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第145話Cruel Truth②ー遥人ー

勇也の腕を浴槽から出して体を抱きしめる。 まだ手首を切ってからそれほど長い時間は経っていないようだ。 「多量の出血、縦に深く切れてる…水で濡らしたタオルで止血して…それから」 頭が混乱して手が震えてしまう。 勇也がこのまま死んでしまったら。 そんなのだめだ。俺のせいだ、俺の 「叔父さん…」 病院をやっている叔父に電話をかけるが、何コールしても電話に出てくれない。 「くそ…なんでこんな時に限って出ないんだよ!」 どうしよう、落ち着け。 落ち着けるわけがない。 けどこのままじゃ勇也が。 連絡先の並んだ画面をじっと見つめる。 ずっとこちらから無視していたのに、こんな時だけ頼るのは虫のいい話かもしれない。 けれど今はもう迷っている暇など無かった。 「…もしもし、父さん?勇也が…勇也が!」 父に電話をすると、どうやら上杉さんから話を聞いていたようですぐに応じてくれた。 今のうちに、こちらへ車で向かってきている上杉さんの組の連中にこの事態を伝え、病院まで連れていくように指示してくれたらしい。 「縦に深く切れてる…うん、動脈だね。出血がひどい、止血はしたけどまだ完全には…」 冷静でいなきゃと思っているのに、声が震えてしまう。 まさかこんなことになってしまうなんて思っていなかったから。 元はと言えば全て俺が悪いのに。 「遥人、遥人…聞こえているか」 「なに…ごめん、俺…」 「無理に落ち着けとは言わない。適切な応急処置をしてすぐ病院に連れていけば大丈夫だ。お前はただ、彼の側にいればいい」 俺なんかでいいのだろうか いや、俺じゃなきゃ駄目なんだ 電話を切った後、手首が心臓よりも高い位置になるようにして、その少し冷たい体を優しく抱きかかえる。 どうか間に合ってくれ。 程なくして車が到着し、勇也は病院で然るべき処置を受ける。 その間は待合室でじっと座って俯いていた。 しばらくするとそこへやってきたのは勇也でも父でもなく、謙太だった。 「双木は…」 「多分、まだ気を失ってる」 「そうか。すまんな、俺も何も知らないのに…」 謙太は深々と頭を下げる。こういうところは上杉さんに少し似ているような気がした。 「いいよ、別に」 「父は…お前と双木は離れるべきだと言っていた。俺は、決めるのはお前達自身だと思っている」 上杉さんの言う通りなのかもしれない。 もちろん気持ちとしては離れたくない。 けれど、自分のせいでここまでの事が起きてしまうとは思っていなかった。 今自分が勇也の側にいることが、勇也にとってプラスなのかマイナスなのか。 勇也本人にそれを聞いてはっきりするかはわからない。 俺は勇也の気持ちを一番に優先したいと思っていた。 「勇也に会ってから決めるよ」 「ああ、そうするといい」 しばらくすると看護師に呼ばれて、わざわざ用意された個室に通される。 謙太は気を使ってくれたのか外で待っていると言うので、一人で中へ入った。 ベッドに横たわった勇也はまだ眠っているようだ。 命に別状は無かったが、貧血と栄養不足が酷いらしい。 「勇也」 勇也の顔はまだ青白く、目の下には少しクマが出来ていた。 それが苦しくて、その白い手を握る。 「ごめんね…」 勇也は俺のことを守るために、思い出すだけでも過呼吸になってしまうような父親の元へ行っていた。 そんなことしなくたって良かったのに。 俺は疑うだけ疑って、結局信じてあげられなかった。 俺を騙して楽しかったかなんて、死んでも聞いてはないけなかった。 勇也は俺のことを想っていてくれたから黙ってたのに。 思い返せば罪悪感は募るばかり。 届かなかった言葉を伝えないといけない。 勇也を一人にしてはいけない。 罪悪感と同じくらい、側にいなければならないという意識が強くなっていた。 首元の傷はまだ消えていない。 消したかったんだ、きっと。自分の父親であったあの男に付けられてしまったあの痕を。 「気づけなくてごめん。守らなきゃいけないのは俺の方だったのに」 寝ている勇也の胸元に顔を埋める。 心臓の音。勇也が生きていることをしっかりと確信できるものの、その音はとても弱く心細そうだった。 抱きしめた体は、文化祭のあの時よりもいくらか細くなっていた。 そうだ、あの日から勇也はろくに何も食べていなかったから。 俺に合わせて無理をして、トイレで吐いていることもあった。 それなのに俺は 何が信じてるだ。弱っていく勇也を見ていただけで、何もしなかったくせに。 母のことは確かにショックだったけれど、それでも勇也は自分のことをずっと守っていてくれた。 自分が傷つくことも気にしないで。 何やってんだよ、馬鹿。 そんなことをするくらい、俺は愛されていたことも知らなかった。ましてやそれさえ疑いそうになってしまった。 確信していいんだ、俺は愛されていたと。 「ゆうや…」 こんな時まで、俺は泣いてしまう。 ずっとせき止められていた涙が今になって溢れ出す。 もっと小さい頃にたくさん泣いていたら、今泣かなくて済んだのだろうか。 自分の涙は好きじゃない。勇也のみたく綺麗でないから。 溜まっていた汚れが混ざって濾されずに濁ったまま流れ出る。 「ごめん…俺のために…ごめんね」 握っていた手を、握り返されるような感触があった。 「ハル…?」

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