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第181話Closed room

返却されたテストを見直しながら、朝食が並べられたテーブルの前でハルが降りてくるのを待つ。 今日は土曜日で、また一ヶ月もすればすぐに期末考査が始まってしまう。中間の結果はやはり芳しくなかったから、期末でどうにか取り返さなければならない。 昨日はハルが夜まで作業をしたいとかで、珍しく別々の部屋で寝た。自分一人で寝ることに前ほどの不安は感じなかったが、ただ単にハルの温もりがないことに僅かながら寂しさを覚えてしまった。 「おはよ…なんか甘い匂いする…」 起こした時には寝癖がつきっぱなしだった髪の毛を整え、私服に着替えている。 そして、起こした時には付けていなかったはずの黒縁のメガネをかけていた。 「お前、それ…」 「あ、今日フレンチトースト?初めてだね」 「ああ、まあ…」 ハルが甘いのが好きだから作ってみたのだけれど、それよりもメガネの方が気になって仕方ない。この前バッグに入っていたのは見たことがあるけれど、実際に装着しているところは初めて見た。 「ん?俺なんか変?寝癖ちゃんと直してきたんだけど…」 「いや…メガネは授業中しかかけねえって言ってたのに、今つけてるから」 「あ〜忘れてた…ダサいから嫌なんだよねこれ。夜につけてたから癖でまたかけちゃった」 メガネをかけている姿を見て何故だか胸がきゅっと締め付けられるような感覚に陥る。 「別に…変じゃねえけど」 「ギャップ萌え?」 「うるせえ、冷めるから早く食え」 ハルはせっかくかけていたメガネを外してから席につき、フレンチトーストに手をつける。自分でも食べてみたけれど、その甘さに少し目眩がしてしまいそうだった。 ハルは相も変わらず美味しそうにそれを頬張って食べてくれる。一口だけ齧った自分の分をハルに差し出すと、本当にいいのかと目配せをしながらまた顔を綻ばせて咀嚼した。 「お昼は外でなにか食べようか、なにがいい?」 「別になんでも…」 「それが一番困るんだよね〜」 「お前が好きなのでいい…あんま高くないやつ」 経済的なことはやはり気にしてしまう。ハルの基準に合わせていたらどうなるか分からない。 「ハンバーガー食べてみたい。今までそんなに行きたくなかったから行かなかったけど、勇也が一緒ならいいや」 「ん…」 片付けと準備を終えて家を出ると、人目が無いのを確認してからハルが手を差し出してくる。自分も再度周りに誰もいないかを確認して、その大きな手を握り返した。 駅の近くまで来ると人通りが多くなくり、繋いでいた手を離してそっとハルの服の裾を掴む。それでもやはりハルは周りの視線を集めてしまうから、服を掴んだその手さえ離してしまった。 「勇也、人多いんだから離れちゃダメだよ」 そう言うと、ハルは躊躇なく俺の手を取って歩き始めた。周りの視線が刺さるのが分かる。すれ違う誰もが自分達のことを好奇の目で見ているような気がして、顔を上げられなかった。 電車に乗りこんで、ドア付近の角へ追いやられる。ハルが壁になって周りの人間とは完全に隔離されていた。 「大丈夫?苦しくない?」 「こんな近くに来なくても…」 「ごめんね、誰かに勇也を触らせるわけにはいかないから」 前にあんなことがあったから気を使ってくれているのだ。それはいいのだが、それよりもさっきからハルの手が腰の辺りを撫で回すのが気になって仕方ない。 「…おい、手当たってんぞ」 「え、誰?どいつ?」 「お前だよふざけんな」 その手を掴んで払い除けようとすると、腰をしっかりと掴んで指だけを動かす。その僅かな刺激がこそばゆくて、閉じ込められたハルの腕の中で身を震わせた。 「んっ…てめぇ、ふざけんなって…」 「こら、そんな声電車で出しちゃダメでしょ?」 耳元で囁かれカーッと顔が熱くなっていく。公共の場でこんなことをされて声が出てしまったのもそうだけれど、自分の耳を擽るハルの吐息がそうさせたのだった。 問答無用でハルに肘鉄し、反省の色が見えないその目から視線を逸らす。あまり外を眺めていると気持ち悪くなってしまったあの始発電車を呼び起こしてしまうので、ひたすらに床を見つめ気持ち悪さに耐えた。 何かを察したのか、周りに見えないように俺の手を握ったハルの手は冷たい。それなのに、それに包まれた手は段々と温まっていくような気がした。 「降りるから、ちゃんと手掴まってて。段差気をつけてね」 「子供じゃねえんだから…」 ハルにリードされて電車を降り、ショッピングモールまで道なりに沿って進む。さりげなく車道側を歩き、歩くスピードや歩幅まで合わせてくれるものだから、なんだかエスコートされているような気分だった。 女扱いされているのかとふと思ったが、文化祭のときに言っていた事を思い出して納得すると同時に、なんだかむず痒い気持ちになる。 人から大切にされるという事実が未だに慣れないから、その優しさをどう返すべきなのかを熟考してしまった。 「まだ早いしお昼になるまではショッピングしてようか。どこ行きたい?」 「お前の好きな所でいい、よく分かんねえし」 「え〜勇也に決めてほしいのに…」 「…お前の好きな所がいい」 その一文字を変えるだけでこんなにも小っ恥ずかしくなるとは思っていなかった。それを聞いたハルは口元を押さえ、自問自答するように頷いてから腕を差し出す。その腕に少しだけ自分の手を添えて歩き出した。 よく分からないけれどまずは小洒落た服屋に入り、ハルはどんどん手に服を取っていく。 秋の新作だとか書かれている服の値札を横目で見ると、自分の想像よりも0が多くて卒倒しそうだった。 「あ、そういえばさ、勇也がこの前書いてた数字いっぱいの分厚いノートみたいなやつ、あれ何?」 「ノート…?ああ、家計簿か」 「かけいぼって?」 そんなことも知らないのかと口頭で説明したけれど、実際ハルはカードやネット通販を頻繁に使うし資産がいくらあるかなど明確には分からないから、管理ができているかどうかは微妙だ。 「大変だね、そんなのやってくれてたんだ。ありがとう」 猫をかぶっているかぶっていないに関わらず、素直に人に感謝できるのはハルのいいところなのだと思う。自分にはできないから尚更だった。 「あ、すみません。これ、彼が試着します」 『かしこまりました。お連れ様もご一緒に…』 その言葉にぎょっとして店員の方を思わず見る。兄弟か何かに見えたのだろうか。それにしたって女同士ならまだしも男二人を試着室に入れるなんて、一体どういう思考回路をしているのか。 というわけで、特に断りもしなかったハルのせいで、広めの試着室に二人で入っている。ハルは中にある椅子に座って俺が着替えるのをニコニコしながら待っていた。

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