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第179話Caress⑤

ハルは汚れた服を脱ぎ捨て、ズボンだけを履き直してベッドに潜り込んだ。 「このまま寝んの?…服着ろよお前」 「暑いから服いらない」 「なんだよそれ…んっ…何、してんだ」 「いや、勇也のお腹についたやつ拭かなきゃと思って」 弱い力で拭き取られるのがくすぐったい。ウェットシートのようなものが腹の上をなぞっていく。 「そんなシートどっから…」 「ほらあれだよ、屋上の時使った…赤ちゃんに使うやつ」 「……最悪。やっぱりお前のこと嫌いだ」 「え、そんな…待ってよ、ねえ嫌だ」 確かにその時の記憶は決していいものでは無いが、これだけで慌てふためくハルがなんだか可愛らしい。 背を向けて寝転がった俺の肩を不安そうにゆさゆさと揺らす。面白くなってしまって、肩を震わせながらハルの方を顔だけ振り返った。 「嘘に決まってんだろ、ばーか」 「なに、それ…」 「いつもの仕返し」 何か怒りながら言ってくるかと思ったが、予想に反して後ろから抱きしめられた。 「……可愛い」 「はぁ?!なんでそうなる」 「泣くことも沢山あったけど…笑ってくれるようになって、良かった」 泣いたのはほとんどハルが絡んでいた事だったが、笑ったのもハルのおかげだった。 母親がいなくなってからは、自分がこんなふうに笑っている未来など想像もしていなかったから、ハルには感謝しなければいけない。 客観的に見たら、俺達の関係も、俺の心変わりもおかしいことだろう。けれど、選択したのは俺自身だ。何度も傷ついたけれど、それ以上にハルに救われている部分があったのかもしれない。 正直、惚れてしまったらもうどうしようもないのだと思う。それを改めて自覚するとなんだか悔しいし恥ずかしいけれど、今はただこいつと泣いて、笑って、ただ一緒にいたい。 「…ありがとな」 「何が…?拭いただけだよ」 「そうじゃなくて…いや、なんでもいい」 「あ、また笑った。どうしたの本当に」 ハルまでもがつられてクスクスと小さく笑う。俺もハルの笑った顔が好きだった。大きな目を少し細めて、笑うと笑窪ができる。暖かいその笑顔を、ずっと見ていたい。 「勇也って、聖書読んだことある?」 「は…?聖書?ねえけど…」 「小学生くらいの…アメリカ住んでた時に学校でやったんだけどね、『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい』っていうのがあるの。新約聖書だったかな」 そう言われても聖書なんて見たこともないからよく分からない。よく分かっていないけれどハルがそう話すのでとりあえず相槌を打つ。 「あれね、昔は全然意味わかんなかった。そんな人自分にはいないって…あの時は愛想笑いも出来なかったから、泣くことも笑うこともそんなにしなかったしね」 「それをなんで今…」 「あ、今めんどくせえこいつって思ったでしょ。俺さ、その人がようやく見つかったと思って」 後ろから抱きしめられたまま、両手をぎゅっと包まれる。背中にハルの鼓動が伝わってくるのがよく分かった。 「勇也が、そうなんだなって」 「……お前って、本当によくそんな事恥ずかしげも無く言えるよな」 「だって本当にそう思ったから」 自分も同じかもしれない。今まではずっと一人で泣いて、一緒に笑える人がいた環境も無くなって、天涯孤独だということを身に染みて感じていた。 今はハルがいて、お互い泣くときも、笑うときも一緒にいたいと思える。 「…じゃあ、そうなのかもな」 「珍しく素直じゃん」 「別に…寝るなら早く電気消せよ」 顔を合わせていなくて良かった。そうじゃなかったら今のこの顔を見られてしまうから。 電気が消えて、掛け布団がかけられる。ハルが服を着ていないから直に肌が当たって違和感を覚えた。 「…勇也って肌白いから、赤くなるとすぐ分かるよね。耳まで赤くなるし」 「うるせえ。お前だってよく耳赤くなってるだろ」 「え、嘘?!そうなんだ…気をつけよ。うわー恥ずかしい」 「自覚無かったんだな」 ハルは照れたときに顔を覆う癖があるけれど、耳が赤くなっているからあまり意味は無い。耳が赤くなるのは知っていたけれど、その時どんな顔をしているのかは知らない。 ハルの方に向き直って、暗い中その顔を見つめた。 「ん?どうしたの、そんなに俺の顔見たい?」 「もっと見せろよ」 「え、あ、何急に」 顔を近づけると、ハルは焦ったように自身の顔を手で覆う。その手を掴んで顔から離し、まじまじと見つめた。 目はこっちの方を見ていなくて、ずっと逸らしたままだ。 「お前も…そんな顔するんだな」 「そんな顔ってなに…ちょっと、そんなに近くで見ないでってば」 「嫌だ」 「本当にどうしたの?頭打った?すごく可愛いけど」 頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でられて、自分の髪の毛が口の中に入る。それを丁寧に取ったハルの指が唇に触れて、少し頬が熱くなった。 「もう寝るからうるさくすんなよ」 「酷いなぁ…いいよ、おやすみ」 半ば無理やり捩じ込まれたハルの腕に腕枕されて、高鳴った心臓を無理矢理に押さえつけながら眠りについた。

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