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第182話Closed room②

「こっち見んな」 「なんで?見ないと合うかどうかとかわからないじゃん」 特に何かを企んでいるわけでも無さそうで平然とした顔をしている。 よくよく考えてみれば自分は誰かとショッピングをして服を買うなんてことなかったし、試着すらまともにしたことがない。 それなら、もしかしたらこれは普通のことなのかもしれない。自分ばかりが恥ずかしがっていて馬鹿みたいだ。 それでも服を脱ぐことに躊躇して、ハルに背を向けてから自分の着ていたTシャツに手をかける。ゆっくりと裾を上げていくと、急に冷たいものが露わになった腰に当たった。 「ひゃっ…」 「あは、可愛い声出たね」 「てめぇ…いい加減にしろ。出てけよ」 「だって俺以外に見てあげられる人いないでしょ?」 見なくていいと言おうとしたのに、壁際まで追いやられて完全に逃げ道を失った。鏡に自分とハルの姿がばっちりと映っていて、嫌でも体格差を思い知る。 「バカ、外に人が…んっ」 「外に何?どうしたの?」 「人…いる、から…触んな」 ハルの冷たい手は腹部を執拗に撫で回して、服を捲り上げながら胸板に手を添わせる。その様子が鏡からはっきり見て取れてしまって、自分の顔が赤くなっていくのもよくわかった。 「うん、そうだね。だから声我慢して」 「そういう問題じゃ…な、あっ!」 声が出てしまった口をハルが片手で押さえ込んで、もう片方の手の人差し指を自身の唇に当てて微笑んだ。 『どうかなさいましたか?サイズの方は…』 「ああ、大丈夫です。他のものも持ってきて貰って大丈夫ですか?なんでもいいので」 『かしこまりました!』 店員は嬉嬉としてそう答えて、足音が遠ざかっていく。恐らくハルは殆どの服を購入するつもりだろうし、店側としては逃したくないだう。 「勇也、やっぱり細いよ。もっと食べないと」 「んっ…ん、んぅ…!」 胸元にあった手がその先端の粒に触れてハルの手のひらに反響した声がくぐもる。 「あんまり声出すと聞こえちゃうから」 「や、だ…やめ、ろ…こんなとこで…んっ」 後ろからハルが首元に痕をつけていくのがよくわかる。体を撫で回す冷たい手に熱を奪われ、柔らかい唇の感触と吸い付かれる痛みがうなじまでを赤く染めていった。 僅かに外から足音のようなものが近づいてくる。店内にあまり客は多くなかったし、この革靴の音はさっきの店員のものに違いなかった。 服を持ってくると言っていたから、恐らく声をかけてからそれを受け渡すだろう。 「も…やめろ、本当に」 「人に見られるかもしれないって…そういうスリル好きでしょ?」 好きじゃない。いい加減にしろ。 店員が失礼しますと声をかけるのとほぼ同時に、ハルの顔を思い切り殴り飛ばした。 こいつの顔を殴るのはこれで二回目だ。 「いった…え、顔は酷くない?しかも結構本気だったよね?」 「お前いい加減にしろよ、調子乗んな」 「え〜ちょっと楽しかったでしょ?」 「だから調子乗んなって言ってんだよ!」 不安げに外からもう一度声をかけてくる店員に対応し、ハルを試着室から追い出して服を着替えた。 店員もハルも無駄に褒めちぎるから、こちらとしてもどういう対応をしていいのか分からない。ハルに至ってはもう服を褒めていなかった。 「何着ても似合うね、俺の勇也だもんね」 「うるせえ外でそういうこと言うな」 「怒んないで?全部買ってあげるから」 「全部…?こんなにいらな…」 ハルは財布からカードを取り出して会計をし始めている。自分のカードとはいえ稼いでいるのはハルの父親なのだから、金遣いの荒さはどうにかしなければならない。 「お前、それ手で持って帰るってこと分かってるんだろうな」 「あ、忘れてた。いいよ、俺が持つから」 「自分のものくらい自分で…」 「俺が持ちたいから持つの。買い物中はロッカーに預けようか」 行き先も特にわかっていないのでふらふらと歩くハルについて行く。 ふと、ジュエリーショップの前でハルが足を止めた。 「…お前ってそういうの好きなの?」 「いや、別にそういうわけじゃないんだけどね…キラキラしてるものってなんか目を惹くでしょ」 「カラスかよ」 「勇也にはロマンとかそういうのは分からないか」 小馬鹿にするように鼻で笑われ、腹が立って少しそのジュエリーショップのショーケースを覗いてみる。 確かに煌めく宝石が店内を美しく彩っているけれど、その輝きがそこまで心を打つものだとは到底思えない。 値打ちがあるのは確かだろう。けれどそれが全てではないような気がした。 「俺、一回だけ小学生の頃に駄菓子屋さんに行ったことあるんだけどね」 「一回だけ?もっとあるだろ」 「普通ならね。うちはそうじゃなかったから。そもそも日本にいたのも高学年くらいの頃からだったし…」 悲しそうな横顔。幼いハルは愛に飢えていただけでなく、病院の肩書きを背負って普通の小学生の楽しみを得られなかったということだろうか。 「そこでオモチャの指輪みたいなやつがお菓子についてたんだけど…それをずっと大事に取ってたんだ」 「あれ、どっちかと言うと女子向けだろ」 「そうなんだけどね。俺には凄くキラキラして見えたから。ずっと大事にしてたし、今も部屋のどこかに保管してあるかも」 懐かしそうに微笑む顔が子どものように可愛らしくて、思わずこちらも目を細める。すぐに気を戻して表情筋に力を入れたが、ハルは気にしていないようだった。 ジュエリーショップなんかで何をしていいか分かるはずもなく、シンプルなリングやネックレスの方を適当に見ていた。シンプルとはいえ、どれも値段は見たことのない額であったが。 「プラチナのリング…?勇也って指輪とかもするんだっけ」 「いや…別に、なんとなく。メリケンサック代わりに指輪で殴られたとき痛かったなって…」 「あはは、そんなことする奴いるんだ。卑怯だね〜」 「お前の学校の奴だったけどな…ピアス引きちぎろうとしたのもそうだったし」 ハルは何のことだか分からないと言ったように肩をすくめて、また俺の手を引いて先へ進んだ。 「どこ行くんだ」 「昼ごはん。早めに行かないと席って取れないものなんでしょ?昨日ちゃんと調べたの」 ファストフードを食べたことがないというのは本当だったようで、目に見えて嬉しそうに席を確保する。 ファストフードが嫌いなわけではなさそうだし、今まではこういう所で食事するのを避けていたのだろうか。 また、気のせいなのかもしれないが、どこかから異常な視線を感じる。 ハルのルックスのせいだろうと踏んで、特に気には留めなかった。

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