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第137話Worriedー遥人ー
昨日は取り乱してしまった。勇也の方がずっと心細くて不安だったはずなのに、泣き腫らした顔のまま勇也に会うのが嫌でなかなか家に帰ることが出来なかった。
それを俺は、今死ぬほど後悔している。
家に帰ったら何故か鍵が開いていて、リビングのソファの傍らに勇也が蹲って震えていた。
安心させたくて抱き締めたのに、母のことを思い出すと自分の方が震えが止まらなくて、自分の心を落ち着けるために勇也に縋った。
心が疲れるといつも決まってすぐ眠ってしまう。
眠ることですべて忘れられる気がしたから。
最近は目が覚めて勇也がいなくなっていたらどうしようと思うことも多くあった。
勇也の存在を確かめるように、不安になってはすぐに抱き締めてしまう。
勇也の手が背中に回されて抱き締め返されると、愛し合えているという実感ができた。
今日は自分がダメになってしまったから、明日落ち着いたらもう一度勇也に話を聞こうと思った。
勇也の様子がおかしいのは明らかだったし、やはり何か隠しているように見える。
そして今朝、目が覚めたら隣に勇也がいなかった。
血の気が引いてすぐに名前を呼ぶけれど返事がない。リビングへ探しに行こうと下に降りると、ダイニングテーブルの上に置き手紙がのこされていた。
こんな朝早くから一体どこへ?
スマホもベッドサイドに置きっぱなしだ。
すぐに戻ってくるだろうと自分に言い聞かせて勇也の帰りを待つ。
一時間しても帰ってこない。
落ち着いていられなくて家の中を右往左往していると、昼前になってようやく玄関の扉が開く音がした。
「勇也!どこに行ってたの?俺に何も言わないで」
勇也が帰ってきたことへの安心感と、何も言わずに出ていってしまったことへの焦りが入り交じってつい強い口調で勇也を責めてしまった。
あまり縛りたくないから勇也のすることに口を出したりはしないつもりだったが、その手伝いというのが本当なのかどうしても疑ってしまう。
どうして下を向いたまま俺の目をみようとしない?
大丈夫、勇也は俺を愛してる。
確かめるように抱き締めようと手を伸ばすと、胸を押し返されて拒まれた。
その瞬間言いようのない不安と衝撃に駆られて唖然とする。
「大丈夫、俺は大丈夫だから。お前は安心していい」
どうしてそんなに悲しそうな顔をするのだろうか。
俺が何も言えずにいると、汗をかいたからといって浴室に入り、しばらく出てこなかった。
勇也に触れたいけれど、拒まれたことが想像以上にショックでもう一度触れることができない。
それに、今の勇也は迂闊に触ると消えてしまいそうだった。
だからこそ抱き締めて離さずにいたいのに、勇也に愛されていないのではないかという疑念が頭を離れない。
勇也が愛してくれなくなったら俺は…俺はどうなるのだろう。
無理をさせたくないから、昼食を作るのはやめて休むように言うと、虚ろな目で頷いてソファで眠ってしまった。
眠っている勇也が泣いているように思えて、うまく寄り添えない自分が不甲斐なくてしょうがない。
何があったのかと尋ねても何も無いと言い張る。けれど証拠も何も無いから嘘をついていると断定もできない。
勇也の綺麗な櫛どおりのいい髪をかきあげて、聞こえていないのをいいことに一方的に話しかけた。
「俺が側にいるからね」
俺の側から離れないで
「勇也は一人じゃないよ」
俺を一人にしないで
「勇也だけが好きだよ」
俺だけを好きでいて
その言葉は勇也のために呟いたのか、自分のために言い聞かせたのかも分からない。
目を覚ました勇也はなにかに怯えるような素振りを見せて、俺の顔を見ると安心したような、けれどやはりどこか悲しそうな顔をした。
それから1週間、日が経つにつれて勇也は元のように接するようになったが、どこか無理しているように見える。
しかしまた週末が近づくと、日に日に憔悴していった。
そんな勇也を見ているのが辛いのに、こんな時に限って実家から頻繁に連絡が来る。
もうこれ以上何も知りたくはないから、父からのメールは未読のままメールボックスに溜まっていった。
ふとメールボックスを見たとき、その中に兄の名前があることに気づく。
メールなどほとんどしたことがないし、兄は今行方不明のはずだ。家のことがあるから警察に捜査などは依頼していないのだが、メールが来たのはつい昨日。
メールを開いてみると、件名に『4°€・』とだけ書かれて、本文は空白だった。
意味がわからない。誤送信か文字化けしてしまったかのどちらかだろう。
少し考えて、俺はその件名の意味にすぐ気がついた。
気がついたけれど、知らないふりをした。
罪悪感は少なからずあったけれど、今はそれどころではないし兄を羨み、また恨む気持ちが強かったからだ。
ごめん、兄貴。
そう心の中で呟いたけれど、そんなこと本当は微塵も思っていなかったのかもしれない。
メールボックスからそのメールを削除して、兄の連絡先も全て消去した。
今の俺に必要なのは勇也だけなんだ。
勇也はあの時から風呂に入る時間が格段に長くなった。それだけでなく、土曜日や日曜日は必ず一日に何度も浴室へ閉じこもる。
それとともに、俺が触れるのを極端に嫌がるようになった。
前までのように鬱陶しいと言った感じではなく、怯えながら申し訳なさそうに拒まれる。
その理由はどんなに考えても分からなくて、本人は大丈夫としか言ってくれない。
無理矢理聞き出したら嫌われてしまうだろうか。
嫌われるのが、愛されなくなるのが怖い。
とにかく勇也を信じるしかない。
「勇也」
「…ん?」
「俺、信じてるから。勇也も俺のこと信じて、何かあったら頼ってね」
勇也は困惑したような表情を見せて、無理に微笑みながらまた「大丈夫」と言った。
勇也、覚えてる?
明日は勇也の誕生日だよ
ずっと一緒にいる約束だったよね
俺に約束を守らせて
俺を嘘つきにさせないで
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