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第175話Caress

結局その次の日もまた次の日も、あの触れ合う時間は来なかった。 自分の方から少しその時間を期待してしまっているのだと思うと情けない。 あの日ハルがあんなことを言ったせいで、夜一緒に寝る時も鼓動が鳴り止まなくてかなわなかった。 「双木、寝不足?」 いつものようにパンを咥えながら真田がそう聞く。 二人の仲が元に戻ってからは、こうして四人揃って屋上で昼食をとるのが通例になっていた。 「もう中間テストも間近だからな。けれどあまり夜遅くまで勉強するのは体に毒だぞ」 「ああ…大丈夫、悪いな」 実際眠れないのは勉強のせいのみならず、ハルを意識してしまうからなのだが。 こうして弁当を食べている間も、ハルは俺の隣にピッタリとくっついて座っている。 「ハ…小笠原、近い。食いづらいだろ」 「なんで?いつもは何も言わないのに」 「そういえば双木、この前遥人のことハルって呼んでたよな」 いきなり真田がそんなことを言い出すから、食べていたものが喉に詰まって激しく噎せる。 「あれは気のせいだって言ってるだろ!」 「そうなのか?俺は聞いたことがないな。やはり二人きりのときは愛称で…」 「お前もうるせえ!顔赤くすんな!」 この二人がいると突っ込んでいてキリがない。そんな様子を見てハルは愉快そうに笑っている。 「別にいいんじゃない?みんなの前でそう呼んでも。苗字で呼ばれるのもちょっと興奮するから好きだけど」 「興奮とか言うな気持ち悪い」 「あ、じゃあ俺も遥人のことハルって呼ぼうか?それなら呼びやすい?」 「あぁ?!駄目に決まってんだろ!」 つい真田に向かってそう怒鳴りながら睨みつけてしまう。真田自身は冗談のつもりだったのか、かなり驚いている。 「そ、そんな怒らなくても…」 「ごめんね聡志、ハルって呼んでいいのは勇也だけなの」 「余計なこと言うな!…上杉てめぇなんでまた赤くなってんだよ!」 この賑やかさが戻ってくると文化祭準備を思い出す。思えば、文化祭の前まではそこまで話すわけでもなかったし、ハルのことだって最低な野郎だと思っていた。 今でも性格に難があるのは変わらないが。 「そうだな…俺も聡志以外に謙ちゃん呼びされるのは少々…いや、違うぞ!そういう意味ではないぞ!」 「うるさいなぁ…黙って、童貞の謙ちゃん」 「小笠原貴様…いい加減本当に斬るぞ」 「ジョークだよジョーク、落ち着いて」 こんな日常を楽しいと思ってしまう。俺なんかには贅沢だ。 自分がこうやって自然に笑える日がまた来るなんて。 しばらくして中間テストが始まったが、やはりハルはまだ前のような触れ方はしない。 意識しすぎているせいで、何気なく触れられた時にも無駄に胸が高鳴ってしまう。 「勇也、そこ分からないの?」 「え、ああ…今学期授業あんま出れてねえから」 「…ごめんね、お詫びにちゃんと俺が教えるから。て言っても明日テスト最終日だけどね」 テキストを覗き込んできたハルの髪が触れる。風呂上がりだからかシャンプーの匂いがして心臓に悪い。 最近、前使っていたものを使い切ってハルと同じシャンプーを自分でも使うようになったから、ふとした瞬間に自分からハルの匂いがしてたまらなくなってしまうことがある。 「勇也…聞いてる?」 「え、あ、ああ…」 「ドーパミンっていうのは中枢神経系にある物質で、アドレナリンとかの前駆体。アドレナリンはここに書いてある通りホルモンで、交感神経が興奮したときに…」 授業で聞いたことあるような単語が聞こえるけれど、全くもって頭に入ってこない。 「あ、一気に話しすぎたかな?なんか質問したいことある?」 「質問したいこと…?」 「うん、なんでもいいよ。明日は生物と倫理と…」 「次って、いつなんだ?」 それを聞かれたハルはきょとんとしている。 それもそのはずだ。俺だってこんなことを聞くつもりは無かったのだから。 しかも今までの話となんの脈絡もない。自分の頭の中が煩悩まみれだというのを晒してしまったも同然だ。 「次って…なんの次?」 「なんでもない。次のページのとこ…」 「ああ、勇也が慣れるまでのリハビリ?」 ズバリと言い当てられてしまい不自然に咳き込む。 「別に…気にしなくていい」 「ずっとそんなこと考えてたの?もう、勇也のえっち」 「うるせえ!」 ハルの手が太腿に置かれて、思わず目をきつく閉じてしまう。 それを見て笑ったのか、小さな笑い声が耳を擽った。 「テスト終わったら…しよっか」 「したいなんて、一言も」 「じゃあ延期する?いいよ、期末が終わってからとかでも」 「お前が辛いだろうから、明日でもいいけど」 なんて、自分が勝手に意識していただけなのに。逆にハルはこの前の続きのことなんて微塵も考えていなかったのだろうか。そんなの、惨めだし恥ずかしい。 「…俺はいつだって待ってるよ。ただ、思ったより勇也のオネダリが早かったから心配してるだけ」 「強請ってねーし」 「俺のためを思って焦ってるんだったらその必要は無いよ。これは俺じゃなくて勇也のためにやってる事だから」 焦ってる訳じゃない。純粋に、自分がハルと早く触れ合いたいだけだ。言ってしまえば下心しかない。 ハルと絡めあった指の感触が忘れられなくて、交わしたキスが愛おしいだけだ。 「お前のためじゃねえし…」 「そう…え?そうなの?」 「俺が…したい、だけ」 「そっか…そっか〜じゃあ今日はあまり触らないでおくね」 太腿から手を離され、ハルは机の向かい側へと移動する。 別に今だって離れる必要は無いのに。こんなことですぐにいじけてしまう自分が嫌だ。 「ほら、今日は明日のテストのために勉強して早く寝よ」 やっぱりこいつの教え方はそこら辺の教師なんかよりもずっと分かりやすい。授業を聞いただけでそれ以上のことを吸収しているのだから、余程要領がいいのだろう。 テストが早く終わって欲しいなんて考えを掻き消すように、今日は少しハルから離れて眠った。

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