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第146話My beloved

ハルの声がする。 もしかしたら、もう夢の中なのかもしれない。 なぜ泣いているのだろう。 ハルは何がそんなに悲しい? 握られていた手を、弱々しく握り返す。 夢の中だからか、あまり力が出ない。 「ハル…?」 明るい光が差し込む。そして、本当に実体をもったようなハルが泣きながら謝っているのが見えた。 ハルの涙は透き通っていて綺麗だ。きっと今までずっと我慢していたからなのだと思う。 ハルが謝ることなんてひとつも無いのに。 もう泣くな、そう言いたくてハルの頬へ手を伸ばし、涙を拭う。 「勇也、起きたの?」 目を見開いたハルがそう言った。 ぼんやりとしていた意識が段々はっきりしていって、目の前の事実を確認する。 伸ばした手首には包帯が巻かれていた。 夢ではない? なら何故ハルがここにいるのだろう。 ダメだ、自分は汚い。 ずっと触れたかったはずなのに、ぱっと手を離してしまう。 この状況が飲み込めずただ瞬きを繰り返すと、ハルは容赦なく俺の体を強く抱き締めた。 「どうしてこんなことしたの」 「ど、して…って、何が」 「死のうとしてたでしょ」 そう言われて、ようやく理解が追いついた。 自殺しようとしていたことを思い出す。 ここにこうして居るという事は、死ねなかったということだ。 「俺…ごめん…お前、なんで」 「もう絶対にこんなことしないで」 「死ね…なくて、ごめ…」 「そうじゃない!二度とそんなこと言うな!」 どうしてハルがこんなに怒っているのか分からない。 そもそも、いつここへ来たのだろう。 「大きな声出してごめん…でも、本当にもうやめて。真っ青になったままバスタブに手かけてる勇也見たとき、心臓止まるかと思った」 「なんで…」 「なんでってそんなの、好きだからだよ」 耳を疑う。ハルがまだ俺のことを好きでいてくれるとは思っていなかった。 ハルが見つけたということは、家に戻ってきてくれたということなのだろうか。 でも、一体なぜ。 「上杉さんの所にいたら…三浦祐介に会ったんだ」 その言葉に体が震え始める。 ハルには手を出さない約束だったのに。 震える体を押さえるように、俺を更にきつく抱き締めた。 「組で捜査してたらたまたま摘発されたらしい。俺は何もされてないよ」 幾分か安心はするが、息の乱れは酷くなる一方だ。 あの男に会ったということは、すべて知られてしまったのだろうか。 「はぁっ…ぁ…ごめん…ごめ、ハル」 「大丈夫、大丈夫だから」 変わらず優しく背中を摩ってくれる。 ハルに縋っていいのかも分からない。 こんな俺のことを、どう思っただろうか。 「本当のこと知ったときさ…怒りに任せてそいつを殴りつけたけど、そいつ以上に自分が許せなかった」 ハルは何も悪くない。 黙っていた俺が全部悪いし、勝手にやったことだ。 悲しい顔なんて見たくなかった。 「俺なんかのためになんでって思ったけど、俺を守ってくれてた勇也に酷いことばかり言って」 「お前は、何も」 「辛かったよね、苦しかったよね」 辛かった。ずっと苦しかった。 自分が声に出せなかったことを、ハルが代弁するように発して受け止めてくれる。 「痛いのも、全部我慢して…何考えてるんだよ、馬鹿」 「ご…め、ん」 口を開けば出てくるのはごめんという言葉ばかり。 もう何に対して謝っているのかも分からなかった。 「謝らなくていい。勇也は何も悪くない。辛い思いさせてごめん、一人にさせてごめん」 一人は辛かった。ハルが隣にいない夜が耐えられなかった。 抑えようとしても涙は勝手に流れてくる。 またこうやってハルに縋ってしまう。 守っていたはずなのに、守られてしまう。 話さないと、ちゃんと。 「文化祭の日…帰り、スーパーであいつに会って…次の日、また、家に来て…それで」 「俺が一人にさせたからだよね…ごめんね」 「違う…最初の時に、お前にちゃんと言ってればこんなことには…けど、お前が危険な目に遭うのはもっと、嫌だったから」 ハルだって、何も無かったらあの日涙の跡を顔に残しているはずがなかった。 何かあったのに、俺に寄り添おうとしてくれていたんだ。 「あの日、母さんに会いに行ってたんだ。でもね、母さんは俺を兄貴と勘違いして、挙句の果てには遥人って誰?って言うんだよ」 それを聞いてしまったら、尚更ハルのことは誰も責められない気がした。 きっとハルは母親のことを諦めたつもりでも、本当はまだどこかで愛されたいと願っていたはずだから。 「悔しかったし、全てが憎かった。会いにいかなければ、知りたくないことを知ったり、勇也に怖い思いさせたりしなくて済んだのに」 「本当は、会いたかったんだろ?」 「え…?」 自分でもどうしてこんなことを言ってしまったのかわからないが、そんな気がした。 もしかしたらハルには自覚がないかもしれない。 けど、本当に会いたくなかったら涙を流すことなんて無いはずだ。 「あの男に愛してるって言われて簡単に信じて騙された。そんなもんなんだと思う。愛されてないと思い続けてきたからこそ、親子の愛なんて信じて鵜呑みにしたんだ」 「俺は…嘘でもそんなこと、言われたことなかったな」 「嘘の愛なんていらない。だって俺達が本当に欲しかったのは…」 少し顔を上げると、ハルとしっかり目が合う。 抱きしめる力が少し緩んだとき、外から人の話す声が聞こえた。 「やめてくれないか、今二人で話してるんだ!」 「このままにしておけねえだろ!離せ!」 「アンタには関係ないだろう!」 それはどうやら上杉親子の声のようで、その声が聞こえてすぐ無理矢理部屋の中に虎次郎が入ってくる。 息子の方も慌ててその後についていき、まだ二人で揉めあっているようだった。 「こいつら、もう少しで本当に取り返しのつかないことになるところだったんだぞ!」 「だからこれは二人の問題じゃないか!」 「死んだ人間は何があっても戻ってこねえんだ!手をかけて殺したわけじゃなくても、その罪を一生背負うことになるんだぞ!」 虎次郎の目は本気だった。ただ怒っているというわけでも無さそうだ。 父親のその必死な形相を見て怯んだのか、上杉は掴んでいた虎次郎の腕を離す。 「なあ遥人、分かるだろ」 「俺は…」 ハルが答えようと口を開いて、諦めたように俯いたとき、またそれとは違う声が入口の方から聞こえてきた。 「もうやめないか、虎次郎」

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