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第126話Romeo and Juliet②
最初の場面では、ロミオと親友のマキューシオやベンウォリオが楽しげに話している。
ちなみに、ハルが舞台に出てきた瞬間やはり黄色い悲鳴のようなものが客席に響き渡っていた。
幕の隙間から客席を見ると、席はほぼ満員。恐らく軽く1000人近くはいるだろう。うちの生徒が殆どではあるが、保護者や中学生も少なくはない。
前の方を陣取っている大人に目を向けると、思っていた通り、ハルの父親達だ。
虎次郎や佳代子さん、そして真田の父親もしっかり来ている。これはあいつらもヘマはできない。
場面が移って仮面舞踏会のシーンになると、大道具が動いて客席がどっと盛り上がる。
俺もそろそろスタンバイしなければならない。
「こんなに沢山のお姉さんがいるなんてな。なに、仮面をつけているからお前がモンタギューの奴だなんて誰もわからない。今日は誰が手柄を取るかな」
真田にはマキューシオの役がよく似合っている。生き生きと演技する姿はとても自然だった。
そしてロミオ一行と離れたところにディボルトが出てきて、ロミオがいた事をキャピュレットへ伝える。
「見ただろう、あれを。舞踏会にロミオが紛れ込んでやがる。あれは俺に対する挑戦状だ!」
上杉の演技は最初の頃よりもぐっと良くなった。そうだ、その調子だ。
次はジュリエットが出てくるシーン。舞台の下手から登場し、母であるキャピュレットの夫人と、ジュリエットの婚約者のパリスが話しかけてくる。
いよいよだ、そう思ってドレスの裾を少し持ち上げ、舞台に歩き出す。思っていたよりもこの靴は歩きずらい、転ばないように気をつけなければ。
『あら、ジュリエット遅かったじゃない』
「ごめんなさい、ちょっとドレスの寸法が合わなくて」
緊張して舞台の照明に照らされると、観客席からざわめきが聞こえる。生徒会長もマイクを使っているから声に違和感は無いはずだが、やはり男だとバレているのだろうか。
パリスとのダンスシーンになり、一度舞台から袖へ戻る。緊張でどっと汗をかいていた。ハルは舞台上にいたが、台本の都合上ジュリエットとまだ目を合わせてはいけなかったので、この姿をまだ見られてはいない。
舞台袖で待機していた衣装係の女子に小声で話しかけられる。
『やったね、ジュリエットめちゃくちゃ好評!』
『皆あの美人は誰だって噂してる』
『そのうちファンが付いちゃうかもね』
「嘘だろ…?」
こんなもので良かったのか。意外とバレないものだな。しかし、いくらなんでも俺は男だし、客席と舞台が離れているからそう見えるだけなのではないだろうか。
『ほら次、ロミオと目が合うシーンだよ!』
『頑張って!』
そう言われて慌てて舞台へ戻る。
ダンスの相手を交換しようとした瞬間、ロミオと目が合う…
ロミオとジュリエットは引き寄せられるようにお互いの方へ歩いていき、一目で恋に落ちる。
仮面越しに見たハルの目は本当に恋に落ちた瞬間のロミオのそれのようで、こんな演技も出来るのかと心の中で感嘆した。
顔をひきつらせないようにと意識していたが、ここでロミオが手にキスをするふりをしてダンスを始めるはずなのに、ハルは俺を見つめたまま動かない。
まさか、台本が飛んだのか?予期していなかったハプニングに俺は冷や汗をかくが、ようやく手を取られ、ひと安心する。
ロミオはジュリエットの手を取り、手の甲にキスのフリ…こいつ本当にしやがった。
そしてダンスの誘いを___
唇に、柔らかいものが当たった。それはハルの唇で、俺は状況が理解出来ず呆然とする。
『キャー!!!』
本当の悲鳴が客席から飛んでくる。興奮したものもあれば、悲しんでいるようなものまで。
ハルは観客に背を向けて、俺だけに見えるように自身の唇に移ってしまった赤いリップを舌なめずりでもするように舐めとった。
それを見て俺の体温は急上昇していく。
「僕と踊ってはくれませんか?」
「…え、ええ!喜んで」
ごめんなさい生徒会長。観客から見えないとはいえ口パクを忘れてしまいました。
生徒会長の声も焦っているのが良く分かる。本当にごめんなさい、何考えてるんだこいつは。
ウィンナーワルツに合わせて踊っているあいだ、恥ずかしくて目を逸らしたいのに台本上そういう訳にもいかないし、何故かハルから目を離せなかった。
そのシーンが終わり、一度舞台転換のため照明が落ちて役者は袖に戻る。
「てめぇ、何考えてんだよ」
「ごめん…その、あまりにも綺麗で思わず」
本心からそう言っているように見えるハルの言葉に赤面する。その様子を見ていた女子達は、何があったのか討論のようなことをしていた。
「おい、もうすぐ出番だから…」
「うん…」
「だから手ぇ離せよ」
「え?あ、ほんとだごめん」
ハルは無意識に手を握っていたらしい。周りから変に思われていないだろうか。
そんな心配をしながら裏から上手へ向かい、セットされたバルコニーへ顔を出す。
「大丈夫よばあや、もうパリスさんにはお会いしたから。私具合が悪いの、お母様にも伝えておいて。ここから先は大人の時間だから、私はもう寝るわ」
『分かりましたわ。おやすみなさいお嬢様』
バルコニーから外を眺めて、独り言をいうシーン。誰もが知っている有名なシーンだからか、客席も皆ヒソヒソと話しながら観劇しているのが窺える。
「ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?あの愛の台詞が本当なら、名前はロミオでもいい、せめてモンタギューという肩書きを捨てて」
モンタギューとキャピュレットの家に生まれてしまったがために、許されない恋をしてしまった二人。一体どんなに辛いだろうか。
周りからは決して認められなくても、冷めやらぬその恋の気持ち。
やりきれないだろう。好きなのに、一緒に隣を歩くことも、愛しているのに、キスをすることもきっと許されない。
「あなたに会えたから、もう死んだって悔いはない」
「そんなのは嫌よ。ロミオ、運命の人。なのにあなたはモンタギューの跡取り。ねえお願い、私は何の肩書きもないロミオとずっと一緒に踊っていたい…」
「きっとそうしよう。美しい音に誘われてキスを交わしたあの時から、ロミオはもう、ジュリエットのものだ」
初めてハルと練習をした一節。声は生徒会長だが、実際に自分がジュリエットをやることになるだなんてあの時は思っていなかった。
甘ったるいこのシーンが終わると、ロレンスの所へ行くシーンへ。しかしまたしばらくすると教会で結婚の誓いをするシーンへと移る。
いくら自分でセリフを言っていないといっても、ハルの甘い囁きを聞きながら目を合わせるのは苦行だった。
次はディボルトがロミオに決闘を申し込み、マキューシオと闘うシーン。俺は一番このシーンが白熱して好きだった。
なんと言っても上杉の剣さばきが素晴らしい。
二人が剣を抜くのをロミオが止めようとするが、マキューシオはディボルトに突き刺され、倒れてしまう。
「やられた。ロミオ、お前が腰抜けのせいで!いいか、俺を友達だと思っているなら、ティボルトの奴を討ち果たせ。俺の死に意味があることを見せてくれ!」
苦しみながらも、マキューシオは恨ましげにそう言い放つ。真田の迫真の演技だ。観客も息を飲んでいる。
親友を殺されたロミオは、剣を抜いてディボルトへ向かっていく。
「待てディボルト!マキューシオが天国に行く前に、お前を地獄に送ってやる」
「そうこなくっちゃ面白くねえ」
剣を交わした後、ロミオの剣がディボルトの胸を突き刺す。
親友を殺され我を失ったロミオは、愛するジュリエットの親族を殺してしまった。
ジュリエットはこのことを簡単に許してしまうのだが、俺はどうだろう。
きっと俺も、親族よりも愛するロミオを優先してしまう。
ジュリエットは恋に盲目でまだ幼稚な女だと思っていたけれど、俺も大差ないのかもしれない。
いよいよクライマックスに差し掛かる。
パリスとの結婚を拒むジュリエットはロレンスにすがりつき、42時間仮死状態となる薬をもらう。
周りには死んだと思い込ませて、キャピュレット家の霊廟へと埋葬された。
そして42時間後にロミオが迎えに来てマンチュアへ向かう手筈だった…
しかし、ロレンスの伝言を伝える役目を負った使者はヴェロナで足止めをくらう。その間にジュリエットの死を知ったロミオの従者は急いでそれをロミオに知らせる。
ロレンスの伝言を聞いていなかったロミオはジュリエットが本当に死んだと思い込み、薬屋から毒薬を買ってジュリエットの側で共に死のうと霊廟へ急いだ。
『モンタギューのロミオ!私の妻の墓で何をしている!』
霊廟へ行ったロミオは、そこでジュリエットの婚約者パリスと鉢合わせる。
俺はこの間死んだふりをしていなければならなかったので、なるべく動かないように努めた。
「貴様、パリスか。ジュリエットを妻などと呼ぶな!彼女は僕と先に婚約したんだ」
二人は剣を抜き、決意を固めていたロミオはパリスを殺してしまう。このシーンも、本当はちゃんと見ていたかった。
「やっと会えた。二人はいつまでも一緒だって言ったじゃないか。あんなに暖かかった体が、こんなに凍りついて」
ハルが寝ている俺の体を抱き起こすのが分かる。
すると上の方から水のようなものが垂れてくるのが分かった。
こいつ、演技で泣いているのか?そこまでできるとは思わなかった。
「ねえ、お願いだ、もう一度瞳を開いてくれ、もう一度僕を呼んでくれ。最後にもう一度キスをしよう、お休みジュリエット」
最後にもう一度キスをしようなんてセリフがあったか?そう思っていると、唇に暖かいものが触れる。
またやりやがった。ジュリエットは仮死状態だというのに、顔に熱が集まってしまう。
杯の毒を飲み干し、そのまま隣にどさりと倒れてロミオは息絶える。
仮死状態から目覚めたジュリエットはようやく体を起こした。
「お早うロミオ、ロミオでしょう。いま唇が暖かった。私、夢を見ていたのかしら」
キョロキョロと辺りを見ると、そこには倒れているロミオ。必死になって肩を揺さぶる。
「ロミオ、ロミオ!嘘でしょう…返事をして頂戴」
そこに転がっていたのは毒の入っていた杯。ジュリエットは絶望に打ちひしがれる。
「なんで私を置いて行っちゃうの。起きてよロミオ。一緒にどこまでも行こうって、いつまでも二人で暮らそうって約束したじゃない。さよならの挨拶もなしで私を残して行かないで」
もう少しで最後のセリフだ。なんとかここまで来れた。これで劇も無事に__
どこかで、ブツンと何かが切れたような電子音が聞こえる。気を取られるとセリフがズレてしまうので気に留めず口を開く。
「っ…!」
会長の声が…聞こえてこない。
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