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第148話My beloved③
近くにあった椅子を引っ張ってきてベッドのそばに置き、ハルがそれに腰掛ける。
「お前…なにも親の前であんなことしなくたって」
「抑えられなかったの、ごめんね?」
手を握られ、またハルはすこし真剣そうな顔になる。
どうもその目で見られると緊張してしまう。
「勇也さ、もっと自分を大事にしないとだめだよ」
「分かったから…その話はもう」
「俺のために死ねなんて一度も言ってないから。勇也がしていいのは、俺のために生きることだけ」
痛いほどに手を握る力が強められ、ただ何度も頷くしかなかった。
ようやく握るのをやめた手が、今度は頭を撫でる。
「勇也は俺の大切な人だから、誰にも傷つけられたくない」
「ごめん…」
「謝ってばかりなのももうやめよう。俺がそうさせてるのかもしれないけど」
そのまま頭をハルの胸へ引き寄せられる。
暖かくて、好きだった匂いがした。
「…お前だってずっと謝ってただろ」
「そうだったかな」
「夢の中でも…ずっと」
言おうとしてすぐ口を噤む。
流石に夢にまで見ていたと知られるのは恥ずかしい。
「夢?ああ、そういえば俺も勇也が夢に出てきたよ。勇也が蹲ってて、何度も謝ったけど声が出なくて」
「…俺が見た夢と似てる気がする」
「面白いね。古典にあるみたいに、相手が自分を想ってくれたから夢にでてきたのかな」
そういえば、古典の授業でそんなことを聞いたことがある。
自分が想っているから夢に見てしまうのでなく、相手の方が自分を想っているから夢の中で会いに来るのだと昔は言われていたらしい。
なんとも都合のいい話だが、案外間違っていなかったのかもしれない。
「でも…お前の声は、ちゃんと俺に聞こえてたぞ」
「俺は声が出なくて…何度も叫んだのに届かなかった。最後に勇也が口を動かしてたのは分かったけど、それも聞こえなかったし」
声が聞こえないところは違っていたが、最後に俺が言葉を返す所までは同じだ。
ここまでリンクしていると少し怖い気もする。
「お前の声は、ちゃんと俺に届いてた。だからもう謝る必要ねえし…その、す、好きっていうのも…伝わったから」
改めて自分で言うと恥ずかしくなってしまう。
これでもしハルの夢ではそんなこと言っていなかったのだとしたら更に恥ずかしい。
「ねえ、あのとき勇也はなんて言ったの?」
「はぁ?別にいいだろなんでも」
「教えて、勇也」
耳元で囁かれる。
自分の名前を紡ぐその吐息がくすぐったい。
またこうして名前を呼んでもらえるのが嬉しかった。
「お、俺もって…言った」
顔が熱くなっていくのが分かる。
胸が苦しくなることは何度もあったけれど、この鼓動が高鳴ってゆくのは久しぶりだった。
「ありがとう」
ハルはそう言いながらまた強く俺を抱き締める。
何がありがとうなのかはよく分からない。
抱き締められて苦しい。苦しいけれど、決して離してほしいとは思わなかった。
「ついでみたいになって悪いけど、もう一つ言っていい?」
「別にいいけど…なんだ?」
首を傾げると、ハルは棚に置いてあったバッグの中から何かを取り出す。
そして何故か深呼吸をし始めた。
後ろ手に何かを隠したまま、少し恥ずかしそうにハルが話す。
「あのね、本当は誕生日に渡そうと思ってて。大したものじゃないけどね」
「何もいらねえって言ったのに…」
そうだ、丁度あの日は誕生日だった。
今思い出してもあまりいい記憶ではない。
一番辛くて、苦しかった日だ。
産まれたことをあれほど後悔してしまった日は無かった。
「これなんだけど…ちょっとキザかな。待って、なんかすごい恥ずかしくなってきた」
ハルが俺の目の前に差し出したのは、三本のバラの小さな花束だった。
確かにキザだが、ハルには似合っている。
高価なものを渡されなくて内心ほっとした。
「三本のバラの花言葉は…いいや、やっぱり自分で調べて。なんか格好つかないな」
「…別に、お前から貰えればなんでも嬉しい。ありがとう、ハル」
ハルは照れくさそうにはにかむと、真っ直ぐ俺を見つめて花束ごと俺の手を握った。
「渡せてよかった。一生渡せないんじゃないかと思ってたから。プリザーブドフラワーだから、結構長持ちするよ」
「ぷりざーど…?よく分かんねえけど、綺麗だな」
花の方に視線を落とし、自分の口元が綻んでしまっているのを隠す。
それを察したのか、ハルは頬に優しくキスをしてまた俺に前を向かせた。
「勇也、生まれてきてくれて本当にありがとう。愛してるよ」
それを聞いて思わず涙が零れてしまう。
欲しかった言葉が、胸を埋めつくしていく。
決して薄っぺらくなんかない、重みをもった言葉だった。
「ど、どうしたの?辛い?やっぱり嘘に聞こえる?」
「違う、目にゴミが入っただけだ」
「またそんなベタな」
「…俺も」
花束の後ろに隠れて、小さく呟く。
本人を目の前にして言うのはこの返事で精一杯のような気がした。
「なに?」
「なんでもない」
しばらくその問答を繰り返し、観念したかのようにハルがため息をついて笑った。
「もう疑ったりしないから。言葉にならなくても、相手には伝わるものなんだね」
「俺も信じる…何があっても」
目が合って、堪えきれずに笑ってしまう。
幸せは、逃げずにちゃんと自分の元にいる。
二人でいることがどんなに自分達を責めて辛い道をたどってしまったとしても、ハルが笑ってくれていたらそれでいい。
離れそうになったら、信じることで繋ぎとめればいい。
お互いに足枷のような見えない糸をくくりつけて、同じ鳥籠の中に篭っているのもいいかもしれない。
けれど周りには、雛鳥に餌を与えるように、巣立つための手助けをしてくれる人達がいる。
甘えることも、叱られることも、全て必要不可欠だった。
これもまた別の愛の形のひとつなのかもしれない。
「明日はゆっくり休んでリハビリしよう」
「リハビリって…体は普通に動かせる」
「俺が触っても、まだ怖がってるように見えるから。仕方ないけど、せめて俺の前では安心してほしい」
自覚はなかったけれど、ハルからそう見えてしまうのであればきっとそうなのだろう。
ハルとは勿論一緒にいたい。触れ合うのも嫌ではない。
でも、深く触れ合うのは、抱かれるのは怖い。
あの男を思い出してしまいそうで。
ハルを傷つけずに、自分も傷つかずにするにはどうしたらいいのだろうか。
そんな不安を悟ったかのように、ハルは優しく頭を撫でた。
「焦らなくて大丈夫、勇也のペースでいいから。勇也のためなら、少しくらい我慢する」
「…少しかよ」
「キスは大丈夫?」
「あいつにはされてねえから…別に大丈夫。つーかさっき勝手にしただろ」
そう答えるとハルの顔が近づいてきて、お互いの額がくっつく。
なにか合図があるわけでもなく、自然と唇が引き寄せられて重なった。
こんな行為になんの意味があるのか昔は疑問だったが、結局明確な意味がある訳では無いのかもしれない。
けれど無意味じゃない。
俺達は確かに、今ここに二人で存在している。
まるで一生涯を誓い合ったかのような気持ちだ。
ありがとう、ハル。
お前に出会えて、愛されて、初めて自分が生まれてきて良かったと思えた。
いつまでもお前に寄り添えるなら、他に望むものは無い。
永遠に愛する人へ
【第ニ章 Dear my beloved -完-】
第三章へ続く
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