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第187話Miss Flower②

佳代子さんとハルの父をリビングに通し、棚に入っていたよく分からない高そうな紅茶をいれて出す。ハルの父は所作の一つ一つが綺麗で、紅茶を飲む姿も様になっていた。 「それで、俺に渡したいものってなに」 「ああ、昨日私にメールを寄越してくれただろう。参考になるかは分からないが、これをあげようと思って」 そう言いながら鞄から取り出されたのは数冊の本だった。どれも医学関係のものらしい。 「これなんかは私が書いた論文だから少し恥ずかしいのだけれど」 また照れ笑いをして机の上に載せた本には、しっかりと著者の欄に小笠原綾人と書かれている。ハルがパラパラと中身を見るのを覗くと、書かれている文字は全て英語だった。 「わざわざありがとう…丁度欲しかった分野のところだ」 「メールでくれた質問を見て、関連性の高いものをうちから持ってきたんだ。いらないものはまたこちらで引き取るよ」 「一応全部もらうよ…あれ、これは?」 やはり昨日ハルがしていた作業というのは勉強だったようだ。その本を見ただけでも良く分かる。 また、積まれた本の中に一冊だけくたびれた本が挟まっている。どう見てもそれだけ年季が入っていて異質だった。 「なあに、それ…花言葉の本?綾人ちゃんこんなの持ってたの?」 「佳代子、その呼び方はやめてくれないか…昔買ったものかな。混ざってしまっていたみたいだ」 これが例の花言葉の本か。読み古されているとはいえ染みなどは特になく、大切にされているようだった。 「まだ取ってあったんだね、それ」 「遥人ももう読んだのかな?それならこれはもう…」 「…じゃあそれ、俺がもらってもいいですか?」 俺が急にそんなことを言うから三人とも目を丸くしている。自分でもこんなことを言うつもりはなかったのだが、最近こういうことが多い。 「双木さん、お花とか好きなの?」 「そういう訳じゃなくて…なんとなく、知りたくて」 「こんな古い本でいいなら構わないよ」 「けど、大切なんじゃ…」 「いいんだ、寧ろ君に持っていてほしい」 花言葉の本を受け取り、両手でその重みを確かめる。小さめの図鑑のようで、かなり分厚かった。 「ありがとうございます…」 「私には、もう必要ないものだからね」 そう言ったハルの父は、なんだか物憂げな表情をしているように見えた。その台詞自体も、全て覚えてしまったから必要ないという意味以外に何かを含んでいる気がする。 「双木さん、ご飯ちゃんと食べてるのね。前より元気になったように見えるわ」 「佳代子さん凄いね、確かに勇也は最近ご飯食べるようになったけど…見ただけでわかるもんなの?」 「ふふ、主婦だからね。当然よ」 佳代子さんは女性で主婦という立場だけれど、俺も憧れてしまう。何にでも気を配れて頼もしい人だ。普通の主婦ならこれができて当たり前なのだろうか。それでもきっと佳代子さんはその中でも逸脱しているに違いない。 母親がそういう存在であるという考えは、俺の中にはなかったから。 「息子さんは元気にやっているのかい?」 「ええ、最近反抗期なのか弁当作るのやめてくれって言うのよ。それでも毎日ちゃんとお弁当箱空にして持って帰ってきてくれるんだけどね」 「なんかそれ、聡志も似たようなこと言ってたよね」 ハルに話しかけられ、昼休みのことを思い出す。確かに真田がそのような話をしていた気がしたので、なんとなく頷いて返した。 佳代子さんとハルの父は、何故だか二人ともきょとんとした顔をしている。聡志のことを知らない訳では無いだろうし、どこが疑問だったのだろう。 「二人とも…佳代子の息子さんのこと、知らなかったのか?」 「それってどういうこと?…もしかしてだけど」 俺とハルは顔を見合わせて目をぱちくりさせる。恐らく、考えていることは同じだろう。 「そういえば苗字は名乗ったこと無かったかしら?息子は二人とも友達だって言ってたから知ってるものだと思っていたけれど」 「じゃあ、佳代子さんの言ってた息子って……聡志のことだったの?」 「そうよ、私は真田 佳代子。ふふ、知らなかったのね〜」 人間、本当に驚くと言葉が出なくなるものだ。二人して息を引き、また顔を見合わせた。 よくよく考えてみれば、今まで真田が零していた言葉が佳代子さんの息子の話と繋がっている。それに、文化祭だって他人なのにわざわざ見に来てくれたのかとばかり思っていたが、息子も劇に出ていたとなると妙に納得できた。 「知っているから皆仲がいいものだとばかり思っていたよ。遥人に最初佳代子を紹介したとき言わなかったかな?」 「あー…真面目に聞いてなかったから覚えてないや」 「まあいいじゃない、今は仲良くやってるみたいだし。これからもうちの聡志をよろしくね」 未だにその実感が無くて何とも言えないのだが、受け止めきれない真実という程でもない。 「ところで遥人、今その勉強をしているということは、そういうことでいいんだね?」 ハルの父は若干緊張した面持ちでそう言った。〝そういうこと〟というのは、医者になることを指しているのだろうか。病院を継ぐらしい兄が失踪し、ハルがその代わりになるつもりなのかもしれない。 「…別に、まだ決めたわけじゃないよ。けどね、自分の意思なんだ。兄貴が戻ってきたとしても、俺は勉強続けるし」 「病院を継ぐとか継がないとかはまだ考えなくていい。高校生になったばかりなんだから、今は好きなことを学んで沢山遊びなさい」 「そうね。遥人さんなりに考えていることがあるのなら、自分の好きにしたらいいわ」 このように夢を応援してくれる大人が周りにいるというのは、かなり恵まれた環境だ。 ハルが夢を諦めずに医者を目指すのだったら、俺ももちろんそれを応援したい。 「勇也にはずっと黙っててごめんね。俺、本当は昔からずっと…」 「知ってた。その…悪いけど勝手に書斎に入ったことがあって」 「見られちゃったんだ。もう使わないと思ってたけどね、また頑張ってみるよ」 ハルが夢を諦めないでいてくれて良かった。きっと何か心に働きかけるようなきっかけがあったのだろう。それが何であれ、押さえ込まれていたハルの気持ちが開放されつつあることが嬉しかった。 「双木さんは、進路のこととか考えてるのかしら。聡志はもう家を継ぐの一点張りなのだけれど」 「いや…俺は、まだ」 「そうよね、まだ分からないわよね。私が看護師を志したのは高校生の頃だったわ。何かきっかけがあれば、自然となりたいもの、やりたいことが見つかるはずよ」 そのきっかけを、まだ自分では見つけられない。ハルは自由にしていいと言ってくれているが、ハルの父にまで負担がいってしまうのが気がかりだった。 「もし双木くんがお金のことを心配しているのなら気にしなくていいよ。私はあまり自分でお金を使うことはないし、できれば遥人や君のために使ってあげたい」 「それは有難いですけど、ちゃんといつか返します…」 「はは、やはりしっかりした子だね君は。焦らなくていいよ。大学に行ってやりたいことを見つけるのもいいと思う。そういう人が大半だしね」 どこまでも人が良くて、本当にハルの父親なのかと疑ってしまう。品が良くて、根の性格が良くて、人間としてよく出来ている。 自分にも、将来何かやりたいことができるのだろうか。何も浮かばないけれど、ハルに専業主夫はどうだと言われた時は少し首を捻ってしまった。 「勇也のやりたいこと、俺も一緒に探すよ。器用だしきっと天職があると思う」 「看護師はどうかしら、女のイメージが強いけど男の人もいるわよ」 「ちょっとその勧誘は強引すぎないかい?」 佳代子さんは口に手を当てておおらかに笑う。改めて今日、自分のこの先についてもう少し考えてみようと思った。 全てを失い、先なんて暗くて見えなかった自分の人生に、ほんの少しの光が灯された。

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