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第142話Melancholy②ー遥人ー

てっきり来るなら連絡しろとか、何があったんだと聞かれるものかと思っていた。 なぜそんなことを今更聞いてくるのか。 「聞いてないよ…鬱陶しいから」 「じゃあ知らねえのか、お前の母ちゃんが失踪したって」 それは酷く衝撃的な内容なはずなのに、今の俺には大したことなかった。 どうせ母は俺のことなんて忘れてしまっている。 さしずめ兄のメールを母も受け取って探しにでも行ったのだろう。 「…それで?」 「お前…仮にも自分の母親だぞ!」 「自分の息子の名前も思い出せないやつなんて母親じゃない!」 誰も知らない、俺がどんな思いで母に話しかけたのか。 あの涙がどれだけの想いを孕んでいたのか。 「母さんは兄貴だけが大事なんだよ、父さんのことだって本当は愛してない!俺のことなんて、俺のことなんて…!」 「父親の気持ちも考えてやれ!あいつだって本当は……いや、俺だってお前の気持ちなんて分かってねえんだよな…悪い」 薄々気づいてはいた。上杉さんと父の間の微妙な関係に。 きっと過去に何かあったのだろうけど、俺だってそんなことは知らない。 父からは決して何も話そうとしないから。 「もう、いいんだ…父さんには後で連絡するから」 父も、ひとりぼっちになってしまった。 今までろくに口をきいてこなかったから、俺達親子の間にはまだ深い溝がある。 「顔を見せてやってくれ。あいつにはもう…」 「そうだね…上杉さんも謙太くんと仲直りでもしたら?」 「俺も、人のこと言えねえな。そうしたくてもできないんだよ」 一度出来てしまった溝を埋めるのは楽ではない。 ただ年月が過ぎるのを待つだけでは余計に深くなっていくだけだ。 俺と勇也も、このままそうなってしまうのか。 勇也を監禁して閉じ込めてしまえば、自分のものにできたのだろうか。 でもきっとそんなことをしても、勇也の心までは自分のものにはできない。 できていたと思い込んでいたから、余計に深く傷ついて傷つけることになってしまった。 「上杉さんは、父さんに会いに行かないの?」 「今はこっちが忙しいんだ。うちの組と病院の周りを嗅ぎ回ってる厄介な連中がいるらしい」 上杉さんは、父よりそっちの方が大事なのかと思ったがきっとそうではない。 小笠原が、父が大事だから、危害を及ぼさないようにその問題を片付けようとしているんだ。 きっと上杉さんのことだから、心配させないようにその事実を父に隠している。 隠したら余計傷つけてしまうことに、どうして気がつけないのだろう。 大切な人を守るために、必死になりすぎなのではないか。本末転倒もいいところだ。 きっとそれは、俺も同じなのだろうけど。 「双木のことは…聞かねえほうがいいのか」 「うん。自分でちゃんとケリをつけるから」 嘘だ。俺は一生これを引きずるし、簡単に片づく問題ではない。 「こんな事言うとお前は怒るかもしれねえけど…お前達二人とも、どうして他人に甘えようとしない?」 「…勇也は甘え下手なんだよ。今まで誰にも甘やかしてもらえなかったから」 俺は違う。両親だって俺を自由にさせてくれていた。悪く言えばどうでもいいと思われていた。 上杉さんにだって我儘を何度も言ってきた。 「本当に欲しいものを強請ったり、誰かに頼ったり…お前、したことないだろ」 「あるよ、きっとそれくらい」 「お前達二人だけの問題だと思ってるのかもしれねえけど…お前達はまだ子供だぞ。一丁前にでかい悩みばかり抱えんな」 何も知らないくせに。大人ってだけで偉そうな顔ばかりして。 どうして俺はそんな言葉を少しでも嬉しいと思ってしまうのだろう。 「泣きたい時は泣けばいいし、縋りたいときは周りに縋ればいい。お前達はひとりじゃない」 「俺達はずっと二人きりだったよ…だからそうするのもお互いにだけでよかった。それももうないんだよ。俺達には何も残ってないんだよ。もういいから、出てって」 「…分かった。悪かったな」 扉が閉まる。 また一人になった。 今、勇也はどうしているだろうか。 他の男の所へ行っただろうか。 それとも、まだあの家にいるのか。 もう考えずにいたいのに、目を閉じれば浮かぶのは勇也の顔ばかり。 依存してたのは、俺の方だ。 どうしてこんなに好きなんだろう。 他の男に抱かれた体なんて、汚いからこれまでは何度も切り捨ててきたはずなのに。 勇也だけはそうもいかない。 相手の善悪を問わずに、そいつを殺してやりたいと思った。 俺の勇也。俺だけの勇也。 他の奴が触れることさえ許せない。勇也の笑顔を知っているのは俺だけでいい。 まだ、間に合うだろうか。 何が? 粉々になってしまった欠片は奇跡でも起きない限りもうどうやったって元通りにはならない。 所詮俺達はまだ子供で、16年しか生きてこなかったんだ。 その間に一人でものを抱えすぎた。とっくに心の許容量は超えてしまっていた。 また学校に行けば、勇也はいるのだろうか。 また家に帰れば、勇也はおかえりと言ってくれるだろうか。 また抱きしめたら…勇也はその手を背中に回してくれるだろうか。 自分に都合のいいことばかり仮定してしまうのも、もうやめたい。 寝てすべて忘れてしまおうと思ったけれど、なにか抱きしめていないと眠れないほどに自分の心は脆くなっていた。 勇也が蹲っているのが見える。 それ近づいて抱きしめようとすると、また離れていってしまった。 ごめん ごめんね 何度もそう叫んだけれど、声にはなっていない。 俺の声は、二度と届かない気がした。 声が出ないのに、どうやって気持ちを伝えるというのか。 ちゃんと話を聞くよ、だから本当のことを話して 顔を上げた勇也は、なぜが笑っていた。 愛してやまなかったあの笑顔だ。 好きだよ ずっと好きだよ 俺がそう言ったつもりで口を動かすと、勇也のほうも何かぱくぱくと口を動かして喋っているようだった。 それがなんなのか分からないまま、気づけば布団の中で目が覚めた。 夢にまで見てしまうなんて、こじらせすぎている。 夢の中では言えたのに。 なんだか無性に虚しくなった。

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