ハルの父は何故か立ち上がり、部屋の本棚の方へと歩いていく。資料や難しそうな本が詰まっているそこから一冊のアルバムを取り出した。 「遥人にも叶人にも、彼女にもこの事は話していなかったな。昔のことを話すほど顔を合わせてもいなかったが…すまない」 「何があったの」 アルバムから一枚の写真が取り出され、ローテーブルの上にそれが置かれた。 そこに写っていたのは恐らく若い頃のハルの父と虎次郎、佳代子さんと真田の父、そしてハルの父に似ている少年と少女の六人だった。 「これは私や虎次郎達がまだ小学生の頃の写真だ。こっちにいるのが私の弟で、こちらは妹」 「妹…？妹なんていたの？俺会ったことないよね」 恐らく弟の方は俺が風邪をひいたときに診てくれたハルの叔父だろう。この血筋は皆顔がよく整っているというのが第一の感想だった。 「私の妹は昔から体が弱くて、病気を患っていた。一度川で溺れて確かに病状は悪化したけれど、妹を助けて命を救ってくれたのは虎次郎だったんだ…」 「その人は今…どこにいるの？」 俺もハルも、この問いに対する答えをなんとなく感じ取れてしまっていた。 またしばらくの沈黙のあと、ハルの父がようやく重そうな口を開く。 「今は…天国にいるよ。妹が亡くなったのは、私達が高校生になった時だった。原因は元からの病気で、虎次郎は何も悪くない。むしろ助けた側だというのに、妹が溺れてしまったときのことをいつまでも悔やんでいる」 「じゃあ殺したっていうのは…」 「勝手に責任を感じているだけだ。妹は最期まで虎次郎に感謝していたし、二人は少しの間だけ恋人同士だったから」 真実が分かって安心するのと同時に、ハルの父に聞いてはいけなかったような気がしてしまう。 「ごめん父さん…俺、知らなくて」 「いずれ言わなければならないと思っていたんだ。だから大丈夫。ただ、虎次郎が何も悪くないということだけは分かってほしい」 「辛い話をさせてしまって申し訳ないです…ありがとうございました」 「夏の間に家を開けていた日があっただろう？あの日は妹の命日だったんだ。だから虎次郎達も一緒に…もっと早く言うべきだったかな」 そういえば確かにそんな日があったような気がする。大人達は皆そんな大きなものを昔から抱え込んでいたというのか。 「この話って佳代子さんに聞かない方がいいのかな」 「そうだな…妹の死にかなりのショックを受けていたから、あまり触れない方がいいかもしれない」 「そっか…」 「雰囲気を悪くしてしまってすまない。私は大丈夫だから、まだ他にも何か聞きたいことがあったら聞いてくれて構わないよ」 ハルと顔を見合わせるが、恐らくもうこれ以上聞くことはないだろう。 そう思ったのだが、ハルが父親の方へ歩み寄って声をかけようとしている。 「最後に一つだけ…いい？」 一体何を聞くつもりなのだろうか。一瞬の緊張がはしった。 「もう一回文化祭のビデオ見たいんだけど」 「は？何言ってんだお前…」 「ああ、いいよ。チャプター画面で好きなシーンから見れるから何度だって見てくれ」 勝手に親子二人でまた盛り上がり始め、部屋が暗くなりスクリーンに映像が映る。 結局このあとまたもう一回鑑賞してから帰宅することになった。 「今日はありがとう…色々と。また来るよ」 「ありがとうございました。お邪魔しました」 「是非また来てくれ。言ってくれればいつでも頑張って時間を作るよ」 今日はハルの父の茶目っ気のある一面を見た気がする。 余計にビデオを三回も見ることになるとは思わなかったけれど。 帰りのタクシーの中で、ハルは名残惜しそうに自分の家の方を眺めていた。 「なんでだろうね、前まであの家は大嫌いだったのに…俺って単純だなぁ、もう寂しくなってきてる」 座席に乗せられたハルの手に、そっと自分の手を重ねる。 驚いた表情を浮かべながら、ハルは手を凝視して首を傾げた。 「何、どうしたの急に」 「…なんとなくこうしたかったからしただけだ」 「そう…ありがとう」 「別に」 「寂しいけど、今はもう一人じゃないしね。俺には勇也がいるから」 何も言わずに重ねた手をぎゅっと握った。 指が絡められて握り返される。 俺ももう一人じゃない。俺にはハルがいるから。 「ただいま〜…もうお昼すぎちゃったね」 「なにか食いたいなら作るけど」 「ううん、いいや。お菓子でお腹いっぱいだから。聡志に話すのは学校でいいよね？」 「ああ、直接の方が説明しやすいしな」 洗った食器がそのままになっていたので、それを拭いて片付けながら会話を続ける。 ハルは何も言わずに自然とその作業を手伝っていてくれた。 「夏休みはあまりゆっくりできなかったから、冬休みはどこか行こうよ」 「まだ先じゃねえか…どこ行くんだよ」 「海外旅行は飽きちゃったから国内でどこか旅行に行きたいな。行きたいところある？」 「別にどこでもいい…お前が行きたいところなら」 旅行なんて行ったことがなかった。学校の修学旅行でさえ親に止められて行かせてもらえなかったから、引っ越す前と今住んでいるこの周辺以外に出たことがない。 「静かなところがいいな…休み中は沖縄とか京都は旅行客でいっぱいだろうし」 「詳しくないからよく分かんねえ」 「じゃあ冬休みまでに決めておくよ。二人でゆっくり出来るといいね」 男二人で旅行なんて変じゃないだろうか。 恋人になったとはいえ、まだ周りの目は気になってしまう。 けれど静かなところなら…本当に二人の時間をずっと過ごせるのだと思うと、悪い気はしなかった。 「遊園地行きたいな〜俺連れていってもらったことないから。勇也はある？」 「五歳とかの時、近所の小さい所に一回だけ。もうあんまり覚えてねえけど」 「ジェットコースターとかお化け屋敷とか…一回でいいから行ってみたかったんだ」 ハルはあれだけ知人が多いのに一度も行ったことがないというのは驚きだ。 どこへでもいい、どの季節でもいい。ハルの行きたい所へ連れて行って欲しかった。 「お前がプラン全部たてるなら勝手についていくし、好きにすればいい」 「ありがと、期待してていいよ」 「けど俺から費用が出せるわけじゃねえから…予算もちゃんと考えろよ」 「分かってるよ、学生らしい質素な旅行ができればいいと思ってるから」 こいつから質素なんで言葉が出てくるとは思っていなかった。 しょうがないからついて行ってやるという体だが、期待してしまっている自分もいる。 「楽しみだね」 「その前に定期テストだろ、中間ももうすぐだし期末もあるし」 「あはは、また勝負でもする？」 「絶対嫌だ」 「そうだね、勇也が勝って俺と触れ合えなくなったら勇也泣いちゃうから」 揶揄うようにそう言われるが、否定もできない。 もうあんな酷い条件を出したりはしないだろうが、あいつに勝てないのはもう充分に分かっていた。 「あの時のこと…もうずっと昔みたいに感じる」 「時間的にはまだ少ししか経ってないしね」 「佳代子さんにもまたお礼言わないとな」 「うん、上杉さんにもちゃんと…」 影で支えていてくれた大人達も、思い過去を背負って生きている。 きっと俺たち二人だけではどうにもならなかったことが沢山あるだろう。今二人でいられるのは、皆がいたからなのだと改めて実感した。