勇也の性欲がそんなに強いと思ってなくて…」
訳のわからないことを言うそいつの頭を、俺の下に敷いてあったクッションで殴る。
なんだかデジャブのような気がして、不安になり弱い力でハルの頬を叩いた。
「起きろって…」
「分かった…休憩したらもう一回するから」
「だから何の話だよ…お前いつの間に帰ってきたんだ」
「…え?マジで言ってる?」
ようやく起き上がったハルは、俺を抱き起こしてから転がっていた下着を履いてソファに座る。
「つーか、一ヶ月経つまで禁止って…」
「…勇也、どこから覚えてないの?」
「風呂入って出て…その後からは…」
「俺が帰ってくる前じゃん。あんなに昨日の夜は積極的だったのに…」
全く思い出せなくて、額に手を当てて考える。
ぼんやりと昨日のことを思い出すと、段々記憶が戻ってきて顔がみるみるうちに熱くなった。
「あれ…夢じゃねえの?」
「うん、夢じゃないよ。勇也がしたいって言うから」
「そのあと…よく覚えてねぇ」
「いやー…大変だったよ。出したあとなのに『もっと』て何回も言われて全部搾り取られた」
有り得ない。いくら薬で正常な判断ができていなかったとはいえ、なんという醜態を晒してしまったんだ。
「…死にてぇ」
「そんな事言わないで。勇也が昨日言ってた通り毎日抱いてあげるから元気だしなよ」
「だから、昨日のことはほとんど覚えてねえしマトモじゃなかったんだって…」
ただひとつ、はっきりと覚えていることはある。
今この瞬間は、間違いなくハルは俺のことを好きでいてくれるということ。
それが永続的であればいいのに。籠の中に閉じ込めて、離れようとしたらその足に括り付けた紐を手繰り寄せてしまいたい。
「今日はちょっときついけど、明日だったらまた俺元気になるから」
「うるせぇ、もうしばらくしなくていい」
「またセックスレスで欲求不満爆発させたらどうするの?」
「だから、俺は別に…っ!」
セックスレスかどうかは知らないが、欲求不満だったのは事実だ。
否定するにできなくて押し黙ると、ハルは犬を撫でるように俺の顔を手で包んでわしゃわしゃと動かした。
「まぁ、勇也がしたくないなら強要はしないけど」
「…気が向いたら、すればいい」
「でも俺にも我慢の限度ってものがあるから、一週間して襲いかかっても文句言わないでね」
「そういうのを強要って言うんだよ、馬鹿」
ソファに手をついて立ち上がると、太腿を何かがつーっと伝う。
見なくてもそれが何なのか分かってしまう。恥ずかしさで顔が徐々に熱くなっていった。
「その、勇也に脚でホールドされて中に出さざるを得なかったっていうか…」
「…これ、何回、中に」
「勇也が気失って俺もバテた頃までやってたから…十数回?」
昨日の俺もおかしかったのは分かっているがそれにしても多すぎる。
いつもあれだけやってピンピンしているハルがバテるほどなのだからよっぽど酷かったのだろう。
「…最悪。風呂入ってくる」
「俺も一緒に入る」
「ついてくんな!」
「遠慮しなくていいのに」
結局風呂に入れられて無理矢理洗われ、髪の毛まで乾かされた。一緒に風呂に入るのは、風邪をひいた時以来だ。
「なあ、そういえばお前文化祭終わるまでって言ってたけど、あれはどういう…」
「あ、ちょっと待って電話」
なんとなく記憶に残っていたことを尋ねようとしたが、タイミング悪く電話がかかってきてしまう。
「…誰から」
「佳代子さんだった。スイカ持ってもうすぐ来るって」
「はぁ?スイカ?」
とりあえず佳代子さんが来るということで、すぐに適当な服に着替える。
リビングの掃除も簡単に済ませた。
「勇也、なんで長袖着てんの?暑くない?」
「…お前のせいだよ」
袖を捲って腕を見せる。
二の腕から肘辺りにかけてハルのつけた痕が残っていた。
「ああ、ごめんね?」
「お前の…首のそれって」
「勇也がつけたんだよ」
肩を噛むばかりでなく、首にまで噛み跡やキスマークを残していたことに気づいて我ながら恥ずかしいと思う。
首についた痕は服で隠しきれない。夏だから蚊に刺されたという事で押し通すしか無さそうだ。
しばらくするとチャイムが鳴る。
ドアを開けると、佳代子さんは大きなスイカを手にしていた。
「いやぁ〜ごめんなさいねぇ、急に来ちゃって」
「いえ、大丈夫…ですけど」
「双木さんも元気そうでよかった。安心したわ」
「はい…この前はありがとうございました」
佳代子さんは「いいのよ」と言ってリビングへ向かっていく。ハルがスイカを受け取って代わりに運んだ。
「それにしても、本当に大きいねこのスイカ。どうしたのこれ?」
「昔の同僚の実家でスイカ育ててね、毎年おすそ分けしてもらってるから、二人にも持っていこうと思って」
「そんな…佳代子さんの家族で食べたりとかは…」
「沢山もらうから、うちは三人家族だしすぐには食べきれないのよ」
なるほど、確かに三人家族でこの大きさのスイカを沢山貰っているとなると、消費も大変だ。
佳代子さんは、また顔にえくぼを浮かべて楽しそうに話す。
「息子がね、丁度あなた達と同じくらいの歳なんだけど、どうも反抗期で」
「反抗期とスイカって何か関係あんの…?」
ハルが首を傾げて尋ねると、佳代子さんは呆れたように息子の話をし始めた。
なんでも、本当はスイカが大好物なはずなのに、急にこんなにいらないと言い始めたらしい。
「中学生のときまでは沢山もらっても全部あの子が食べるくらいだったのにねぇ、なんの意地なのかしら」
「反抗期ねぇ…まぁ、俺も常に反抗してるようなもんか」
反抗期…俺にとっては、中学に入って変わり始めた頃のことを指すのだろうか。
それと比べれば佳代子さんの息子の反抗期はまだ可愛いものだ。
こんなことを考えるべきでないのは分かっているが、そんな息子のことを楽しそうに話す佳代子さんを見て、その息子が羨ましいと思った。
この人はきっと、本当に自分の息子を愛しているのだろう。
「あ、あまり長居しちゃだめね。私もこの後また出掛けなきゃ」
「どっか行くの?」
「ええ、同僚達で集まってお茶会するの」
先程から同僚という言葉を何度か耳にした気がするが、一体佳代子さんの同僚とはどういう人なのだろうか。
「あの…同僚って?」
「ああ、私こう見えても昔は看護師だったの。その時の職場の人達よ」
佳代子さんのような看護師がいたら、患者も心強いだろうなんて思ってしまう。
佳代子さんは、「さてと」と言いながら立ち上がって、とびきりの笑顔を見せた。
「それじゃあ、二人とも良い夏休みを」
「佳代子さんもね」
「あ、そういえば遥人さんも文化祭で劇やるんだったかしら?」
佳代子さんがそういうので、俺達は顔を見合わせる。なぜ佳代子さんが知っているのだろうという考えを悟られたのか、口に手を当てて笑いながら続ける。
「上杉くんが言ってたのよ。ほら、私は泊まってないんだけど昨日はみんなで集まったから。そのときこの話題になったの」
佳代子さんの言う上杉くんというのは、謙太のことではなく虎次郎のことを指しているのだろう。
ハルが言っていたように、やはり大人達は皆集まっていたようだ。
「げ…じゃあもしかして父さんも知ってる?」
「もちろん。文化祭も見に行くって言ってたわよ」
「いいよ来なくて!」
「きっともう言っても聞かないわ。あの子頑固だから…ふふ、それじゃあまたね」
楽しげに声を上げて笑いながら、佳代子さんは出ていった。
「…良かったな」
俺は、自分でも無意識にそう呟いていた。
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