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第152話Nursing②
「お邪魔します…双木さん、居るかしら?」
その声は間違いなく佳代子さんのものだった。
それが分かると全身の力がふっと抜けていくのがわかる。
「あら、二人ともいたのね、びっくりしたわもう。どうしたの?」
「勇也、まだちょっと怖いみたいで」
「ごめんなさい、先に声掛けておけばよかったわね。遥人さん…もしかして具合悪いの?」
「ちょっと熱があるだけだから」
ようやくハルの腕から退いて佳代子さんに向き直る。
いつまでも怯えていては駄目だと分かっているのだが、何かきっかけがあるとすぐに思い出してしまう。
「あら…双木さんも、やっぱりまだ本調子じゃないみたいね。きっと私の作り置きもあまり食べれなかったんでしょ、無理はしなくていいわ」
「すみません。こいつ…風邪ひいてるんで、今日は俺が全部…」
「何言ってるの、二人とも私からしたら立派な病人よ!お昼までしかいられないけど、お昼ご飯くらいは作っておくから二人とも寝てなさい」
相変わらずこの人は強引というか、お節介というか…この前強く言ってしまったにも関わらずこうしてまた優しくしてくれる。
少しくらい、甘えてもいいのだろうか。
「ごめんね佳代子さん、ありがとう」
「遥人さんは風邪うつさないようにね」
「…そうなんだけど、一緒に寝ちゃダメかな」
恐らく、これはハルの我儘ではなく俺を気遣って言っているのだろう。
それにしても一緒に寝ているのを佳代子さんに知られるのは少し恥ずかしかった。
佳代子さんは呆れたような顔をしたが、少し考えてまた口を開く。
「まあ、二人がいいならそれでいいけど…ちゃんとマスクしなさいね。ご飯できたら呼びに行くわ。できそうなら少しお話もしたいところだけど」
「すみません…ありがとうございます」
深く聞かないあたり、気を使わせてしまったのだろうか。佳代子さんはそういうところの勘というか、空気を読むのがとてもうまい人だ。
「やっぱり俺…ひとりで寝るから」
「…勇也がいないと眠れないからどうしても一緒に寝てほしいんだけど。それならいい?」
優しく微笑んでそう言ってくれるハルの誘いを断るわけにもいかず、小さく頷く。
寝る前にハルの額に熱冷ましのシートを貼ってマスクをつけさせた。
「ちゃんと寝ろよ」
「分かってるよ、大丈夫」
とは言ったものの、自分は熱を出した訳でもないのですぐには眠れない。
息苦しさがなかなか消えなくて、寝ているであろうハルの服の裾を掴むと、ハルの手がいきなり自分の頬に添えられた。
「勇也、寝れないよね」
「お前起きてたのかよ」
ハルが起きていたと分かって服から手を離す。
やはりじっとしていないでもっと看病らしいことをした方がいいような気もしてきた。
「俺も眠れないんだ、落ち着かなくて。勇也は無理に寝なくていいと思うよ、けど俺の側にいてほしい」
「ああ、分かった。看病らしい看病って何すりゃいいかよくわかんねえんだけど…してほしいこと、あるか?」
ハルは仰向けに寝直して、うーんと考えるように唸った。そして目を閉じたまま、小さな声で話し始める。
「俺ね…そもそも風邪なんてひいたことなかったんだけど、一度だけ仮病をつかって風邪をひいたふりしたことがあるんだよね」
「仮病…?学校でもサボったのか」
「ううん、休日だったしそういうわけじゃないんだ。そのちょっと前にね、兄貴が風邪ひいて、母さんに看病してもらってたの」
ハルの母親の話ということは、あまり良くない話なのかもしれない。目を閉じた理由も、きっと気持ちを悟られたくないからだ。
それでも俺に話そうとしているのは、また何か別のわけがあるのだろう。
「風邪で苦しんでる兄貴の隣に母さんが寄り添って、優しくとんとん叩きながら寝かしつけるの。俺、あれがすごく羨ましかったんだ」
ハルは体の向きを変え、こちらに顔が見えないように寝返りを打った。
「それで仮病つかったっていうだけの話なんだけど、俺の面倒を見てくれたのは家政婦さんだった。母さんは元気になった兄貴と遊んでたんだ…だからさ、誰かを普通に看病したり、誰かにされたりって憧れなんだよね」
きっとハルはまたあの悲しそうな顔を壁に向けている。俺に見せないように。
ハルの母親は、悪気なく酷い差別と兄びいきをしているから余計タチの悪いタイプだ。
ハルは甘えたがっている。きっと、できるだけ形のある愛がほしいのだろう。
そうでもしないと、ハルは愛されているかどうかも分からないんだ。いつも本当は不安なんだ。
「甘え下手だな、お前」
「勇也に言われたくない」
「寝かしつけてやるよ」
「流石にそれは恥ずかしいかな」
少し笑ってこちらに向き直ったハルの傍らに、寄り添うように座ってとんとんと優しく布団の上から叩いた。
いまいち自分もされたことがないから加減は分からないが、ハルが恥ずかしそうにはにかみながら目を瞑るのを見て、胸が締め付けられた。
小動物の動画を見た時のような感覚に陥る。体はずっと大きいけれど、ハルの行動はいちいち動物的でよく見れば可愛らしい。
「お前って大型犬みたいだよな…」
「犬種は?」
「よく知らねえけど、茶色くて大きいやつ」
「ゴールデンレトリバー?」
「多分それ」
そうだ、確かにゴールデンレトリバーみたいだ。そう思うと本当に犬のように見えてきて、ハルの頭をわしゃわしゃと撫でてしまう。
「やめてよ、髪崩れちゃうってば〜…勇也はあれだね、よく吠えるチワワ」
「チワワかよ、もっと強そうなやつがいい」
「例えば?」
「シベリアンハスキーとか…?」
何となく見た目が強そうで好きなので、詳しくは知らないがその犬が自分のイメージだった。
ハルはそれを聞いて肩を震わせて笑っている。
「ううん、勇也はチワワだよ。大型犬ならほら、謙太くんとか」
「あいつはなんか、土佐犬って感じがする」
「ああ、なんかわかるかも。聡志は柴犬」
言われてみれば、真田の犬のような笑い方はどこか柴犬に似ている。
皆例えるなら犬が一番しっくりくる気がした。
二中の狂犬という懐かしくも少し恥ずかしい昔
の通り名を思い出すが、チワワでは格好もつかないなと思った。
「楽しいな…こうやって、勇也と話せるの…」
「…眠いなら、もう寝ていいぞ」
「ん〜…もっと、はなした…い」
そう言いながらハルは眠ってしまった。その愛しい寝顔を見つめ、頭を撫でる。
「おやすみ、ハル」
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