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第129話After Festivals

「は…?」 恋人?つまり、それは 「俺と付き合ってってこと。そもそも俺はずっと付き合ってるつもりだったんだけどね?」 「いや、おかしいだろ…だって」 「勇也はいいの?このまま、ただ一緒に暮らして、体の関係をもつだけで」 違う。けれどいいのだろうか。この関係性に名前を持たせてしまったら、きっと俺はずっとそれに縛られるし、戻れなくなる。 とうの前に戻れなくなったことなどがわかっていた。 自分はこれを拒む気持ちなど全くないことも。 〝普通〟でない関係になることは、俺たち自身がその普通の規定から外れた人間になることと同じだ。 ハルは本当に、それでいいのだろうか。 「普通じゃない…俺達が付き合うなんて」 「普通の基準なんて誰が決めたの。俺達が恋人同士になることは変じゃないと思うけど」 ハルの目に迷いは感じられない。また、NOと言わせる気は微塵もないようだった。 「恋人になる条件なんて、俺が勇也を好きで、勇也が俺を好きでいることだけで充分でしょ」 「でも…」 「それに俺は軽い気持ちじゃない。勇也の人生も全部背負うくらいの覚悟はあるよ」 いきなりスケールが桁違いの話になってきた。 俺だって、自分の人生をすべて委ねる決意をしたではないか。 もう一人ではないから、ハルと手を繋いで、二人で生きていけるなら。 握られた手を、強く強く握り返す。 「不束者…ですが…」 「なにそれ、プロポーズはまだしてないんだけどね?」 ハルは満面の笑みを浮かべて立ち上がる。俺も必然的に立つことになったが、廊下の方で気配を感じた。 『あれ、ロミオとジュリエットやってた人達じゃない?』 『え、ほんとだ!』 衣装を着ていたから目立つのは当たり前だったが、開いた保健室のドアから俺たちの姿はバッチリと見えてしまっていたようだ。 焦って離れようとする俺を抱き寄せて、ギャラリーに見せつけるかのようにキスをした。 見ていた生徒二人は何故かあちらの方が恥ずかしそうにしてこの場を去っていく。 傍から見れば男女がキスしているだけに見えるかもしれないが、それにしたってわざわざ見せつけることはないのに。 「お前、なにも人前ですること…!」 「いいでしょ、記念に」 「学校とか、人前でするのは嫌だ…」 そもそも普通の男女のカップルであったとしても、人前でくっついてキスをしたりするのは少なくともこの国では目に余る行為だ。 「誰かに見られるのって興奮しない?」 「しねえよバカ」 呆れて溜息をつく。いいことを言ったかと思えばすぐこれだ。 「俺、恋人とか作るの初めてだから…勇也も初めてだよね?」 「俺は、まぁそうだけど…お前は今まで散々女と」 「付き合ってるっていう認識は無かったから。だから勇也が初めて」 この様子からして、本心からそう思っているのだろう。 それが嘆かわしくもあったが、少し嬉しかった。 「そろそろ表彰式もあるし、メイク直してから体育館行こうか」 差し出された手に勇気を出して自分の手を重ね、ドレスの裾を持ち上げて階段を昇っていった。 『__学年ごとの表彰は以上です。最後に、文化祭大賞の発表に移ります。今年の文化祭大賞は…』 ドラムロールのような音楽が流れ、体育館内はざわめく。そして、それっぽく実行委員長にスポットライトがあてられた。 『有志団体による、ロミオとジュリエットです!おめでとうございます、代表者二名は壇上に上がってください』 「行こうか、ジュリエット」 無言で頷いて、ハルにエスコートされながらステージへ向かう。 生徒達はハルに声援を送ったり、ジュリエットの正体を探ろうとしたりしていた。 表彰を無事に終え、控えていた席に戻る。 会長は俺たちの様子を見てグッドサインを指で送ってきて、ハルは少し勝ち誇った笑みを見せた。 その後、劇に関わったメンバーは体育館に残って受賞を皆で称えた。 あの堅い風紀委員長までが「君の演技に感動した」と言って激励してくれたときは流石に驚いてしまった。 涙を流して何度も感謝と謝罪を繰り返す会長をまた副会長が宥めていて、その他全員は会長に対してお礼の言葉を次々と述べていく。 最初は面倒だし何もしたくないと思っていたけれど、こんな風に自分も学校行事を楽しむことが出来て満足だった。 それが出来たのも周りの皆のおかげで、なによりもハルに出会えたから。俺は今、ここにいる。 もう一人じゃない。恋人がいて、支えてくれる人がいる。 これまでにないくらい心は満たされていた。 着替えるために貸し出された教室で、ハルと二人きり。脱ぐのは自分で出来るだろうということで、手伝いは頼まなかった。 「お前、よかったのか」 「なんのこと?」 「後夜祭、お前友達いっぱいいるだろ」 ハルは小馬鹿にしたように笑って、メイク落としのシートを俺の瞼に押し付ける。 前が見えなくなり、ハルの気配があるほうを軽く何度か叩いた。 「恋人と一緒にいるんだから、他に優先することなんて何も無いよ」 「そ、そうか…」 「勇也、それ一人で脱げるの?」 言われて、背中のファスナーに手を伸ばしてみる。届くことには届くのだが、ファスナーの上に留められたホックが外せない。 「悪い、後ろのファスナーだけ下ろしてくれねえか」 「わかった…なんか、ドキドキするね」 「うるせえな早くしろ」 「はいはい」 ホックが外され、ゆっくりとファスナーが下ろされていき、背中が外気に触れる。 僅かに布越しに伝わってくるハルの体温が、指の感触が、たまらない気持ちにさせる。 「そういえば、お前んとこの親も見に来てたな」 「本当に来るとは思わなかったよ」 「虎次郎も、佳代子さんも真田の父親も…来て」 そこに自分の親などは勿論含まれていないし、仮に生きていても来てくれるはずはないのに何故か言葉が詰まった。 「どうかした?」 「いや、なんでもない…成功してよかったな」 ウィッグを外しながら曖昧に言葉をぼかす。 今はこんなこと気にしなくていいんだ。 ひとりじゃない。ひとりじゃない。 「ほんと、マイクの接続が切れた時は俺も焦ったけど…頑張ったね、勇也」 優しく髪を撫でてくれるその手が好きだ。 暖かく笑うその目が、唇が、全て愛おしい。 一時も離れて欲しくない。これからはずっと側にいてくれる。 「お前の演技も凄かった…その、本物のロミオみたいで」 「はは、ありがと。勇也相手だからどうもジュリエットと重ねて見ちゃって」 俺も、最後のシーンをあんなふうに演じられたのはきっと相手がハルだったからだ。演技だったのかは分からない。けど体は勝手に動いていた。 「今日、何食べたい?お前の好きなもん作ってやるよ」 「いいの?じゃあ、勇也が初めて作ってくれたやつ」 「ああ、グリンピース抜きでな」 初めてハルに料理を振舞った日。 もういっそ死んでしまいたいとまで思ったあの日。その原因も何も、こいつのせいではあったのだが、何でか俺は今この憎たらしくも愛しいハルのために生きている。 二人で並んで家に帰った。 まだ人前で手を繋ぐことに抵抗があるのをハルは感じ取ったのか、人目のなくなったところで手を差し出してきた。勿論、それをしっかりと握り返す。 「あ、卵あと一個しかねえや」 「買ってこようか?」 「いや、俺が行ってくる。お前は玉ねぎと人参を…」 「みじん切りでいいんだっけ?」 得意げに笑うハルが可愛いく思えて、笑みがこぼれた。 スーパーはここから歩いて7分ほどの所にある。 いつもより帰りが遅かったから、空は既に薄暗い。遅くなってもいいからオムライスを食べたいとハルが言うので、代休もあるし今日は遅めの夕食をとることになった。 一人でいると、幸せを噛み締めるように顔が綻んでしまって危ない。それでも自分の言葉を伝えられたこと、ハルが言ってくれたことが嬉しくて自然と口角が上がってしまった。 俺はもう、幸せになっていいんだ。 幸せは、儚くて脆い 泡沫の幻想 卵を買ってレシートを眺めながら店の外に出る。 今日はあまり安くなかったけれど、ハルのためだから仕方ない。 家へ向かおうとした時、店のひさしの下で電話をしている声が耳に入った。 自分に関係の無い他人の話をそうそう気に留めることはない。 それが、本当に自分と関係がなければ。 「もしもし、三浦です。先日はどうも__ 」 ミウラ、三浦、確かにそう言ったのか。 こんなのただの偶然だと思えばよかった。そんなに珍しいというほどの苗字でもない。 咄嗟に振り返って、その電話をしている男と目が合ってしまう。 胸を突き刺されたかのような衝撃。 あの目は、忘れることのないあの目は、 確かに以前自分の父親だったはずのものだ。 一瞬で踵を返して、気づけば家に向かって必死に走り出していた。 嘘だ 嘘だ 嘘だ こんなところに来るはずがない。引っ越す前はこっちに住んでいなかったのだから。 母親が父親を警察に突き出して、離婚して、それで全て断ち切られていたはずなのに。 無情にも自分と血の繋がっているあの男が、何故かここにいた。 どうして、何のために。 浮わついた心は簡単に底へ沈められてしまった。 焦って手が震え、カードキーが上手く挿せない。 気がおかしくなったみたいに、ドンドンと扉を何度も叩いてハルに助けを求めた。 息ができない 溺れてしまう ハル、ハル、助けて 今すぐ抱きしめて、ひとりじゃないと 俺にはハルしかいないと囁いて

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