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第122話The day before

夏休みもあっという間に終わり、一週間ほどが経過した。今日は文化祭の前日準備で、俺は劇の方のリハーサルに顔を出すことになっている。 昨日は前々日準備でクラスの方を手伝っていたのだが、うちのクラスはお化け屋敷をやるらしい。クオリティはまずまずだったが、俺は真田のお陰…というか真田のせいで準備を仕切ることになった。 クラスの連中は俺が真面目に準備をしていたことに酷く驚いていたが、我ながら手際が良かった自覚もあったし、それなりの信頼を得てしまったようだ。 馴れ合うつもりはなかったのに、少しクラスに馴染み始めてしまった。真田を恨むべきか、感謝するべきか…どちらとも言えない。 そして今日、指定された時間に体育館に行くと既に何人か集まっていて、その中にハルの姿もあった。しかし皆して神妙な面持ちだ。 その理由は、皆の前に立っていた会長にあるのだとすぐに分かる。 会長は、松葉杖をついて足に包帯を巻き付けていた。 その包帯というのも何重にも巻かれ固定されているもので、軽い怪我ではなさそうだ。 全員が集まった時、ようやく会長が話し始めた。 「皆さん、集まってくれてありがとうございます。見てわかる通りだとは思いますが、先日怪我をしてしまいました。私の不注意で部活中に足首を骨折して、全治2ヶ月はかかるそうです…」 その言葉に周りはざわめき始める。 『2ヶ月って…劇はどうなっちゃうの?』 『私達あんなに頑張ってきたのに…』 たしかにその通りだ。けれど、それが一番辛いのは他でもない会長自身だろう。 会長の目からは、静かに涙が零れていた。 「本当に…何度謝っても謝りきれないのは分かってます。悔しくて…悔しくて…どうしようもありません。申し訳ありませんでした」 皆、会長がどれほど頑張っていたのかはよく知っているから、低俗なブーイングなどは起こらなかった。 しかし、か細い声で一人の生徒が尋ねる。 『あのう…それじゃあ、劇は無くなっちゃうんでしょうか』 会長は自身の腕で涙を拭い、まっすぐ前を向く。その目は、なにかの決意に固められていた。 「私は…この劇をやるつもりでいます」 さらにどよめきが広まっていく。 『でも、会長さんそんな足じゃ』 『ジュリエットがいないと話にならないしなぁ…』 『無理しない方がいいですよ、ここまで頑張れたんだから!』 「やっぱり…私がこのまま出るのはきついかな」 隣にいた副会長が静かに首を振って、「ダンスシーンもありますし…」と口ごもる。 居た堪れない気持ちになったが、どうしようもない。 この前会長のあの言葉を聞いたからか、俺自身もショックが大きかった。 会長は、この劇を絶対に成功させるつもりだったのに。しかも2ヶ月となると、引退試合にも出られないだろう。どうしてここまで残酷なのだろうか、本当にここにいる全員があれだけ頑張ってきたというのに。 そこで、誰かが何かを言い始める声が聞こえた。俺にはそれがハルの声なのだとはっきりとわかる。 「ジュリエットに、代役をたてたらいいんじゃないですか」 一度その場はしんとするが、すぐにまた各々喋り始めた。 『確かに、それが出来たらいちばんだけど』 『でも誰がやるんだよ』 『私他の役ででてるし…』 『セリフだって、あと2日しかないのに』 「ドレスを直して、セリフと動きを覚えてもらって、一般公開…明後日までにできる人ってことになるけど…いるのかな?」 「セリフは、生徒会長が裏からマイクで喋りましょう。まぁ、動きと大体のセリフは結局覚えてもらわないといけなくなりますけど…」 『それって凄く難しくない?』 『でも…出来るんだったらやった方が』 『衣装直すのも大変だよ、会長背高いし』 『靴のサイズとかどうするの?』 「ドレスもできるだけ直さなくていいように…セリフと動きが頭に入ってる人…あ!」 そこで、何故か俺は会長と目が合う。 何か期待の眼差しを感じるが、まあ確かにドレスを直すくらいだったら容易なのでそこは任せてほしい。しかし、一体誰が代役をやるというのだろうか。 「双木くん…きみなら、代役ができるんじゃない?」 「は………?」 全員が一斉にこちらを見る。 何を言っているんだ、この人は。 「背丈も私と変わらないし、靴のサイズも確か同じだよね」 少し男としてグサリと心に刺さるが、言われた通りなので頷く。 「役者のセリフと動き、全部覚えてるよね」 「ああ…まあ」 周りの反応が怖い。そんなの絶対に誰も認めるわけが… 『確かにサイズ感も変わらないし、ドレス着れば体格も分からないしな』 『双木くん、顔綺麗だし…』 『会長が声あてるなら男ってバレないしいいじゃん!』 いや、なんでだよ、良くねえよ。 助けて欲しいという視線を真田や上杉に送るが、何故か二人とも納得した様子だ。 「確かに、双木はセリフを完璧に覚えていたな…」 「他の役にも入ってないし、こんな奇跡ってなかなかねえよ」 だから、なんでだよ。 最後の頼みの綱はハルだ。ハルの方を見ると、汗をかいて眉を下げている。どうやら本人もこうなるとは思っていなかったらしい。てっきりハルが根回ししたのかと思ったが、そうではないのか。 「ねえ、双木くん、あなたが私達の最後の希望なの。無理言ってるのは分かってる。けどお願い…!」 少し後ずさって、てきとうに断る理由を探し出す。 「でも骨格男だし、喉仏あるし…」 『衣装とかチョーカーで隠せるでしょ』 「髪短ぇし…」 『ウィッグ被れば問題ないよ』 「顔男だし、メイクとかしたことねえし…」 『美形だしメイクは私達に任せて!』 「誰か止めろよ!」 そう言うと、例の風紀委員長がこちらを睨んでビシッと指をさす。 『この状況を打破出来るのは君だけだ。不本意だが…劇を成功させるには君の力が必要なんだ!』 そこまで言われては、もう何も言い返せない。 会長の無念を晴らすためにも、ここは引き受けるしかなさそうだ。 「わかりました…やってみますけど…どうなっても知りませんよ」 辺りが歓声に包まれる。まさかこんなことになるとは思っていなかった。いや、誰がこんなことになると予想しただろうか。 慌しくリハーサルの準備が始まる。俺の演技への演出と、マイクで声をあてる会長との連携練習になるようだ。 会長は二階の音響卓からマイクで声を通す。そこからの方が舞台が良く見えるので丁度いい。俺以外のメインの役者は衣装にピンマイクを付けていた。どうやら、マイク無しでは広い体育館に声が響かないらしい。 こうして、俺たち四人は全員役者として出ることになってしまった。 待てよ、虎次郎も見に来るんだったな。最悪だ、どうか気づかないでくれ。 衣装の微調整は衣装係に任せ、俺が衣装を身につけるのは本番のみということになった。実際のドレスは動きにくいだろうから不安だが、今はまだ着たくないし、できれば一生着たくない。 『それじゃあ頭から始めまーす…通しじゃないので何かあったら止めます、セリフだけ気をつけてください!』 その後の合図で、劇が始まる。舞台袖から見る演技は、客席側から見るものとはまた違っていた。 正直めちゃくちゃ緊張している。 舞台に立ったことなど今まで一度もないし、ましてや女役なんてやったこともないのにできる気がしない。 『はい、オッケー。次ジュリエットのシーンです!出る人皆準備してください!』 照明がついて、セリフが始まる。俺は覚えていた通りの動きをした。少しぎこちなさはあったかもしれないが、なんとか出来ているはずだ。 『凄い…双木くん、口の動きがちゃんとセリフと合ってる!』 『口パクと演技は問題なさそうだね』 『良かったね、ほんと』 よし、なんとかなっている。次はロミオが出てくる。ここでロミオと目が合ってダンスを始めるのだが… 『ストップ!待って、ジュリエット顔怖すぎ!ロミオ出てきた瞬間ガン飛ばさないで!』 「あ、すみません…無意識につい」 ハルがあまりにもロミオの役が似合っていて、普通の顔で見ていられない。しかもあいつは心做しかいつもより生き生きとしていてムカつく。 そのあと何度もやってみたのだが、ハル相手だとどうも顔が強ばってしまう。 『うーんどうしたものかなぁ』 「すみません、ちょっと俺がどうにかしてみます。勇也、こっちおいで」 そう言われて、舞台袖ではなく後ろの幕の裏に連れていかれる。 「悪い、小笠原…」 「ハルって呼んでよ」 「学校だし…」 学校で呼ぶのは少し恥ずかしい。 というか、ここの幕の裏は誰もいないがなにをするつもりなのだろう。そう思っていると、いきなり顔を押さえつけられて唇を重ねられた。 「ん゛っ?!んんっうっ」 舌を入れられて、ねっとりと口内をなぞられる。逃げようとする俺の舌を捕らえるように絡みついて、抵抗する気力も奪うほどに溶かしていった。 ようやく口を離されるが、頭がぼうっとしてふわふわした気持ちになる。 「ん…いい顔になったね」 そう言うとハルは俺の口の端から垂れた唾液を指で拭って、そのまま幕から舞台へ戻ってきた。 「大丈夫です、もう一回さっきのところからお願いします」 そして、また演技が始まる。今度はハルの方を見ると顔がふやけてしまったみたいに緩む。さっきの舌の感触を思い出して、ひとりで勝手に恥ずかしくなった。 『はい、オッケーです!すごい、ジュリエット表情良くなったね。一体何したの?』 「はは、秘密です」 この野郎、絶対に許さない。学校でこういうことをするなど何度言ったら分かるんだ。 男同士なんだ、見られたらなんと言われるか分からない。 その後も練習は続いたが、俺と会長のセリフの合わせは何とかなりそうだ。 問題は表情だけだが、本番前にハルにアレをお願いしてやってもらった方がいいのだろうか… いや、何を考えているんだ。もしも必要そうであれば、念の為にやればいい。別にしたくてしている訳では無い。 明日は文化祭の校内発表1日目だが。一応練習が入っている。あまり悠長に楽しんではいられないだろう。一般公開の日まであと2日…何とかしてみせよう。

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