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第147話My beloved②
声のした方を全員が振り返る。
前の時と同じ悲しそうな目をしたハルの父親が、そこに立っていた。
「私達は、彼らに嫉妬しているだけだ」
「何が言いたい…お前の息子がしたこと、分かってんのか」
「遥人が悪いんじゃない。全てはその元父親だった男が発端だろう」
冷静に返された言葉に、虎次郎は何かがつっかえたように喋れなくなってしまったようだった。
「虎次郎、お前だって分かっているはずじゃないか」
「この先辛い思いをするのはこいつらだ。今ここで離れる他にないだろ。お互い好きだからといって、何もかも解決出来るわけじゃない!」
「家政婦から聞いた話もしただろう。母親の容態は酷くて、遥人をひどく傷つけたと」
この場で、あの二人だけの世界が作られていく。その緊張感は凄まじいものだった。
息を吸い込んだハルの父が、まっすぐ虎次郎を見据えてまた口を開く。
「離れることが最善だったのかどうか、私達だってその答えは未だに出せていないじゃないか」
「どうして今そんなこと!」
「決めるのは彼ら自身だ。まだ子供だから私達に頼ってほしいというのはわかる。でももうすぐ彼らも大人になるんだ」
何かに気づかせるような物言いだ。
自分達はまだ未熟で、大人に頼らなければ何も出来ないことに憤りを感じていた。
それと同時に、これから大人になって自分達で道を切り開いていかなければならないことに、不安を覚えていた。
「遥人、双木くん。君達はどうしたい?」
言おうとして、言葉に詰まってしまう。
ハルと一緒に居たい。
ただそう言えばいいだけのはずなのに。
俺が下を向く代わりに、ハルは何かを決心したように俯いていた顔を再び上げた。
「俺は、勇也と一緒にいたいよ。この先もずっと」
その言葉だけで、嬉しくて胸がいっぱいになる。
ハルがそう言ってくれるなら、自分の気持ちも認められたような気がした。
「今回のことは、本当に申し訳ないと思ってる。今からじゃ遅いのかもしれないけど、もう一人にさせたりしないから」
「そんな簡単な話じゃ…」
「分かってるよ。上杉さんの言うことも理解してる。俺がダメなんだ、勇也が側にいてくれないと生きていけない」
俺もハルがいないと生きていけない。
もうハルしかいなかった。
俺をこんなふうにさせたのはハル自身で、いつだって強引に俺を自分の方へ引き込んだ。
「でも、一番優先したいのは勇也の気持ちだから。俺の我儘だけを通そうとは思ってないよ」
なんだよ、それ。お前らしくない。
心の欠けてしまっていた何かを、今取り戻したような気がした。
「いつも我儘で強引なくせに、今更俺の気持ちを優先するなんてお前らしくねえよ」
「え…?それってどういう」
「人の気持ち考えられるようになったのはお前が成長した証拠かもな」
なんだか、少し笑えてきてしまう。
ハルは変わった。もちろんそれは嬉しい。
けれど、たまには強引なままでいい。
「俺はもうお前のものだから。決めるのはお前だろ」
もう多分だなんて言わない。
身も心も全てお前にくれてやる。
「なかなか消えない傷はついてるけど、お前がそれでもいいなら、俺は一生お前の側にいてやるよ」
ハルは俺を見ていた潤んだ目を暖かな春色に変えて、皆が見ているというのも気にせずに唇を重ねた。
自分が汚れている意識というのはまだそう簡単には消えなくて、体が強ばって離れてしまいそうになる。
後頭部を押さえつけられて強引に深く口付けを交わされ、思考が溶けていく。
ようやく口を離したハルは、皆の方へ向き直った。
「ごめん、上杉さん。俺やっぱりクズだからさ、誰がなんと言おうと、勇也と一緒にいるよ。勇也にだって嫌だとは言わせない」
全員が唖然としている。
息子の謙太の方に至っては、先程からずっと顔を両手で覆ったまま指の隙間からこちらを窺っていた。
ハルはまた少し俺の方に体を寄せて、そっと俺の頬に手を添える。
「勇也の目は俺と見つめ合うためについてるし、勇也の鼻は俺の匂いを感じるためについてる。耳は俺の声を聞くため、唇は俺とキスをして俺の名前を呼ぶため」
それぞれの箇所へと手を滑らせていきながらそう言って、最後に体を強く抱き締めた。
「勇也の体は俺が抱きしめるためにあって、勇也の命は俺と生きるためにあるんだよ」
こっちの方が、いつものハルらしかった。
無駄に格好つける必要は無い。
もちろんどんなハルでも嫌いになったりはしないけれど、意思の弱い俺にはこうしてくれる方がずっとよかった。
そんな俺たちを見て、虎次郎は降参のポーズとでもいうようにに軽く両手を挙げる。
「あーもう!分かった分かった。諦めるよ、ったく人前で見せつけんな!こっちが恥ずかしくなるっつーの」
納得したというよりは、本当に呆れていると言った方が正しい気がする。
「どうせもう何言ったって聞かねえんだろ?だったら好きにしろ!俺はもう忠告したからな、後で泣いても知らねえぞ」
「ありがとう、上杉さん」
帰って仕事を片付けると言った虎次郎は、入口の近くで背を向けたまま立ち止まる。
「…次なんてあってたまるかとは思うけどよ、もうお前達だけで抱えんな。いつだって俺達を頼っていい。信用するかしないかは勝手にしろ」
そう言っている虎次郎は、うなじまで赤らんでいた。背を向けているのは、照れ隠しなのかもしれない。
こういうところは親子で似ている気がする。
「あと遥人。お前の父ちゃんは寂しがり屋だから、たまには会いに行ってやれよ。血の繋がった息子までどっか行っちまったら、半狂乱になるだろうからよ」
「…誰が半狂乱になるって?虎次郎、お前も変な遠慮をして隠し事をするな。私は寂しがり屋だから、心配してしまうだろ?」
ハルの父があんなふうに不敵な笑みを浮かべるのを初めて見た。
その顔もまたハルに似ている。
自分もあの父親だった男と遺伝してしまっている部分がある。
あの人に、母親に愛されたかったと思っていた。
全てを招いてしまった原因はそこにあったのかもしれない。
でもこれからはハルがいる。愛情に飢えることなんてない。
過去を無かったことにはできないけれど、新しい未来はいつだって自分達で作り出していける。
大人二人が各自の仕事へ戻ったところで、取り残された上杉がこちらへ寄ってくる。
「先程は、うちの父親が失礼なことをしてしまってすまない」
「いいよ、別に…ねえ、いつまで顔赤いままなの?」
上杉の顔はさっきの虎次郎みたく赤らんでいた。
赤面症なのか、そう指摘されてさらに赤くなる。
「ひ、人前で…いきなり、接吻など」
「接吻て…キスでいいじゃん」
「う、うるさい!…まあ、とにかく何とかなったようで良かった。明日は二人ともしっかり休むんだぞ、それでは失礼する」
そそくさと上杉は退室し、個室に残ったのは俺とハルの二人だけだ。
前にもこんなことがあったような気がする。
ハルは少し身を乗り出して、俺の前髪を優しく梳いた。
「もう少しだけ、二人で話そうか」
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